今回のポタリングは河南町の弘川寺まで新緑を求めて往復40キロの行程。風もさわやかな快適な
サイクリング日。歌人西行法師の終焉の地で西行塚もあり又南北朝時代に楠木方に味方し、弘川寺で 討死した弘川城城主隅屋與市の居城弘川城跡も東側の陣屋山(標高541㍍)にあり、この機会にと
標高差300メートルの急な登り道(1,700㍍)を約1時間かけて上り素晴しい眺めを満喫して下山した。
今は無き山城跡を汗を流しながら登り、城跡から当時を偲び「兵どもの夢のあと」を一人
静かに思い浮かべるのも心の癒しになると思います。
ポタリング途中の風景
れんげの花
新緑の棚田
広川寺の鐘楼
西行塚に上る石段上の新緑のもみじ
本堂
ご本尊の薬師如来
今回の参拝時に本堂の障子が開かれており本堂に上がるとご本尊の薬師如来が鎮座されておりました。
合掌
西行堂~西行塚に上がる途中
西行塚
西行の庵あとからの眺め
PL教団の塔とはるか先に「あべのハルカス」では?
黄色のつつじ
西行堂前で休養中のご老人
西行塚まえで親子ずれの方と話したところ「ここまで来たのに主人は登って来ないの」とのこと。老人は
先ほどの方のご主人らしく、西行法師のお墓があると話すとゆっくり上がって行かれた。
広川城主であった隅屋與市正高が討死した地に植えられた桜
陣屋山にある弘川城址に上がる道
城跡を示す巨大な岩石~「この上弘川城跡」と説明
石の大きさは5㍍×3㍍
城跡からの見晴~東方面
歌人の西行法師はこの地で終焉を迎えました。有名な歌に
「願わくば はなの下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」と歌っいます。
さくらの花をことのほか愛した西行法師をしたって当地を訪れた歌人の似雲法師も西行の供養のために
桜の木を植え、西行堂を建立し本人も西行塚近くに庵を置き最後を迎えそうです。
似雲法師の塚もあります。
サイクリング日。歌人西行法師の終焉の地で西行塚もあり又南北朝時代に楠木方に味方し、弘川寺で 討死した弘川城城主隅屋與市の居城弘川城跡も東側の陣屋山(標高541㍍)にあり、この機会にと
標高差300メートルの急な登り道(1,700㍍)を約1時間かけて上り素晴しい眺めを満喫して下山した。
今は無き山城跡を汗を流しながら登り、城跡から当時を偲び「兵どもの夢のあと」を一人
静かに思い浮かべるのも心の癒しになると思います。
ポタリング途中の風景
れんげの花
新緑の棚田
広川寺の鐘楼
西行塚に上る石段上の新緑のもみじ
本堂
ご本尊の薬師如来
今回の参拝時に本堂の障子が開かれており本堂に上がるとご本尊の薬師如来が鎮座されておりました。
合掌
西行堂~西行塚に上がる途中
西行塚
西行の庵あとからの眺め
PL教団の塔とはるか先に「あべのハルカス」では?
黄色のつつじ
西行堂前で休養中のご老人
西行塚まえで親子ずれの方と話したところ「ここまで来たのに主人は登って来ないの」とのこと。老人は
先ほどの方のご主人らしく、西行法師のお墓があると話すとゆっくり上がって行かれた。
広川城主であった隅屋與市正高が討死した地に植えられた桜
陣屋山にある弘川城址に上がる道
城跡を示す巨大な岩石~「この上弘川城跡」と説明
石の大きさは5㍍×3㍍
城跡からの見晴~東方面
歌人の西行法師はこの地で終焉を迎えました。有名な歌に
「願わくば はなの下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」と歌っいます。
さくらの花をことのほか愛した西行法師をしたって当地を訪れた歌人の似雲法師も西行の供養のために
桜の木を植え、西行堂を建立し本人も西行塚近くに庵を置き最後を迎えそうです。
似雲法師の塚もあります。
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