東京は銀座のビルの地下1階に「月夜の仔猫」というライブスポットがあります。オーナー自身がシャンソン歌手です。もう何年も前に、職場の大先輩に誘われて行ったことがあります。料理と飲み物については何も記憶が無いので、平均並みかそれ以下だったかも知れません。しかし、ライブの中身が濃くて、機会さえあれば何度でも行きたい店です。私が行ったときは、休憩を挟んで若手の女声シャンソン歌手と、ベテランの女声シャンソン歌手が歌ってくれました。他にも男声がいたかも知れませんが殆ど憶えていません。聴きたい歌があればどうぞと会場からリクエストを取ってくれたり、アットホームな和やかな雰囲気も好ましいものですが、それ以上に唄われた歌がいずれも本物だと感じました。特に、最も印象に残っているのは、と言うよりもこれしか印象に残っていないのが、ベテラン歌手が歌ってくれた「ろくでなし」でした。それまでに色々なところで、色々な歌手が歌う「ろくでなし」を何回も聞いています。しかし、それらはすべてアップテンポで、”恋人に逃げられたけど、あんなやつさっさと忘れてやる!!!”というようなノリで唄われたものばかりでした。ところが「月夜の仔猫」で聴いた「ろくでなし」は、スローテンポで、静かに語るように唄われました。歌ではなく、旋律でもなく、声でもなく、その語り口に圧倒されました。圧倒的な説得力で恋人を失った悲しさが押し寄せて来ました。悔やんでも悔やみきれないのは、その歌手の名前を失念してしまったことです。彼女にしかあの唄い方は出来ないと思います。
まがりなりにも自分自身でもフランス歌曲を歌うようになってから、フランス歌曲と比べるとイタリア歌曲は声自慢、喉自慢だと思わないでもありません。フランス歌曲は如何に詩の内容を聴き手に伝えるかということにより価値を見出しているように思います。シャンソンとは日本で言えば歌謡曲に当たり、フランス語で唄う芸術歌曲はメロディ・フランセーズといいます。「月夜の仔猫」で聴いた「ろくでなし」は間違いなくシャンソンで、彼女もマイクを使って唄ってはいましたが、歌詞を伝えようとする精神性にはシャンソンとメロディ・フランセーズの垣根は全くなかったと思います。
自分自身でフランス歌曲を唄うとき、否、フランス歌曲に限らずどんな歌を唄うときも、詩を良く理解して、聴き手に如何に伝えられるかに思いを致す際の基準として、「月夜の仔猫」で聴いた「ろくでなし」を思い出そうと思っています。
まがりなりにも自分自身でもフランス歌曲を歌うようになってから、フランス歌曲と比べるとイタリア歌曲は声自慢、喉自慢だと思わないでもありません。フランス歌曲は如何に詩の内容を聴き手に伝えるかということにより価値を見出しているように思います。シャンソンとは日本で言えば歌謡曲に当たり、フランス語で唄う芸術歌曲はメロディ・フランセーズといいます。「月夜の仔猫」で聴いた「ろくでなし」は間違いなくシャンソンで、彼女もマイクを使って唄ってはいましたが、歌詞を伝えようとする精神性にはシャンソンとメロディ・フランセーズの垣根は全くなかったと思います。
自分自身でフランス歌曲を唄うとき、否、フランス歌曲に限らずどんな歌を唄うときも、詩を良く理解して、聴き手に如何に伝えられるかに思いを致す際の基準として、「月夜の仔猫」で聴いた「ろくでなし」を思い出そうと思っています。
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