行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・上海発】青年講師の自殺をめぐる議論について

2016-02-24 14:48:35 | 日記
19日に自殺した華東師範大学政治学部講師の江緒林に対する追悼式が23日、上海で行われ、学生や学校関係者約200人が参加した。40歳の若さである。彼は1999年、人民大学で法学を学び、北京大学で哲学の修士課程を修了した。その後、香港バプティスト大学の宗教哲学で博士号を取得。2009年から現職で、西洋政治思想史を教えていた。学生時代に天安門事件の追悼を呼びかけ、劉暁波や許志永など投獄された民主活動家への尊敬を公言していたことから、いわゆる「公共知識分子」(公知)の衰亡と関連付けられ、大きな反響を呼んだ。


(湖南省のネットに掲載された江緒林追悼の画像。「世間は冷たいが、天国には愛がある」と書かれている)

だが自殺の原因を安易に詮索するのはよくない。駆け出し記者で警察回りを回いていた時、自殺の取材をしたことがある。あるベテラン刑事から聞かされた言葉が印象的だった。

「自殺は、本人を呼び覚まして動機を聞いても『どうしてかわからない』って言うはずだよ」

確かに、本人が明確な目的を認識できていれば、自殺の大半は起きていないかも知れない。

中国の歴史上には、愛国の諫言が受け入れられず石を抱いて汨羅江に身を投げた屈原、清朝に殉じた考古学者の王国維、革命のため血を流す必要があると刑場に赴いた譚嗣同、日本での不当な扱いに「汚名を雪ぎたい」と遺書を残して大森海岸に入水した陳天華がいる。個人を超えた公の気負いを胸に、壮絶な選択の末に自尽があった。

だが昨今、何かが変わっているような気がする。中国には「見事に死ぬより、ダラダラ生きているほうがまさる(好死不如赖活著)」という言い方がある。私は、林語堂が「中国人は生活の芸術について非常によくわきまえている」(『My country and My people』)と述べたように、世界でも最も人生を楽しむすべを知っているの人々だと思ってきた。多少の不遇には、それをユーモアで笑い飛ばす知恵をもって対するのだとイメージしてきた。どうもそれが違うのだ。

大学で校舎の屋上から飛び降りる学生も増えている。一人っ子で裕福に環境に育ち、試験の点数だけを目標としてきたエリートが、予期しなかった社会の不条理や不合理、人生の挫折にぶつかり、生きる道を失ってしまう。ひ弱になっていると言ってしまえば簡単だが、拝金主義が蔓延し、法よりも権力がものを言う道徳の荒廃、信仰の不在のしわ寄せが、社会的弱者に来ていることも忘れてはならない。

江緒林は西洋の政治を学び、民主主義を理想としながらも、政治に直接かかわることには避けてきた。自分では行動できない。だからこそ投獄の道を選んだ劉暁波らに敬意を払ったのだろう。5年前、江緒林は民主派のネット(『共識網』)にこんな文章を発表している。

「正義を欠いた国であってもなお、個人として自分の尊厳を守り、将来のあるいはユートピアにある正義の国にふさわしい人となるよう努力し、良い学者になり、素晴らしい市民となり、品格を備えた人間となることはできるではないか」

彼は、不自由な国にあっても、書物の中で人類の知性と対話し、生活の質を求め、生命の意義を探究する道を選んだはずだった。息が詰まりそうになれば、知る人のいない静かな途上国にでかけ、のんびり旅行もできた。

彼はキリスト教徒だった。最後は神に自ら死を選ぶことへの許しを求めている。正義への希求に絶望し、「神よ、希望の門を開き給え・・・あぁ・・・正義・・・私は受け入れる」とチャットに書き残した。添付された自画撮りの表情は憔悴しきっている。一枚紙の遺書には、細かく手持ち財産の分配が記されているほか、最後に「私は怖い。白酒が飲みたい」と結ばれていた。か弱い人間だったのだ。

北京のエリート大学で学び、香港で博士号を取得したが、内気な性格もあり、友達や恋人には恵まれず、上海で家を持つ財力もなかった。孤児だった、うつ病だったとのうわさも流れているが、確かめようがない。

かつて政治に絶望した士大夫は農村に戻り、自然に抱かれることで人生の価値を見直した。陶淵明がその象徴である。だが中国の今の農村はどうだろうか。農村自体が疲弊し、人々を受け入れるどころか、農民が逃げ出すありさまだ。ネット空間は、慰めや骨休めの場にはなっても、避難場所にはなり得ない。逃げ込む場所のない世の中で、行き場を失った良心が自尽しているのだとしたら、それは現代社会が答えを出さなければならない。

【日中独創メディア・経済編】産みの苦しみを抱えた中国経済の現地リポート

2016-02-24 07:58:17 | 日記
先月14日、印刷が仕上がったと連絡の合った世界図書出版公司『日中関係は本当に最悪なのか 政治対立化の経済発信力』(2014 日本僑報社)の中国語版『我来中国做生意』がようやく中国国内での販売をスタートさせた。常に日中関連情報をウオッチされている日本国際貿易促進協会編集部の大谷俊典氏から「中国アマゾンにアップされています」と教えてもらい、気づいた次第である。

http://www.amazon.cn/%E6%88%91%E6%9D%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%81%9A%E7%94%9F%E6%84%8F-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%9A%86%E5%88%99/dp/B01BXR2B0A/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1456202298&sr=1-1&keywords=%E6%88%91%E6%9D%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%81%9A%E7%94%9F%E6%84%8F

同書は中国での日系ビジネスにかかわる日中の関係者30人以上が、それぞれの立場から現場の実情を伝えたリポートである。現在の日中関係は「最悪」と言われるが、経済の現場ではピンと来ない。世界最大の人口を抱える一大消費地・中国で、世界の企業と切磋琢磨の競争にさらされているのが現状である。むしろ生産拠点から消費地へ、投資から内需へと構造改革をする中で、産みの苦しみを抱える中国とどのようにかかわっていくか、という切実な問題を考えるヒントになるのではないかと思う。

中国語版が誕生する、必ずしも順調でなかった経緯についてはすでに先月14日詳述したので触れない。ただ、土壇場の最終審査で、日中歴史教科書の違いから文化の相違を語った稲葉雅人氏の「歴史的記憶を超える」と、中国官僚の米国留学の実態を描いた稲垣清氏の「中国のハーバード大研修と日中人材交流」がそれぞれ削除されたのが残念であることを改めて明記する。いつかきっと、この二つの原稿を加えた完全中国語版を発行する。あきらめないことが肝心だ。

中国での出版を受け4月2日、北京で記念講演会を行うことになった。有力執筆者の1人である蘇州石川制鉄有限公司の塩谷外司氏を招き、30年に及ぶ中国との付き合いについてお話をして頂く。同社は中国高速鉄道のレール留め金を生産する工場を持っている。30年の経験は中国が改革開放のスタートから高度成長、そして現在の経済大国化に至る道のりを映し出す。

また今回の翻訳は、日本と縁の深い中国の若者たち11人がボランティアで参加してくれた意義深いものである。代表の高華彬氏にもスピーチをお願いする。中国語版の出版を引き受けてくれた30年来の友人、李晨生(中国トーハン出版株式会社社長、NPO日中独創メディア会長)も参加することになっている。出版を含め伝統的なメディアは苦境に立たされているが、正しい情報を発信する事業の意義は失われていない。むしろその役割はより重要さを増していると考える。

塩谷氏については2014年8月24日、読売新聞国際面に掲載された拙稿を参考のために添付させて頂く。