前のブログにも書いたと思いますが、
東京大学の総長をしておられた矢内原忠雄先生を、私は尊敬しております。
教会の婦人伝道師だった方から、矢内原忠雄先生の全集を譲り受け大切にしています。
ご存じの方も多いと思いますが、
(矢内原事件といわれる)
戦前に、「国家の理想」という評論を、中央公論に載せたが、それを不穏の言動とされ
1937年(昭和12年)教授を辞任させられた。44歳。
1893年・明治26年1月27日今治市に生まれ、神戸中学から東京帝国大学へ。
内村鑑三・新渡戸稲造に師事
新渡戸稲造の後任として、経済学部の教授になる。30歳。
1945年11月、東京帝国大学からの再三の要請で、経済学部教授に復帰(追放されてから8年後)
1951年・昭和26年、南原繁の後任として、東京帝国大学総長となる。52歳。
1961年・昭和36年12月25日亡くなる。
********ウィキペディアより*****************
1959年7月、札幌市民会館において北海道大学の学生のために「内村鑑三とシュヴァイツァー」と題してを講演し、
「立身出世や自分の幸福のことばかり考えずに、助けを求めている人々のところに行って頂きたい」、
そして「畑は広く、働き人は少ない」という聖書の言葉で結んでいる。
晩年の人生論に、1961年(昭和36年)NHK放送の「子供のために」の中で
子供を大事にする思想的根拠として次のように述べている。
「人生というものは、人を従えることが成功のように思われがちでありますけれども
実はそうではなく、人に仕えることが人生の意味である」
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「国に正義と平和がないかぎり、魂の自由と平安はない。」
内村鑑三先生から学んだことは、
「信仰とは、自分を見つめるのではなく、救いはキリストにあるから
キリストを仰ぎ見なさい。十字架のあがないを知る。
心の平安はキリストを信ずる信仰にある」
と語る、矢内原忠雄先生の肉声を、NHKラジオアーカイブスでお聞きしました。
(保存しておかなくては、と思っています)
札幌農学校のクラーク博士が蒔いた種は、新渡戸稲造先生、内村鑑三先生から
矢内原忠雄先生へと引き継がれているのでした。
国家権力に負けない人は、市井(しせい)にもいますが、地位のある学者の中にもいた。
そのことは、とても勇気づけられます。
ヒマラヤ桜 (野口勝利さんからお借りしました)
桜は、ヒマラヤにもあるのですね。厳しい寒さにも耐えうる桜、なのですね。
いつも素敵なお写真をありがとうございます。