行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・上海発】上海の公園に置かれた梅屋庄吉の銅像

2016-02-15 20:58:10 | 日記
上海のフランス租界・紹興路にある小さな公園「紹興公園」に梅屋庄吉の銅像が置かれている。2011年11月、長崎県が孫文と梅屋庄吉の「国境を越えた2人の友情を称え、日中両国国民の末永い友好を祈念し」て贈ったものだ。



周囲は由緒ある出版社が集まり、洒落た喫茶店が並ぶ静かな一角だ。公園自体は広くないが、近所のお年寄りにとっては貴重な集会所となっている。





梅屋夫妻は孫文の死後、その遺言によって国賓として中国に招かれた。北京に安置された孫文の遺体を南京・中山陵に移送する式典に参加し、孫文の銅像4基を中国に贈った。孫文がやり残した共和制の実現を継承するしるしとしたのだ。すでに「功利主義一遍の世相を慨し」と現実社会に嫌気が差し、引退していた梅屋の手元には十分な資金がなかった。そこで、妻が子どものために残しておいた資産を頼るしかなかった。そこまでの盟友に対する強い思いがあった。




4基の銅像は現在、南京の中山陵、広州の中山大学、黄埔軍官学校跡地、マカオの国父記念館に置かれている。

梅屋夫妻は一連の葬儀に参加した後、2年間を上海で過ごした。住まいは一時期、蒋介石の妻となった宋美齢も住んだ広い邸宅を提供された。宋靄齢がしばしば家族を上海市内に案内してくれた。要人から連日のように食事の招待を受けたことが、現存する招待状からうかがえる。中国の上層部に人脈のある梅屋を頼って、ビジネスの相談に来る日本の商社もあった。その当時の住まいがこの紹興公園近くにあったという縁がある。

中国が外国から自国の英雄の銅像を贈られ、かつその盟友の外国人の銅像まで受け入れたケースは他に例がないのではないか。2人の盟友関係がかくも強固であったことの証である。

紹興公園の前には数年前まで、上海駐在の邦人であればだれもが知っていた日本料理店「たくみ」があったが、家主との契約条件が折り合わず閉店してしまった。多くの日本人は紹興路に足を運ぶことも減ってしまっただろう。梅屋庄吉の銅像がある場所も、それと知らなければ素通りしてしまいかねないが、ずっしりと重い歴史が刻まれている。

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10日間の春節ツアーを終えて日本に戻ってきた。人民美術出版社から出す予定の写真集『孫文と梅屋庄吉』の中国語翻訳作業について、北京で有能な翻訳スタッフ2人を探し当てたことが最大の成果であった。