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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

声楽か器楽か 暗譜か眀譜か

2017-03-16 22:36:14 | レッスンに行ってきました

 声楽では舞台形式のオペラを眀譜で公演することはあり得ませんから、暗譜が前提になっている様に思います。一方で器楽ではソリスト以外は眀譜が当たり前なのかなと思っていました。今回フルートを始めようと思って3人の先生の体験レッスンを受けました。眀譜と暗譜の違いについて質問した先生もいましたが、その回答としては器楽でも暗譜で演奏した方が眀譜で演奏した時よりも楽器のグレードを3段階ぐらいアップするくらいの効果はあるのだそうです。だからコンクールでは指定されていなくても暗譜で演奏するのが当たり前だし、コンクールによっては暗譜が指定されているそうです。そして何よりもきちんと仕上げたいと思った曲は結果として暗譜するぐらい練習するのが当たり前、ということでした。

 アマチュア声楽家の場合、毎年の暮れにベートーヴェンの第九の合唱を歌うことは、年中行事とも言えます。他の演目はともかく第九は暗譜が当たり前という雰囲気は日本全国どこに行ってもある様な気がします。しかし、第九こそ眀譜で歌いたい曲の筆頭でもあります。本番で楽譜を見ながら何を確認したいかというと、ベートーヴェンの音楽をベートーヴェンの音楽足らしめると言っても良いスフォルツァンドの位置を確認したいということが第一にあります。歌詞は何とか覚えて、マエストロの指揮をみて大きな破たんなしに何とか歌いこなすレベルまでは毎年行けていたと思いますが、ベートーヴェンの意図した意表をつくようなスフォルツァンドの位置まで完璧に覚えて歌ったことは残念ながらありません。何となく勢いで突っ走ってヴィヴァーチェのラストに向かって全力疾走で走り込んでゴールという感じで、歌い切ったという満足感は十分あったものの、ベートーヴェンの意図した音楽に限りなく近づけたのか?と自らに問いかけるとしたならば、その答えにはいつも疑問符がついていました。だから、第九を眀譜でしっかりと練習を重ねた上で本番を歌ってみたいという思いが残っています。

 器楽であっても暗譜の演奏の方が良い結果が得られるのであれば、もっと暗譜で演奏した方が良いのでは?という疑問もわきますが、一つの曲を仕上げるうえでのアプローチというか方法論が声楽と器楽ではかなり違うように思います。例えば器楽では楽譜を1小節づつ繰り返し練習することは当たり前の様ですが、声楽ではそのような練習の仕方はしませんよね。伴奏者との合わせにしても自分自身がきちんと歌えて、伴奏者が伴走者なりに伴奏を仕上げて来てくれていれば、時間がなければ最初と最後の合わせを確認するだけで途中は端折ってもほとんど不安なく本番を迎えることも出来ます。

 ところでこのブログで何度も記していることですが、声楽の楽譜は歌パートだけでなく必ず伴奏のピアノパートや、あれば他の声部も記載されているヴォーカルスコアです。一方で器楽アンサンブルの楽譜は殆ど自分だけのパート譜で、他のパートとどのように絡んでいるのかは全く判りません。通奏低音やピアノ伴奏パートだけには他のパートも記載されているスコアになっている場合もありますが。器楽の場合は歌詞がないために、表情記号・アーティキュレーションを楽譜通りに演奏することが重用で、器楽奏者の方々は如何に表情記号・アーティキュレーションをどの様に演奏するかに多大な注意・努力を払っている様に思われます。器楽の演奏では時に”もっと歌うように演奏するように”と言われたり、声楽でも”ここの跳躍は器楽的に”等と言われることもありますね。声楽だけでなく、器楽だけでもなく、声楽も器楽も両方勉強することは、自分の音楽表現の幅を広げ、引き出しの数を増やすうえで効果的だと思います。


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