風の詩(kazenouta)2

いつも喜び、たえず祈り、すべてを感謝する
そのような日々を過ごしたい。

親愛なる 矢内原忠雄先生 

2022-12-11 17:57:18 | キリスト教会

前のブログにも書いたと思いますが、

東京大学の総長をしておられた矢内原忠雄先生を、私は尊敬しております。

 教会の婦人伝道師だった方から、矢内原忠雄先生の全集を譲り受け大切にしています。

ご存じの方も多いと思いますが、

(矢内原事件といわれる)

戦前に、「国家の理想」という評論を、中央公論に載せたが、それを不穏の言動とされ

1937年(昭和12年)教授を辞任させられた。44歳。

  1893年・明治26年1月27日今治市に生まれ、神戸中学から東京帝国大学へ。

内村鑑三・新渡戸稲造に師事

新渡戸稲造の後任として、経済学部の教授になる。30歳。

1945年11月、東京帝国大学からの再三の要請で、経済学部教授に復帰(追放されてから8年後)

1951年・昭和26年、南原繁の後任として、東京帝国大学総長となる。52歳。

1961年・昭和36年12月25日亡くなる。

********ウィキペディアより*****************

1959年7月、札幌市民会館において北海道大学の学生のために「内村鑑三とシュヴァイツァー」と題してを講演し、

「立身出世や自分の幸福のことばかり考えずに、助けを求めている人々のところに行って頂きたい」、

そして「畑は広く、働き人は少ない」という聖書の言葉で結んでいる。

 

晩年の人生論に、1961年(昭和36年)NHK放送の「子供のために」の中で

子供を大事にする思想的根拠として次のように述べている。

「人生というものは、人を従えることが成功のように思われがちでありますけれども

実はそうではなく、人に仕えることが人生の意味である」

********************************

 

 「国に正義と平和がないかぎり、魂の自由と平安はない。」

内村鑑三先生から学んだことは、

「信仰とは、自分を見つめるのではなく、救いはキリストにあるから

キリストを仰ぎ見なさい。十字架のあがないを知る。

心の平安はキリストを信ずる信仰にある」

と語る、矢内原忠雄先生の肉声を、NHKラジオアーカイブスでお聞きしました。

 (保存しておかなくては、と思っています)

 

札幌農学校のクラーク博士が蒔いた種は、新渡戸稲造先生、内村鑑三先生から

矢内原忠雄先生へと引き継がれているのでした。

 国家権力に負けない人は、市井(しせい)にもいますが、地位のある学者の中にもいた。

 そのことは、とても勇気づけられます。

 ヒマラヤ桜 (野口勝利さんからお借りしました)

  桜は、ヒマラヤにもあるのですね。厳しい寒さにも耐えうる桜、なのですね。

  いつも素敵なお写真をありがとうございます。