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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

Mozart Adagio & Fugue in C Minor K. 546 モーツァルト アダージョとフーガ ハ短調 K.546

2015-07-30 23:56:53 | 器楽・楽器
 毎朝の目覚まし時計の代わりにタイマーセットしたNHK-FMを聞いています。ニュースが終わった後に月曜はキラクラ、火曜から金曜まではクラシックカフェという番組が流れてきます。その日の気分でニュースが終わるとさっさとラジオをオフにする日もあれば、テレビのニュースはつけたままでFMを聞き続けている日もあります。今日はクラシックカフェが始まってモーツァルトが流れて来たところでさっさとラジオをオフにしたのですが、オフにする直前のモーツァルトの響きがやけに耳に残りました。そこで毎朝出社前に立ち上げているパソコンからクラシックカフェで流れていた曲を検索すると、「アダージョとフーガ ハ短調 K.546」と言うことでした。

 元は「2台のクラヴィーアのためのフーガ K.426」を編曲してアダージョを追加した作品との事です。弦楽四重奏で演奏されることが多いそうですが、チェロとコントラバスのパートが書き分けられているそうなので、弦楽アンサンブルのために書かれていることは確かなのだそうです。帰宅してから動画サイトで音源を幾つか聞いて見ましたが、早世の天才モーツァルトの悲しさが聞えてくる作品の様に思えてなりません。小林秀雄が”疾走するかなしさ”と評したのは交響曲第40番だと思いますが、レクイエムにも共通するかなしさがこの小品にも溢れているように思います。

 モーツァルトの弦楽四重奏曲といえばK.465の「不協和音」も有名で、初めて聞いたときにはこの作品にこそモーツァルトの天才性が表れていると思ったものです。Kナンバーからは「不協和音」から暫く立って「アダージョとフーガ」K.546 が作曲されていることが判ります。「不協和音」は冒頭の22小節が不協和音で構成されるという尖った構成になっていますが、「アダージョとフーガ」K.546は「不協和音」ほど尖った構成ではありませんが、隠し味と言うか隠し切れない現代的(=不協和音的)な響きがちりばめられていると思います。こういうところにこそモーツァルトの天才を感じます。この様な作品を聞くたびにモーツァルトは古典派の範疇には納まりきらない天才性を持っていたとつくづく思います。

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