克ちゃんのスロースローライフ

金は無いが 時間と体力は十分あり。

下り坂の人生を「ゆっくり・のんびり」

    今が「青春」と前進中

葛城古道~写真クラブ

2021-10-03 16:38:10 | 歴史散歩

2日の土曜日に写真クラブは葛城古道を歩きました。

南海・近鉄電車を乗り継ぎ御所駅で下車し、神社・仏閣を目指して歩きました。

最高の秋晴れに恵まれ黄金色に輝く、のどかな田園風景を眺めながら歩きました。

計画では、高鴨神社まで行き風の森バス停から御所駅まで帰る予定でしたが、疲れもあり

古道の中間付近から小殿バス停に出て御所駅まで帰り帰路につきました。

約5㌔の曲がりくねった古道を5時間あまり歩き、暑さもありみんな疲れた様でした。

しかし、無事に元気で河内長野まで帰りました。

 

野辺の草と花                  へちまの棚にかぼちゃなっていた

 

のどかな風景

                             猫も歓迎?

 

旧家も廃屋に~時代の波が葛城にも

鴨山口神社

 

農家の家も近代的に建て替えられている

大和三山も見られた~畝傍山・天香久山・耳成山

水番の時計~水の浸透が早いので時計に合わせて水番の人が水の流す方向を調節した

 

第2代天皇綏靖天皇の高丘宮跡~右側の広い標板当たり

ため池に広がる藻~水面が光り見た目はきれいでした

 

一言主神社の樹齢1200年のイチョウの木    ムクロジの木~昔の羽根突きに羽の黒い実

 

   

昼食後の参加者の記念写真~全員元気で最高の歓びの顔

今日、10月3日は、結婚52年目の記念すべき日です。細やかに家内とお祝いをしました。


源氏三代の墓と壺井八幡宮

2021-08-04 11:16:10 | 歴史散歩

前回は源氏三代の墓と菩提寺の通法寺跡を投稿しました。同じ日に「壺井八幡宮」にも

参拝したので今回は壺井八幡宮について投稿します。

壺井八幡宮は、鎌倉幕府の創始者源頼朝が八幡太郎源義家皇の四代の孫であり室町将軍家

足利氏さらに徳川将軍家も義家皇の流れを汲んでいます。義家公の祖父頼信が壺井に館を構え

河内源氏の祖となった。1020年に多田満仲公の四男が河内の守に任じられこの地に館を

構えた。通法寺跡から北に歩いて20分の地にある。

壺井八幡宮~正面の八幡宮には徳川の葵の家紋が記されており徳川綱吉の命により再建された。

その後平成7年に当時の通りに改修されたとある。

樹齢1000年と言われる楠の大木

樹木の大きさがわかると思います。~私と比較して下さい。

 

ロードバイクで午前9時30分に自宅を出て通法寺跡・源氏四代の墓を回り壺井八幡宮から

サイクル道に出て午後4時に帰宅した。走行距離約60キロでした。


源氏三代の墓

2021-08-03 10:43:56 | 歴史散歩

 第56代清和天皇の流れを汲む武門の棟梁「清和源氏」の墓を訪ねた。

平安時代の末期に国府として河内に赴任した源頼信(河内源氏の祖)・頼義(頼信の嫡男)・義家

(頼義の子)の三代が眠る墓所が羽曳野市壺井にある。鎌倉時代に征夷大将軍になった源頼朝や義経に

繋ぐ系統である。頼義が1043年に通法寺を建立し菩提寺としたが、時代の流れで今は寺院跡には

山門と頼義の墓と鐘楼が残るのみである。近の山中に頼信・義家の墓もある。こんもりとした義家の墓所の

周囲には、古びた五輪塔が戦国時代を蘇らせてくれる。風の音と木々の擦れる音が安らぎを覚えさせてくれる。

通法寺山門~源氏・祖郷の表示

通法寺跡~奥に屋根は鐘楼

頼義の墓

説明板

通法寺から徒歩5分の山上に頼信・義家の墓

墓地には少し登る

義家の墓

五輪塔が当時の面影を残す

夏草に囲まれた頼信の墓所

大僧正隆光の墓~標板内容を抜粋すると隆光は、柳沢吉保と共に尽力し、五代将軍綱吉の学僧を

務め江戸護持院の住職でもあった。かの有名な「生類あわれもの令」を交付した。綱吉の死後

左遷され通法寺の住職となった。私見であるが、綱吉の学僧・生類あわれみの令等当時かなり活躍

した大僧正であったが、夏草に覆われた墓所でお参りする人も備えた花もなく寂しい哀れな人と

感じた。

墓所に向かう道

中央の茂った木の下が頼信の墓所

次回は源氏三代に関係ある近くの「壺井八幡宮」について投稿する。