アトリエの中での色彩のコンポジション 青と黄は絵画でも連日使う
この頃は、外での用事が重なり、制作時間が細切れ状態になっている。用事、雑用の合間に制作をしているといったありさま。でもこの現実受け
入れるしかない。開き直って、制作時間を一時間で一単位と決めようと思った。最低でも一時間制作すれば....最低限でも、なんとか制作に集中し
た安堵感が得られる。どのみち、長時間集中できる年代でもないのだし。そのためには、一時間が過ぎた段階で、ここをどうにかしようなどと考
えないこと。気に入らない状態でも放す。スッポリと。放すという言葉....ほかすという意味もあったな。ほかすこと、結構難しいのだが、頭か
ら、すっかり画面が消え去り、忘れていたほうが、再び画面に向かう時冷静な判断ができる。発想への入り口が自ずから広がるのかもしれない。
三木市の堀光美術館へ吉岡利奈写真展を見に行ってきた。『自由企画 美術館を創ろう!2017』 初めましてと、作家らしき方に挨拶したら、神戸
の北野のギャラリーでお話ししました!と言われた。何度か私の個展に来てくださっているとのこと。すみません、思い出せない。たくさんの方と
お話ししてましたから、と言い訳がましい私。美術館の公募で選ばれての初個展だ。精神や、心のありようを印画紙に定着させていると感じた。
ストイックな撮影姿勢に共感するものがあった。作品を見ていて、私もかつて写真に自分のエネルギーを注ぎ込んでいたことが思いおこされた。
私も写真が好きなんだ、と帰り道、しみじみ感じた。写真を趣味にしたらいいのかな、などと電車に揺られながら、思う。
吉岡利奈写真展 つながる記憶(+MEMORIES) 11月26日(日)16時まで。 三木市立堀光美術館
懇意にしている画廊のオーナーと少しゆっくり話ができた。雨の日の午後、とても静かな時。話の最中、ふと頭に浮かんだ。これからは、抽象と
か、具象とか、ジャンル分けがなくなるのでは....と。日本で制作活動をしていると、抽象画家という肩書きがしっかりつく。そうです、抽象画を
描いてますと人に言いながら、抽象画家であろうと努力を重ねる日常であるかもしれない。周りを見回すとこのジャンル分けに、結構たくさんの
人が苦しんでいるようにも思える。苦しむと画面がどうしても硬直する。抽象だって、具象だって、どっちでもいいのではないか。もっとも大切
なことは、見る人に描き手のこころの思いを届けること。ジャンル分けは日本だけ、と画廊主も同意見だった。帰り道、気持ちが弾んだ。