まさに怒涛の一週間でした。
昨日は、どっと疲れが出て、ブログを書こうと思っても
頭が働きませんでした。
10/12木曜日に、神戸の大先輩Kさんを、腹心の友T子さんと尋ねる。
10/13金曜日に、ICUにいるK姉を、Y子さんとH子さんとお見舞い。応答あり。
10/16月曜日に、神戸のF先生ご夫妻を訪問。
10/17火曜日、K姉が亡くなったという知らせ。
10/19木曜日、K姉の告別式。(本日)
自分よりも若い人の告別式に出るのは、悲しい。
4人兄弟の末っ子であるK姉。
お兄さんとお姉さんお二人と義甥さんが、千葉から来られていた。
施設に入っておられる夫のY兄も、車いすで、介護車に乗って来られた。
近くに住む姉妹たちに付き添われて。
思っていたよりもお元気そうで、少しほっとしました。
教会の人たちのことは、覚えていてくださったようです。
苦しみからの解放。それは恵みかもしれません。
死は、終わりではなく、主イエス・キリストの再臨の時に、再会できるという希望。
死は眠りであり、いつか目覚める。
それを信じられる者にとっては、死ぬことは、悲しいだけではありません。
一番よく世話をなさった義姪のY子さんは、クリスチャンではありませんが
キリスト教系の学校で中高大学と学ばれたので、理解できるとおっしゃってくださった。
白とピンクの花が美しく飾ってありました。
納棺される前のK姉のお姿を見ていると、
そこに、自分自身が横たわっているような錯覚を覚えました。
いまは見ているけれど、やがてこのように見られる時がくる。いつか。
静かに、死を見つめる時でした。
ご遺族の上に、主の慰めがありますようにお祈りします。
やがてK姉と再会する時がくることを思いつつ。
コスモスが風にゆれて (高谷学さんからお借りしました)
風に吹かれて コスモスがゆれる 青い空のもと
眠りについた魂は、しばしの休息をえる