”死は人生の終末ではない、生涯の完成である。”というルターの言葉を知ったのは、亡母の葬儀での挨拶を考えている時でした。そのほぼ一年前には亡父を見送っています。何れも私自身はうつ状態にあって、父親の葬儀については殆ど記憶にありませんし、母親の葬儀の時にも親類との挨拶が辛くて、ひたすら葬儀が早く終わってくれないかとそればかり考えていました。親不孝といえば親不孝ですが、若い内に十分親孝行してきたと親の方も認めていてくれたと思います。
いずれにせよ、”死は人生の終末ではない、生涯の完成である。”という言葉は気に入って、このブログを始めるに当たり迷わずにブログタイトルの一部に取り入れました。はっきり言ってその時から自分自身の”生涯の完成”までに、という思いは意識しています。今年の2月から高血圧を認識したとはいえ、実のところ2007年末から体調を崩し、2008年の春に軽いうつ病と診断され、その後躁転して気分障害(=双極性障害、躁うつ病)に確定診断が変更になりました。自分自身が発病前の自分自身とは完全には一致しないという違和感は常にあって、出来るだけ長生きしたいという思いはなく、むしろさっさと寿命を全うしたいという思いがあります。ということでは高血圧ももっけの幸いで、降圧剤を飲んで寿命を伸ばそうとは全く思えません。
ということで、出社できなくなって3週間がたち、今週の土曜にメンタルクリニックの主治医を受診して入院したほうが良いと言われれば入院するし、一月なり二月なり自宅療養=休職しろとのことなら休職しようと思っているところです。そうなれば時間が十分取れるので、リハビリの意味も込めて私個人で声楽コンサート=生前葬コンサートを開催しても良いのかなと改めて思っています。オープニングはレオンカヴァッロの「パリアッチ」から「プロローゴ」で、オペラのアリアを他に歌うとすればヴェルディの「リゴレット」から「悪魔め鬼め(コルティジアーニ)」かなと思っています。少々重すぎるかなとは思っていますが。ドイツリートからはシューマンの「詩人の恋」を全曲か抜粋かで歌いたいですね。フランス歌曲からはレイナルド・アーンとサティとプーランクから数曲ずつと考えています。
そのプーランクの歌曲ですが、1曲だけ選べと言われれば、アラゴンの二つの詩FP.122の第一曲「C(セー)」ですよね。プーランクの歌曲の中でも最も有名な曲ではないかと思います。ところでFP122のもう一つの曲「Fetes glantes」は「C(セー)」とは対照的にコミカルなアップテンポの曲で、アラゴンの詩の中からこの二つを選んで一つの歌曲集としたプーランクの意図がまだ私には理解できておりません。「C(セー)」の曲想によく似たプーランクの歌曲としてはFP121の「Metamorphoses」全3曲中の2曲目の「C'est ainsi que tu es」ですね。FP121「Metamorphoses」の1曲目と3曲目も、2曲目とは対照的なコミカル、アップテンポな曲です。従ってプーランクとしては曲の構成にそれなりの計算があったことは間違いないと思います。プーランクの意図を理解しないままFP121とFP122からスローテンポな2曲を選んで良いものかどうか・・・。ま、良いことにしましょう。
オープニングに「プロローゴ」オペラのアリア繋がりで「悪魔め鬼め」、「詩人の恋」は全体の構成を確認した上で全曲にするか抜粋にするか(おそらく抜粋)、フランス物はアーンとサティと、プーランクは「C'est ainsi que tu es」と「C」ですね。日本歌曲は雁部一浩氏の室生犀星曲集から選ぶとすると、いやぁ~かなり重いプログラムになってしまいますね。「詩人の恋」は出来るだけ軽い曲を選ぶとしても、「悪魔め鬼め」は却下することになりましょうか?そうすればそれ程重すぎもしないかな。
ということで、今日のところはプーランクの「アラゴンの二つの詩」の「C」と、「Metamorphoses」の「C'est ainsi que tu es」を動画サイトの音源で聞いてみて頂ければと思います。
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