克ちゃんのスロースローライフ

金は無いが 時間と体力は十分あり。

下り坂の人生を「ゆっくり・のんびり」

    今が「青春」と前進中

遅すぎた棚田の風景

2021-10-10 15:28:00 | ボタリング

ある人のブログを拝見。棚田は千早赤坂村に行かなくても河内長野にも

いい風景があるとの情報により先日、自転車で南部の田園地帯を回った。

自宅を出てサイクル道を天見まで行き流谷から行司河原分岐まで、その後帰宅しましたが

黄金色の棚田に期待したがすでに刈り取りは終了、残念でした。

しかし、スマホなどで見守り隊の途中に寫した写真を申し訳なく投稿します。

稲の刈り取りも、地域により大きく変わることも実感しました。

撮影場所は省略~惣代地区南部

廃屋

この地域からアベノハルカスも遠くに見える

しらさぎが一羽

岩瀬の南海高野線沿いの棚田

平成26年観光写真応募で入賞した当時の同じ場所

空き地に置かれたおおきな釜~地域で聞くと、釜を置かれた人は不明で何に使われていたかも

不明

いつも見事な棚田も刈り取りが終わりすでに緑色に

スマホ写真~8日撮影

 

晴天に恵まれた昨日と今日あたりで稲の刈り取りは終わっているでしょう。

来年は、時期を失わないように~乞うご期待を

 


大阪府で唯一の村「千早赤坂村」

2021-09-24 20:08:27 | ボタリング

23日の「秋分の日」快晴恵まれ久振りに愛車の自転車「ロードバイク」にまたがり

千早赤坂村までボタリングをした。アップダウンの続く山道を2時間余りかけ村についた。

77歳「喜寿」の年には山道はきつい。服装は20歳に負けないスタイルであるが、再三の押し歩きです。

村では、久振りの友人宅を訪ね、近況を話しコロナが落ち着いたら再会を約し別れた。その後

楠木正成600年記念塔に立ち寄り、建水分神社にお参り後、村を後にした。帰宅途中に富田林にある

「腰神神社」お参りし無事に帰宅した。走行距離は31キロであったが、自宅を出てから7時間を要した。

 

数年前に立ち寄った桜の老木したの彼岸花地~やや寂しい感じ

中津原地区の旧家の佇まい

千早赤坂村二河原辺にある奉建塔

奉建塔から北方向の眺め

楠木氏の氏神である建水分神社

帰宅途中に振り返れば金剛山と葛城山

中央のふたこぶの山は二上山

富田林市嬉にある腰神神社

今回の走行経路

奉建塔に書かれている「非・理・法・権・天」について

 意味することは、「非は理の勝てず、理は法に勝てず、法は権に勝てず、法は天に勝てず」で

 最後の天は天道を意味すると解釈され、楠木精神は至上万能の神に従って行動する説く言葉。

 特攻隊や戦艦大和が出撃の際、これを旗印として掲げられた。

 

 

 

 


早苗とこうや号

2021-06-12 15:49:33 | ボタリング

奥河内(河内長野)もほとんどの農家も田植えが終わりホットされている

頃と思います。ただやや雨不足の声も聞きます。

先日は、河内長野市の南「岩瀬」に田植えの終った田んぼとこうや号の写真撮影に

行きました。田植えの終った直後であり水面もきれいでしたが、いい写真ではありませんが

数枚投稿します。

こうや号

新しい型のこうや号

普通車両

 

高野山に向かう電車でしたが、乗客は皆無で寂しい感じです。早くコロナが終息し高野山に

向かわれる乗客に手を振って挨拶をしたいです。

 


コロナ禍の河川敷

2021-04-27 10:37:52 | ボタリング

先日の日曜日、久しぶりにサイクルロードを散走した。

ぽかぽか陽気の晴天下、いつもであれば、多くの家族ずれが三々五々と

楽しんでおられるが人影も少なく、なぜか、悠々と流れる石川も水がほとんどなく

一層にコロナの蔓延を患いているように思えた。

3回目の緊急事態宣言、5月11日の解除日がいかがなものか思慮する。

村中のレンゲ田

河川敷~人もまばら

甲羅干しするカメの親子(手前)

青空に綿雲

この木なんの樹

西行法師終焉の地がある弘川寺も近くにあり河川敷に西行の句が20点展示されている。

河川敷から二上山を望む~不運の死を遂げた天武天皇の皇子大津の皇子が眠る雄岳

サイクル橋

PL教団の塔とサイクル橋

石川の南方面の眺め

羽曳野市までサイクルロードを走ったが、久々であり疲れが出ました。

ゆっくり休みます。

 

 

 

 


尾張徳川家2代藩主の墓所へ

2020-12-31 09:32:57 | ボタリング

五年ぶりに、柏原市玉手山の安福寺に行った。紅葉の時期に行くつもりであったが都合がつかず

12月27日に久しぶりに自転車散歩としゃれ込んだ。今回は特に墓所で「徳川家家紋入りの

大名陣笠」を墓石と一緒に撮影したい気持ちにかられた。

2代藩主は元禄13年(1700年10月16日)に76歳で死亡している。正室は3代将軍家光の

娘である。安福寺は、尾張徳川家の支援を受けたり特に光友公は住職の学徳を尊敬していたこと等から

墓所となった。

徳川光友公の墓所

 中央が光友公、左が婦人、右が嫡子の墓石

            

    墓石の家紋と大名陣笠

     

 安福寺の屋根瓦はすべて徳川の家紋入り

 玉手山は安福寺の境内であった。特にこの地で大阪夏の陣の戦いがあり豊臣方として

 奮戦し死亡した後藤又兵衛基次の石碑もある。

 帰宅時に見た不思議な雲

 

このブログが今年の最後です。走行距離40キロ、5時間の師走の自転車旅でした。

古物店で購入した、大名陣笠をバックに入れ安福寺まで行き尾張徳川光友公の墓前に

御供したことで少し心が癒された気持ちになりました。