前にも少し書いた
「この人を見よ 芥川竜之介と聖書」 関口安義著を
友人から教えてもらって、図書館から借りています。
少しずつ読んでいるのですが、
目次の「理性の彼方に」の、
金花と決意、、、というのを読んで、
これはドストエフスキーの「罪と罰」に出てくる
ソフィアであり、
聖書の、マグダラのマリアを意識して書いていると思いました。
芥川竜之介が、聖書を熟読していたのは
確かかもしれません。
でもそれは、日本の民話や、古典(古事記など)から
題材を得て、多くの作品を残しているのと同じ。
聖書という題剤から、物語を作っている。
救いを求めて聖書を読んでいるのではなく、
信仰を持ちたいという思いよりも、
知識欲を満足させるために(そのひとつとして)
聖書を読んでいたのではないかと思いました。
救いも、求めていたかもしれませんが。
天才は、感受性が強く、悩みも(凡人よりも)多い。
その精神的な苦悩は、はかり知れませんが、
自分の知識、教養を、ひけらかすのは、
鼻に付きます。
むかしテレビで、息子さんの芥川比呂志さん、芥川也寸志さんがを見ると
なんだか寂しいような気がしていました(私が勝手にですが)
悲しい気持ちになりました。
けしの花 (高谷学さんからお借りしました)