Kazuko MISAWA World

三沢かずこの青の世界 ー 作品の周辺

コーヒー散歩

2015-09-30 09:23:30 | アトリエから

アトリエで30号の仕上げにかかっている。何かが足りない。やれることはやったのだが、すーっとこころに落ちない。こんなときは、作品をつぶしにかかるのだが

いや、ちょっと待とうと思った。少し、頭を冷静にして(頭が充血しているみたいだ)徒歩15分の駅まで散歩に行こうと思った。ちょうど、郵便局の振り込みの用

事もできる。

外は空気が変わっている。日ざしはかなり強いけれど、もう秋だ。沈丁花の香りが強くなった。木のそばを通りながら、かなり、前、具象の作品を描いていた時、

この花をモチーフの一部に使ったことを思い出した。毎日、咲いている木をさがして、花をビニール袋に入れた。側溝に落ちていることが多くて、溝に足を踏み入

れて、拾った。なかなか、あのオレンジの十字花を心象的に描くのが難しくて花拾いが続いた。今は、この花を集める必要はないけれど、ここまで来るための必要

な道筋だったと思う。

早足で歩いたので、喉が渇いた。コーヒーを飲める時間はもう過ぎている。(遅くても3時半までに飲まないと眠れなくなる)レモンティーを頼んだ。ちょっと疲

れたのでお菓子が欲しい。ワッフルを頼んだら2枚も出てきた。多すぎる....。シニアには、プチスイーツのクッキーなどがいいな。でもしっかりいただいた。

ポットのレモンティーを少しゆったりと飲んでいると時間があっという間に過ぎていく。あわてて立ち上がる。

アトリエに帰ってさっきの作品を見直してみよう。日が短くなったので後一時間ぐらいか、制作時間は。目もこころも冷静になっていたらいいな。ワッフルや紅茶

が助けてくれるかも。

 

 

          フォト  2015

 

                              

 

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窓の向こう

2015-09-25 08:25:00 | アトリエから

垂れ込めた鉛色の雲の中に一筋、淡いオレンジの光が見える。希望というのは、こんな光景だろう。鉛筆を取りに行ったほんの少しの時間の経過で、もう

鉛色が光にかぶさっている。夜が来る気配を漂わせている。バルセロナのモンジュイックの丘を連想させるような風景が、アトリエの窓のかなたに広がっ

ている。たまに、スペインで個展活動を何回か続けていたころの、旅先で見た光景などが頭をよぎる。今は、スペインではなく、フランスに発表をかえて

いるが、ヨーロッパでの初めての個展の場所、スペインには格別の思いがある。一回一回の個展を、自分なりに、精一杯終えて、後一回だけでもという思

いで発表を重ねてきた。同時に年齢も重ねてきた。体力のことなど考えると日本での発表のみに切り替えようと何度も思う。

突然、ヨーロッパの行ったことのない国から、作品の出品依頼が来たりする。全く知らないところで、誰かが作品を見てくれているのだなあ、と元気づけ

られる。楽はできないのかもしれない。このまま、日本だけでなく、世界を視野に入れて制作活動を続けて行く必要があるのだろうか。

日本だけでやります、となかなか宣言できない今の私、家族と我が健康を心底、願うのみです。

 

          フォト 2015

 

                                 

 

 

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2015-09-22 21:18:55 | 日々の思い

毎年、敬老の日に、鎌倉の「鳩サブレ」を送ってくれる知人がいる。母が神戸に来てから10年が過ぎるが、毎年、毎年、かかさずに送ってくれる。

けっこう、大きめの、鳩の形をしたサブレ、日本茶にも紅茶にも合う。このサブレは、私の横浜での高校時代に初めて食べた記憶がある。単純化した

可愛い鳩の形のお菓子、手に取ってながめてから、母と半分づついただく。頭の方を母に、尻尾の方を私が(目上を尊重する)いただく。嬉しそうに

ぽりぽり、さくさくとかみ砕いている。まだ、まだ元気だ。今年の敬老も無事にすんでほっとした。敬老の外食にピザを食べたいと言う母の希望で、

イタリアンレストランに家族で出かけた。ミックスピザを美味しそうに食べている。母がピザを好きだなんて、つい最近知った(長い付き合いなのに)

その好み、母が元気なうちに分かってほんとうによかった。ピザだったら敬老の日でなくても連れて行ける。

鳩サブレを送ってくれる人は横浜に住んでいる。最初に出会ってから、もう何十年ものおつき合いになる。私が、中学生になった頃に出会っている。

この年齢になると、人との縁の深さをしみじみ考えるようになる。姉妹のように仲が良かった人でももう付き合いの全くない人もいる。

理解不足で、しっくりいかなかった人との縁がゆっくり深まっていくこともある。

つかず離れずというよい言葉もある。与えられた縁を大切にしていきたい。

 

 

               フォト  2015

 

                               

 

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宇宙とボタニカル

2015-09-19 21:26:06 | 作品

作品のファンの方から言われた。ボタニカルではなくて、宇宙のものが好みです、と。急に言われたので、はあ?という受け答えをしてしまった。ボタニ

カルの作品って?。個展も過ぎてしまうと、記憶が薄れてくる。これからの、来年からの展示の作品の制作に頭も気持ちもいっている。自分では、分けて

描いてはいないつもりだ(分けて描けるほど器用ではない)でも、結構、言われることがある。大きな世界と、かわいい世界がありますね、と。かわいい

世界というのは、小品の作品のことだろうか。それが、ボタニカルってこと?

植物のもつけなげさや、はなやかさや、もろさや、無常観などから絵ができ上がることがある。記憶の中にある感情とそれらの思いが合わさって作品が生

まれることがある。そういえば、ずっと昔、「叙情から抜けなさい」と言われたことがあったなあ。関係ないか。

物理的に、大きな画面、100号などは、自分をぶつけて、ゆだねて、とてつもなく大きな世界を探りながら描いている。小品は、自分の体の中の小さくて

幼い部分を絵の中に、守り入れているのかもしれない。

考えていると、分からなくなる。分からないまま、明日もまた、描きかけの作品の前に立つ。

両方、自分なのかしら....。それって、強みだな、って言う人もいる。

 

 

       FLOW 4      65.2×53.0cm    油彩   ボード  2012    ストラスブールアートフェア  (仏)

 

 

                                                

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大和路

2015-09-18 20:44:16 | 作品

桜井市の喜多美術館に久しぶりに行って来た。神戸から奈良までは電車が直通になって、だいぶ行きやすくなったが、それでも二時間以上はかかる。

雨も小雨で、暑さも峠を越して、大和路のミニ旅行になった。喜多美術館のコレクションの中で行くたびに出会いたい作品がある。洋画家、須田国太郎の

作品である。今回も出会えた。東洋的な渋さが醸し出す内省的な画面、独特の黒が重厚感を導く。厚塗りでない油彩の使い方に、いつもこころ惹かれる。

また、会えて、嬉しい。私が、書道から水墨画に創作の道を変えた時期に、大きな影響を受けた画家である。そのころは、須田国太郎の大きな展覧会を

見る機会もあり、常設の美術館へも、何度か足を運んだりした。画集も、評論も常に手元に置いている。

何度見ても、やはり、いつもいいなあと思う。こちらのこころが少し暗かった時期は、画面が、暗いと感じていたが、今回は、明るい色調の部分がすっ

と眼に飛び込んできて、ああ、こんな明るさのある絵なんだ...と新鮮な感覚だった。見る度に違って見える。こちらのこころ模様を反映するかのよう

に。

制作の過程で喜怒哀楽を何度も何度も通り過ぎた作品。だからこんなにも、惹きつけられるのだろう。

美術館から山辺の道を通って、三輪明神へ。いつも通りのコース。

参道は清冽なエネルギーに満ちている。内省的な絵を、妥協のない作品を描かなくては。

名物『みむろ』をおみやげに買って、神戸への帰路についた。

 

 

        BLUE IN BLUE  '99-5    ミックスドメディア   1999

                                     162.0×130.3cm

 

                                           

 

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