Kazuko MISAWA World

三沢かずこの青の世界 ー 作品の周辺

宇宙とボタニカル

2015-09-19 21:26:06 | 作品

作品のファンの方から言われた。ボタニカルではなくて、宇宙のものが好みです、と。急に言われたので、はあ?という受け答えをしてしまった。ボタニ

カルの作品って?。個展も過ぎてしまうと、記憶が薄れてくる。これからの、来年からの展示の作品の制作に頭も気持ちもいっている。自分では、分けて

描いてはいないつもりだ(分けて描けるほど器用ではない)でも、結構、言われることがある。大きな世界と、かわいい世界がありますね、と。かわいい

世界というのは、小品の作品のことだろうか。それが、ボタニカルってこと?

植物のもつけなげさや、はなやかさや、もろさや、無常観などから絵ができ上がることがある。記憶の中にある感情とそれらの思いが合わさって作品が生

まれることがある。そういえば、ずっと昔、「叙情から抜けなさい」と言われたことがあったなあ。関係ないか。

物理的に、大きな画面、100号などは、自分をぶつけて、ゆだねて、とてつもなく大きな世界を探りながら描いている。小品は、自分の体の中の小さくて

幼い部分を絵の中に、守り入れているのかもしれない。

考えていると、分からなくなる。分からないまま、明日もまた、描きかけの作品の前に立つ。

両方、自分なのかしら....。それって、強みだな、って言う人もいる。

 

 

       FLOW 4      65.2×53.0cm    油彩   ボード  2012    ストラスブールアートフェア  (仏)

 

 

                                                

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大和路

2015-09-18 20:44:16 | 作品

桜井市の喜多美術館に久しぶりに行って来た。神戸から奈良までは電車が直通になって、だいぶ行きやすくなったが、それでも二時間以上はかかる。

雨も小雨で、暑さも峠を越して、大和路のミニ旅行になった。喜多美術館のコレクションの中で行くたびに出会いたい作品がある。洋画家、須田国太郎の

作品である。今回も出会えた。東洋的な渋さが醸し出す内省的な画面、独特の黒が重厚感を導く。厚塗りでない油彩の使い方に、いつもこころ惹かれる。

また、会えて、嬉しい。私が、書道から水墨画に創作の道を変えた時期に、大きな影響を受けた画家である。そのころは、須田国太郎の大きな展覧会を

見る機会もあり、常設の美術館へも、何度か足を運んだりした。画集も、評論も常に手元に置いている。

何度見ても、やはり、いつもいいなあと思う。こちらのこころが少し暗かった時期は、画面が、暗いと感じていたが、今回は、明るい色調の部分がすっ

と眼に飛び込んできて、ああ、こんな明るさのある絵なんだ...と新鮮な感覚だった。見る度に違って見える。こちらのこころ模様を反映するかのよう

に。

制作の過程で喜怒哀楽を何度も何度も通り過ぎた作品。だからこんなにも、惹きつけられるのだろう。

美術館から山辺の道を通って、三輪明神へ。いつも通りのコース。

参道は清冽なエネルギーに満ちている。内省的な絵を、妥協のない作品を描かなくては。

名物『みむろ』をおみやげに買って、神戸への帰路についた。

 

 

        BLUE IN BLUE  '99-5    ミックスドメディア   1999

                                     162.0×130.3cm

 

                                           

 

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自由度

2015-09-16 21:32:30 | 作品

自由という響きがとりわけ好きだ。今まで、美術団体に所属せずフリーを通している。教えている絵も文字通り『自由画』。写実の水彩画、アクリル画

抽象画あり、古布をコラージュした文字絵あり、水墨画ありと実にさまざま。大きな教室ではないけれど、一つの空間に、いろいろな分野の絵が混在、

(存在か)している。教室展になると、いつも聞かれることがある。公募展ですか?合同教室展ですか?と。違います、と何度も淡々と答える。

いま、教室のメンバーの展覧会が芦屋で開かれている。他の教室の方との二人展だ。写実の作品と、抽象作品とがギャラリー空間に溶け合っている。全く

違和感なく、調和を見せている。抽象、具象と、ジャンル分けする必要はないですね。大切なことは、絵が人を惹きつけるか否か。どんな惹きつけ方でも

いいと思う。美しさであっても、衝撃でも、悲しみであっても。そこに、見る人を惹きつけるエネルギーが存在したら、絵との素晴らしい出会いが生まれる。

とらわれないで、具象、抽象と時に応じて描いてください。講師の私は、自身の抽象を四苦八苦して求め続ける道を選んでおります...が。

 

   ☆ 上田愛子・小林僚子 『水彩の世界 二人展』 2015.9/12-9/20    あしや喜楽苑ギャラリー (0797-34-9287)9時ー17時 最終15時

 

             

                           フォト  2015

 

                          

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カサコソ-美術館の搬出日

2015-09-15 22:03:16 | 作品

また、カサコソの季節がやってきた。(泥棒ではないのだけど)落ち葉をカサコソ、カサコソ、と踏みしめる。乾いた落ち葉のくだける音が壮快。この季

節の楽しみだ。音に驚いて茶色の猫が逃げる。向こうから来た小型犬も涼しい季節に軽やかな足取りだ。

一昨日、西脇の岡之山美術館のサムホール大賞軌跡展の搬出に行ってきた。会期中、なかなか行けなくて、ようやく、最終日に行くことができた。15枚

のサムホールの展示。数が多くて、お世話をおかけしたと思う。会場入り口近くで、結構目立つ存在だった。一枚一枚はかなり小さなサイズだけれど、集

合の力はなかなかすごい。

美術館のすぐ横に、加古川が流れている。水は、西日を浴びて、きらめいている。水の色は、見えなかった。草むらの中を流れる水は、きれいな水の色の

ような気がした。

氾濫した鬼怒川は、平常はこんな静かな川だったのだろうか。これからの日本列島は、治水との新たな闘いのようだ。

 

 

        サムホールの変遷 (1995-2015) (西脇市岡之山美術館)

 

            

 

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抽象画

2015-09-06 20:35:42 | 作品

抽象画、描こうとすると、描けなくなります!  ......と教室の生徒が言う。この先どうしたらいいのでしょうか.....とも。

そう、抽象ってわけの分からないもの。入り口も、その先も全く、未知数。分からないから、何か手がかりを探したくてただひたすら、抽象画に挑

んできた。やればやるほど選択肢も、迷いも増えてくる。でも、その分奥が深い。ずっと、やり続けるのに充分過ぎるほどの世界がそこに、存在し

ている。

花の美しさを何とかして、絵に写し取ろうとしていた時期があった。でも実際の花の美しさに圧倒されるばかりだった。そのうち、花と、花を見

ている私の関係が大切なのだと気がついた。花に、美しさだけでなく、力強さや、もろさや、けなげさや、優しさを感じている自分のこころに気が

ついた。この、花と対している自分自身を表現することが、絵の本質なのだと思った。言葉にすると、よけいに難しくなるかもしれない。これこそ

抽象的な物言いで、伝えにくいものだろう。

生徒の質問に、今日は、この辺でやめておきましょうよ、と答えた。自身の世界がいつか、垣間見えるのを待つのがいいと思う。

生徒は、依然、深刻に、画面と取り組んでいる。この先、どうアドバイスしたらよいのかしら....。

 

 

      『つながるもの』 ハガキの抽象画 2009  Pocket美術函モトコー

                                                                   ( 手透きハガキ 油彩)

 

           

 

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