25日午前、北京郊外の八宝山で元新華社記者、戴煌の追悼式(告別式)が開かれた(訃報については先日触れた)。入口の門には「侠肝義胆」とする故人への評が掲げられた。強きをくじき弱きを助ける義侠心をもって、正義のために勇敢にことに当たったとの意味だ。「常助人為楽」とは常に人を助けるのを喜びとしたということ。かつては「忠肝義胆」と臣下の功を称えたが、もうそういう時代ではない。
中国人社会では義侠心が非常に重んじられる。幾多の政治的動乱を経て、裏切り、だまし合いを潜り抜けてきた。やられたらやり返すのは当たり前。周囲は自分のかかわりを避け、不正義に目をふさいできた。だからこそ自分が困難な時に、同じ境遇にある者を助けることのできた人物の名をみなは忘れない。
花輪には「屈強な固い信念を貫き、天下興亡のために力を尽くし 生死をかけ勇敢に真実の報道を守る任務を担った」と書かれていた。友人なのだろう、号泣する年配の男性の写真もネットで流れている。「右派」のレッテルを張られて21年間、不遇を経験した彼の人生はまた、困難な同時代を生きた人々の記憶を呼び覚ましたに違いない。真実を追求した偉大な人物がまた1人、この世界から姿を消した。肉体は滅んだが、精神がとどまるかどうか。それは残された者たちの意識にかかっている。