行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

『FACTA』連載②「今戦争をしたら中国は清朝に逆戻りする」

2016-02-19 13:19:43 | 日記
https://facta.co.jp/article/201603025.html

『FACTA』に連載中の「底知れぬ習近平」第2回目(2月20日発売)は、習近平が2015年10月12日、党中央政治局が行った「全球治理(グローバル・ガバナンス)」に関する勉強会が終わった後、小範囲の場で語った非公式発言を軸に、国際社会における彼の現状認識を取り上げた。

「今、戦争をすれば、中国はまた清朝時代に逆戻りしてしまう」

私がある党幹部から耳打ちされた言葉だ。南シナ海の埋め立てや尖閣諸島周辺への領海侵犯など対外的な強硬さの裏には、国際情勢に対する強い不安、危機感がある。清朝は鎖国政策をとり、世界の発展から取り残される「眠れる獅子」と化した。王朝は腐敗し国内は四分五裂。それが列強の侵略を許し、半植民地化の憂き目を見た。

本音の弱音を覆い隠すように、習近平が政治、経済、文化などあらゆる分野で「自信」を語っている。年明け早々に開かれた1月12日の共産党中央規律検査委員会全体会議では、反腐敗闘争について、「決意」「成果」「ポジティブ・エネルギー(正能量)」「明るい見通し」の四つに「自信を持て」と訴えた。

「自信」は習氏が崇拝する毛沢東譲りだ。毛沢東は『西遊記』を愛読し、しばしば政治講話に引用した。抗日戦争期はファシスト侵略主義者を「今様の孫悟空」と見なし、「(孫悟空を500年間閉じ込めた)五行山となって下敷きにし、身動きできないようにする」と言い放った。蒋介石率いる国民党を追い詰めた際には、「どんな妖術を使う孫悟空にも打ち勝てる」と勝利宣言をした。

一方、習近平は党幹部を集めた会議でこう語っている。

「孫悟空が金の如意棒をひと回しすれば、三蔵法師にも妖怪や悪魔は近づけない。我々には孫悟空も如意棒もないが、誠心誠意人民に奉仕する執政党は孫悟空よりも力になり、社会主義法律体系は金の如意棒よりも役に立つ」

総書記就任後、初めて「中国の夢」をスローガンに掲げた演説でもすでに自信を鮮明にしている。
「アヘン戦争以来、170年余りの奮闘を経て、中華民族の偉大な復興は明るい前景が開けている。我々は歴史上、いかなる時期よりも中華民族の偉大な復興の目標に近づいている。歴史上、いかなる時期よりも自信を持ち、目標を実現させる能力もある」

だが自信の裏には不安がある。毛沢東は絶妙に自己分析をした。
「山にトラがいないので、サルが王を名乗る。私はそんな大王になるのではないか。私の身にはトラの気が主だが、サルの気も少しその次にある」
自信を強調すればするほど、自信のなさが透けて見える。

党理論誌『求是』1月号は習近平が昨年10月29日、党中央の重要会議で行った演説の概要を収録したが、その中でも「今後5年間、わが国の発展が直面している各方面のリスクは絶えず蓄積され、集中して現れることもある」とし、「もし重大なリスクを乗り越えられなければ、国家の安全は深刻な脅威にさらされる」と述べた。かなり率直な真情の吐露だ。「清朝への逆戻り」も決して誇張でないことがうかがえる。

未曾有のリスクに直面した習近平が口にしているのは、庶民が理解できない難解な社会主義理論ではなく、平易な古典の引用である。毛沢東は儒教などを「封建思想」として攻撃し、マルクス・レーニン主義に中国的特色を加味した独自の思想を打ち立てようとした。だが、そこまでの力を持たない習近平は「13億人、56民族が共通して受け入れる『最大公約数』」の妙薬を探した末、伝統文化としての儒教にたどり着いたと語る。

中国では今、公園の樹木や街頭の掲示板など町のあちこちに、
「和を貴しとなす」
「己の欲せざる所は人に施すなかれ」
など、なじみのある『論語』の一節が掲げられている。文化大革命時代、孔子は「孔老二(孔子家の次男)」と蔑称で呼ばれ、各地の孔子廟が破壊されたのだ。だが、同時期、農村で過ごした習近平は、素朴な農民の儒教信仰は容易に断ち切ることができないと悟ったに違いない。

習近平の古典好きは、清朝末の国難に際し、同じように伝統文化にすがった孫文を彷彿させる。「清朝への逆戻り」も孫文を意識しているかのようだ。

孫文は、国家意識に欠けた「バラバラの砂」の民族を束ねるため、儒教の経書『大学』が説く「修身・斉家・治国・平天下」(身を修め、家をととのえ、国を治めることが天下泰平につながる)を訴えた。孫文が好んで揮毫した「天下為公」(天下は万人のものである)は、儒書『礼記』による。同書は、親や子の区別なく和睦し、弱者をいたわり、それぞれが分に応じたことをなし、財貨を等しく分配されるユートピア社会を「大同の世」と描き、そこで天下為公が実現されると説く。
習近平も「修身・斉家・治国・平天下」や「天下為公」を引用し、外遊先では「大同」を連発している。大国の責任を語る一方、途上国の弱さを抱えた中国の姿は、自信と危機感を併せ持つ矛盾を抱える。「大同」は危機の時代において叫ばれ、戦争を回避するキーワードだと言える。

冒頭で取り上げた昨年10月の勉強会で、習近平はこうも語っている。

「我々がグローバル・ガバナンスにかかわる根本的な目的は、“二つの百年”目標の実現に役立てることであり、中華民族の偉大な復興という中国の夢をかなえるためだ」

軍事パレードで宣言した30万人削減を含む軍機構改革も、その目的は“二つの百年”目標の実現だと明確に言い切っている。
“二つの百年”目標とは、建党100年(2021年)にゆとりある社会(小康社会)を全面的に築き、建国100年(2049年)には富強で、民主的で、文明を備え、調和のとれた社会主義近代化国家を建設するというもの。今世紀半ばまでに先進国入りを果たすとの目標だ。

「天下為公」は一方で、民の意思に背いた統治者は天命を失い、排除される革命思想につながる。選挙を経ない中国の指導者にとって、民意に背いた公約の不履行はそのまま失脚を意味する。「もし今戦争をすれば、中国はまた清朝に逆戻りしてしまう」との危機感も現実味を帯びてくる。