「英雄たちの選択」で、宮本武蔵殿が取り上げられておりました。
吉川英治さんの「宮本武蔵」は、あまりにも長編で、何巻もあり、
見ただけでしり込みし続けており、いまも読む気にはなれません。
しかし、巌流島の小次郎と武蔵野対決、一条下がり松での決闘など、
よく目にしていました。
最近、新しい一級資料とかが、熊本で見つかったりして
新しい事実が分かります。
今回の「英雄たちの選択」で知ったのは、
宮本武蔵が、晩年(といっても57歳)、島原の乱に参戦していたということ。
小倉城主の小笠原明原の下にいた。
その時に投石がむこうずねに当たり、老兵であることを自覚し転機が訪れた。
養子にしていた甥の伊織の出世も見届け、
自分自身は、さらに武芸の道を究めようとする。
より孤高に生きようとしたのでしょうか。
細川家の細川忠利は、柳生新陰流の奥義も伝授されていて、
宮本武蔵殿を招いたという。
そこで文武両道、かつ兵法の道を求め、それを書き残した。
有名な「五輪の書」は、ひとり洞窟に籠って書かれたという。
五巻からなる「五輪の書」は、
地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻から成る。
書き終えて、一週間後に亡くなった。
たぶん読んでも理解できないかもしれませんが、
「五輪の書」の解説付きを、読んでみたいです。
人生を生きる書、仏教、儒教、道教の学びもして、
書や絵画も残した宮本武蔵殿に、敬意を表します。
各地を牢人として放浪して、見分を深めた。
明石城下の町の構築(町づくり)にも関わっていたとは知りませんでした。
細川家のもと、名だたる文人、茶人との交流があったことも
新しい資料でわかったとか。
剣術家としてだけでなく、この時代のフリーランスとして、
自由に生きた人、宮本武蔵殿。
多くの人が魅かれるのは、その自由な生き方。
仕官することを、頑なに拒んだ、その64年の生涯だ。
そして、どうしても思い出してしまうのが、
たわいのないこと(前にも書いた気もしますが)
広島の市内にあった、「むさし」というお店の、大きなおむすび。
とっても美味しかったです。
キリストが死んでくださったことによって (聖書アプリからお借りしました)
主イエス・キリストの生涯を思います。