オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

あれから30年、江の島に集まる

2022-07-17 08:25:29 | 日記
 先ずは言い訳から、
 パソコンの調子がイマイチでアレやコレや、長い間小欄の更新が滞ってしまい、訪れていただく皆さまには申し訳ありませんでした。(大陳謝)

 さて、さる7月9日土曜日、1992年の「ケンウッドカップレース」参戦から30年がたち、当時の仲間が江の島に集まり、語り合いの一時を大いに楽しみました。
 こんなこと言うのも何ですが、当時の私にとっては楽しいことばかりではありませんでした。

 電話事業100年の社内向けとして「社員で海外のヨットレースへ参加」が数多くの企画の中から選ばれで、その実行計画の話が私のところに降りてきたのです。
 初めに私は、「ホントにやるのですか? どういうことなのか解っているのですか?」と会社に投げかけました。
 「全国から乗船クルーを募集する」・「ふさわしい艇はあたらしく造る」との回答があり、「チームキャプテンとして全権を任せる」という話でした。  ちょっと考えた上で引受けることにしました。
 それから面接を経て江の島YHに希望者50数名が集まり、3艇に分かれて基礎練習開始、小さなレースからジャパンカップレースまで多くの友人の協力を得ながらチームづくりを進めていきました。
 悲しい事故もありました。 計画中止を覚悟していましたが、原因究明・再発防止など話し合い、会社が決行を決め継続することになりました。
 会社の都合でハワイのレースに同行する選手は20名、練習の最後は私にとっては辛いツラい選手選抜・いわゆる絞り込み、選手たちの一生の思い出を左右することになります。

 そしてハワイでのレース、そこそこうまくいきました。 長短7レース、初戦はクラス2位、最も長い2オーバーナイト(2昼夜)帆走りつづける「Kaula-Race」では「クラス優勝」することができました。
 その後94年96年と2度の自主参加を経てチームは大きく成長することができたのです。
 そしてそして、1997年、「関東相模湾サーキットシリーズ」で「年間総合優勝」、相模湾のほとんどのレースで優勝できたのです。 神子元島レースの優勝はホントにうれしかったのを今でもハッキリ覚えています。

 そういう仲間が江の島に集まったのです。
 選手たちは今でも各地域のレース艇のクルーとして活躍しています。(これがうれしい)
 ハワイには行ったけれどレースには乗れなかった人、ハワイ20名には選ばれなかったけれど今も船を続けている人、このメンバーも集まってくれました。(ホントにうれしい)



 最後に「こぼれ話」を一つ、
 会社では私にキャプテンを指名する傍ら、故大儀見薫さんをチームアドバイザーとしてお願いしていました。
 都内某所での打合わせの席で私の顔を見た大儀見薫さんは「やりにくいなぁ」と一言いわれました。
 会社は大儀見さんに「私のことを知っているのか」と何度も聞いていました。  大儀見薫さんは知っているどころの話ではありません。外洋レースのいろいろな場面で会って本部の仕事をしたり、レースで競ったりもした日本のオーソリティです。 (ケンウッドカップレースの企画・運営にも大きく関わった方です)
 ハワイでのレース後、大儀見さんにお会いしたとき「ガンバッたじゃない」と褒めていただきました。

 これでひと段落ですが「これから先も続けて行こう」、「短いスパンでね」の声があがっていました。

 この項おしまい。