克ちゃんのスロースローライフ

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玉手山散策(パート2)~尾張徳川家二代藩主の墓所(安福寺)

2016-11-24 14:50:51 | ポタリング日記

 徳川方の奥田三郎右衛門忠次の墓所碑から坂道を下り途中の小松山合戦場を過ぎて

暫く下ると、道路の左側に安福寺に入る参道がある。参道の両側岩盤には無数の横穴が掘られて

おり、古墳時代後期(1400年前)のお墓のあとで岩盤にマンションのように35基の横穴がある。

大阪府内では柏原市のみで安福寺横穴群として貴重な文化財です。さらに参道を上ると安福寺です。

 

 安福寺は奈良時代のそう行基の創立で中世には荒れ果てていたそうですが、寛文年間に

浄土宗の珂憶上人によって再興されました。徳川家康の孫である尾張徳川家2代藩主・光友が

珂憶の学徳を慕って帰依し、安福寺の再建に力を貸しました。その後も安福寺に寄進を続け

牡丹絵巻絵巻硯箱等重要文化財の指定も受けています。こうしたことから境内の最高所に光友の

廟所があります。玉手山公園も安福寺の境内だそうです。

安福寺横穴古墳群

安福寺山門

境内の木々の紅葉~晩秋にふさわしい景色でした。

境内の最高所にある尾張徳川家2代藩主の墓所

左が夫人 中央が光友公 右が嫡子の墓碑

光友公の墓所下に並ぶ墓石~かなり古い墓石が並んでおり歴史を感じさせる

 

 以前にも訪れた寺院ですが、晩秋は初めてで訪れる人も少なく静かな山中にある寺院です。

 最初の小さな山門をくぐった参道の両側にある横穴群は、凝灰岩をくり抜き中に石棺や陶器が見つかっており

 大阪府の史跡に指定されています。

 

 


大阪夏の陣の激戦地玉手山周辺散策

2016-11-23 12:00:13 | つれづれ日記

 先日の新聞報道で「後藤又兵衛壮烈な最後」の報道もあり久し振りに玉手山を

訪ねた。玉手山は、以前「玉手山遊園地」として近鉄電車が全国で2番目、西日本で

最初の遊園地として明治41年に開園したが、時代の波に押され平成10年5月に閉園

その後柏原市に移譲した。公園内には尾張徳川家の墓所「安福寺」や後藤又兵衛の碑がある。

 

 俳人、小林一茶が当時の景勝地玉手山に2回立ち寄り句を残している。このブログにお立ち寄り頂いた

皆様にしばし、小林一茶の玉手山に対する思いをお聞きください。

 彼の著書「西国紀行」の一節に

   寺は、道明寺という。わずかに行けば、玉手山 尾張公(徳川家)の墓所あり。

   竜眼肉の木ありて、このかいわい景勝地なり。かつらぎ山も見ゆ 山であそぶ人が

   ところ処でつどう。下山して遠望す

 と玉手山に遊び又、後藤又兵衛の墓に参り、南に連なる葛城、金剛山を眺め旅のひと時を過ごした

 様子が覗われる。この地で詠んだ句に

      雲折々に 適に 青葉みゆ 玉手山

      初セミや 人 松 陰を したう此

 と詠んでいる。

  後藤又兵衛基次の碑

   ご存知の通り後藤又兵衛は1615年大阪夏の陣で徳川方2万人を相手に部下2,800人と

   この一帯で戦った。又兵衛は激戦の際に敵の銃弾に倒れ、家臣の吉村武右衛門に介錯をしてもらい

   はてたとある。 その詳細は不明であったが、最近、最後の様子を記したメモ書きが京都府内で見つかった。

   又兵衛と共に戦った、金万平右衛門の子孫が保管していた「後藤又兵衛討死之時」に詳しく記されており

   貴重な資料とされる。

 

 武将 吉村武右衛門の碑~後藤又兵衛の横に建立されている。

   後藤又兵衛基次の介錯をしたとされる武将

大阪夏の陣供養塔

徳川、豊臣方両軍のがこの周辺で激しく戦い多数の戦死者が出た。これを弔うため、安福寺を再興した

珂憶上人が建立しました。

攻防の激戦地 小松山

小松山は4世紀ごろの前方後円墳(墳丘長110㍍)で貴重な埴輪等が出ています。

墳頂部は奥田忠次の墓があるが、個人の私有地であり調査はされていません。

徳川方が攻めてきた藤井寺、道明寺方面  小松山から望む~前方下方に静かに石川が流れる

小松山古戦場跡碑

小松山頂上に建つ奥田三郎右衛門忠次の墓

徳川方侍大将の奥田三郎右衛門忠次は小松山を占拠した後藤又兵衛を国分方面より攻めたがあえなく

討死した。家来5名と共に供養塔にその名が刻まれています。

 

次回は、尾張徳川家の墓所である安福寺について更新します。モミジのきれいなところです。


林道加賀田・滝畑線

2016-11-19 16:06:17 | ボタリング

 奥河内河内長野市南部の山も紅葉が始まりました。

先日、我が家から時計回りにカメラを持って南側の岩湧山のふもとから滝畑に

通じる、林道の加賀田・滝畑線をぶらりと散策した。こう配の急な車一台がやっと通行

出来る山間道路です。

標高300~400㍍の山間地で民家も点在している地域もあり童謡の「里の秋」が

ぴったりのと地域です。青空に映える山頂の奇岩も目を楽しませてくれた。

 

 地球の温暖化現象で最近この地域も雪が降ることは余りなくなりましたが、最近では

平成14年2月に大雪に見舞われたことがあります。恐らくこの地域では30センチ位は

積もったでしょう。今年は、寒い冬になりそうとの情報もあり、「備えあれば憂いなし」早々と

昨日スタットレスタイヤに入れ替えました。

 


第33回「日本菊花全国大会」(和泉市~国華園和泉本店)       11月14日

2016-11-15 11:56:01 | つれづれ日記

  昨日、ご近所のご夫婦の方と和泉市の「国華園本店」で開催中の第33回

「日本菊花全国大会」の観賞に行った。全国各地から精根込めて1年間手塩にかけて

育てられた見事な菊に圧倒された。特に、特作花壇の部では巨大な大型懸崖や山麓風景や

動物・昆虫を見事に菊で表現されたもので遠くは新潟県等から一日がかりで搬入された

苦労と菊作りの名人の労作に圧倒された。久振りに菊の香りに包まれた晩秋の一日を過ごした。

特作花壇の部

貝塚市長賞

衆議院議員賞

 内閣総理大臣賞~菊の株は1本で何故三色の花を咲かせたのか不思議?

動物や昆虫を見事に表現されていた。

見事な懸崖菊

三本立花壇の部

盆栽花壇の部

 

 この他に福助花壇の部、三本立単鉢の部、小品盆栽花壇の部等見事な花が展示されていた。

 展示者の方は、この大会が終わると、早速来年の大会に向け1年間我が子同然に育てられてられる苦労を

 思うと、来年も是非、見事な日本一の菊を観賞させてほしい。


流山八幡宮の紅葉

2016-11-12 10:41:05 | ポタリング日記

立冬を過ぎて寒さが一段と増した感じがする。

昨日、久しぶりに河内長野市の天見にある通称流山八幡宮に行った。

この神社は、京都の石清水八幡宮の別宮で鎌倉時代の創建だそうです。

境内にある「いちょう」は樹齢300年を超えた大木で大阪府の天然記念物に

指定されている。イチョウの黄色の絨毯はまだ時期が早いがモミジは見ごろの

状態で午後の日差しを受け静かな晩秋を迎えていた。

 

天然記念物の大イチョウ

 

大イチョウの根っこあたりが黄色の絨毯で埋まるころは、11月の末頃で寒さも一段と厳しくなっているでしょう。