前回に続きパート2として「雨飾山の花」と「武田信玄の隠れ湯」山田旅館を紹介
します。山は、深田久弥の100名山中、高さからいえば70番目くらいですが新潟県と
長野県の境に位置し、積雪も3メートルは下らない豪雪地で「ブナ」の木も雪のため
大きく曲がっているのを多数見かけました。そんな中で、ひと時の夏に咲く花は可憐で
山によく溶け込んでいました。
又、山田旅館は430年前から湧出する「ナトリュウム炭酸水素塩泉」で旅館も江戸期に
建築され本館を含む7棟は国の「登録有形文化財」に指定されている木造3階建の
時代を感じさせてくれる温泉でした。
館内には「小谷温泉山田資料館」があり安土桃山時代からの古文書や西郷隆盛の弟
西郷従道が湯治中に書かれた書もありました。
登山中に見かけた花
ウスユキソウでは
シシウド
クガイソウ
名前は不明
イワギキョウでは
シモツケソウ
ミヤマコウゾリナでは
花名不明(調査不足)
きれいなちょうが花に止まっていました ~調査するもチョウの名前は判明せず
お花畑の様に色とりどりの花が咲いていました
白い花は「モミジカラマツ」ではないかと思います
葉っぱがモミジの形をしています
宿泊した小谷温泉「山田旅館」
旅館の「蔵」の様です
明治時代にドイツで開催された温泉博覧会に日本を代表する4大温泉の1つとして内務省特選で出泉された。
日本秘湯を守る会の看板
白山に登山した時に宿泊した「白山温泉永井旅館」も日本秘湯を守る会の看板が掲示されていた。
露天風呂~冬場は最高のロケーションでしょう
最後に「信州小谷温泉 大湯元 山田旅館」のパンフ
パンフの説明文によると
弘治元年(1555年)に川中島合戦のおり、武田信玄の家臣により発見され450年以上の長きにわたり
名湯と慕われ湯治宿として親しまれてきた。
パンフの前に置いている石は、私は、登山のたびにその山の小石を記念に持ち帰り「登山日・山名」を
書いて飾っています。現在、石の数は100を超えましたが、一つ一つに思い出があり私の宝物です。
後、何個に増えるか楽しみです。
します。山は、深田久弥の100名山中、高さからいえば70番目くらいですが新潟県と
長野県の境に位置し、積雪も3メートルは下らない豪雪地で「ブナ」の木も雪のため
大きく曲がっているのを多数見かけました。そんな中で、ひと時の夏に咲く花は可憐で
山によく溶け込んでいました。
又、山田旅館は430年前から湧出する「ナトリュウム炭酸水素塩泉」で旅館も江戸期に
建築され本館を含む7棟は国の「登録有形文化財」に指定されている木造3階建の
時代を感じさせてくれる温泉でした。
館内には「小谷温泉山田資料館」があり安土桃山時代からの古文書や西郷隆盛の弟
西郷従道が湯治中に書かれた書もありました。
登山中に見かけた花
ウスユキソウでは
シシウド
クガイソウ
名前は不明
イワギキョウでは
シモツケソウ
ミヤマコウゾリナでは
花名不明(調査不足)
きれいなちょうが花に止まっていました ~調査するもチョウの名前は判明せず
お花畑の様に色とりどりの花が咲いていました
白い花は「モミジカラマツ」ではないかと思います
葉っぱがモミジの形をしています
宿泊した小谷温泉「山田旅館」
旅館の「蔵」の様です
明治時代にドイツで開催された温泉博覧会に日本を代表する4大温泉の1つとして内務省特選で出泉された。
日本秘湯を守る会の看板
白山に登山した時に宿泊した「白山温泉永井旅館」も日本秘湯を守る会の看板が掲示されていた。
露天風呂~冬場は最高のロケーションでしょう
最後に「信州小谷温泉 大湯元 山田旅館」のパンフ
パンフの説明文によると
弘治元年(1555年)に川中島合戦のおり、武田信玄の家臣により発見され450年以上の長きにわたり
名湯と慕われ湯治宿として親しまれてきた。
パンフの前に置いている石は、私は、登山のたびにその山の小石を記念に持ち帰り「登山日・山名」を
書いて飾っています。現在、石の数は100を超えましたが、一つ一つに思い出があり私の宝物です。
後、何個に増えるか楽しみです。