オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

月光の並木さんを偲ぶ会 1

2014-02-19 15:37:53 | 日記
 月光チームの並木さん、というより「日本のヨット界の並木さん」と呼ぶべきだろう。いや、日本のリーダーとしてだけではなかった、世界に名を馳せたヨットマンがより正しい呼び方かも知れない。 亡くなられて4ケ月がすぎた。 
 2月18日(火)並木さんを偲ぶ会には全国から大勢のヨットマンが東京に集結した。
 会場は帝国ホテル光の間、9年前、私が勤めていた会社「公共DWサービス」の創業者・N波社長のお別れ会もここだった。

 国旗の前の遺影に献花し、お世話になったお礼とご冥福をお祈りしたあと、会は始まった。
 1分間の黙祷のあと、友人を代表して元都知事のIS原さん、ゴルフ解説のIW田さん、JSAFの名誉会長、会長から次々にあいさつと並木さんを惜しむ言葉、武勇伝などが紹介されたが、並木さんの海への思い、仲間や後輩たちを思う人柄が伝わってくるものばかりであった。
 これだけの巾広いヨットマンが集まることは過去になかっただろう、当然のように国内・海外レースの思い出話で人の輪があちらこちらにでき、旧交を温める様子も多く見受けられた。

 私は、といえば関東での外洋レースはもちろん、ジャパンカップ、ビッグボートシリーズ、沖縄~東京レースでも月光チームと競って帆走ったり、ある時は月光チームのクルーとして乗せていただいたりして、油壷の月光ハウスには何度も伺いご馳走になり泊めてもいただいたものだった。
 私があまりにもアチコチのレース艇に乗るもので、ある時、私に「おい、渡り職人!」と言われた。また、あるパーティで周りの人にむかって私のことを「コイツには気をつけろ」とも言われた。 江の島・油壺のヨットコジキから始まった私のような者が由緒正しい正統派のヨットマンに認められたような嬉しい気持ちになったことを覚えている。


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