徳川方の奥田三郎右衛門忠次の墓所碑から坂道を下り途中の小松山合戦場を過ぎて
暫く下ると、道路の左側に安福寺に入る参道がある。参道の両側岩盤には無数の横穴が掘られて
おり、古墳時代後期(1400年前)のお墓のあとで岩盤にマンションのように35基の横穴がある。
大阪府内では柏原市のみで安福寺横穴群として貴重な文化財です。さらに参道を上ると安福寺です。
安福寺は奈良時代のそう行基の創立で中世には荒れ果てていたそうですが、寛文年間に
浄土宗の珂憶上人によって再興されました。徳川家康の孫である尾張徳川家2代藩主・光友が
珂憶の学徳を慕って帰依し、安福寺の再建に力を貸しました。その後も安福寺に寄進を続け
牡丹絵巻絵巻硯箱等重要文化財の指定も受けています。こうしたことから境内の最高所に光友の
廟所があります。玉手山公園も安福寺の境内だそうです。
安福寺横穴古墳群
安福寺山門
境内の木々の紅葉~晩秋にふさわしい景色でした。
境内の最高所にある尾張徳川家2代藩主の墓所
左が夫人 中央が光友公 右が嫡子の墓碑
光友公の墓所下に並ぶ墓石~かなり古い墓石が並んでおり歴史を感じさせる
以前にも訪れた寺院ですが、晩秋は初めてで訪れる人も少なく静かな山中にある寺院です。
最初の小さな山門をくぐった参道の両側にある横穴群は、凝灰岩をくり抜き中に石棺や陶器が見つかっており
大阪府の史跡に指定されています。