J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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観客の集客方法について21 【J特】

2012-08-19 00:51:39 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 事例紹介レポです。
 当ブログとも昔(2006年)から少しお付き合いのある宇都宮徹壱さんですが、最近「J2漫遊記」という事で、J2クラブを順番に紹介するコラムを出されています。宇都宮さんといえば、全国地域リーグ決勝大会など地域リーグやJFLを中心にスポット当ててこられましたが、最近はJ2なんだなと思ってしまいました。もっとも、昔から目を向けていたクラブがみんなJ2に上がっているという事もあるのかもしれません。
 「第1回」を見ると、J2に注目する点については、「J2クラブが、全国ニュースに取り上げられるケースは、経営難などのネガティブな話題が多い。J2の存在そのものを否定的に扱うことについては違和感を覚えてしまう」とあるので、もっと違う面で取り上げたいというお気持ちがあるのかなと思います。その中の第3回「水戸」編「集客ワーストからの脱却はなぜ実現したか?」がとても印象に残ったので、内容を抜粋して紹介します。
       

 J2の入場者数の落ち込みが目立つ中、唯一2ケタアップを達成しているのがJ2水戸。入場者数をこつこつと増やしていた。過去は'05年から'09年までは、5シーズン連続で平均入場者数最下位。'10年にNHK「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」に登場、その効果からかこのシーズンにJ2岐阜を抜いて、入場者数ワーストから脱出。'11年は下から3番目となり、今シーズンは13位。
   
 J2水戸の沼田社長は水戸出身で、家業である㈱ヌマタ商事の常務を務めながら'88年から水戸市サッカー協会の理事として勤務。その後、ホーリーホックの取締役となり、前社長の不祥事のために、'08年に社長に就任。
 チームの前身のFC水戸が設立されたのが'94年。水戸市在住の石山氏(故人)が、「地域に根差したサッカークラブを作ってJを目指そう」と自ら社長となって設立。FC水戸は県3部からスタートし、'97年になって旧JFLに昇格したばかりのプリマハムFC土浦を吸収合併。当時のJリーグは1部制で、旧JFLは2部に相当。設立4年目で、いきなりJリーグ入りが視野に入った事で、関係者は盛り上がったが、周囲の視線は、決して温かいものではなかったとの事。

沼田社長曰く

「水戸市の協会とは関係なく、勝手に話が進んでいた感じ。いきなり土浦からクラブを持ってきたが、ただでさえよそ者が嫌いな土地柄のため、余り馴染みのないチームを持ってきて、本当に根付くんだろうかと思った」
 沼田社長の話では、当時の水戸のフロントは、地域に根差すことの重要性をよく理解していなかった様子。どうすれば自分たちのクラブが地域に受け入れられ、そして市民から愛されるようになるのか、アイデアも発想も極めて乏しかったようです。
沼田社長曰く
「『こっちはJリーグを目指しているんだから、応援するのは当然』というスタンスであった。それは市のサッカー協会に対しても同じ。そのため『なんで、あんなやつらを応援しないといけないんだ』という空気になった。自分達も試合前日の設営で、看板を運んだりライン引きをしていたが、試合が終わっても一言の礼もなく、一緒にやろうという雰囲気はなかった。それが'97年から'98年にかけての話」

 当時の水戸は、地域に愛される存在でも、市民の誰もが知る存在でもなかった様子。ファンも付かず、行政のサポートも得られず、スポンサー企業も限られる中、Jを目指す孤独な戦いは3シーズン続きました。
 '99年、JFL(現在)からJ2昇格が決定。しかし、経営基盤も行政との関係がおよそ盤石とは言い難く、水戸市内にJ2仕様のスタジアムがなかったとか。
沼田社長曰く
「今のJのスタンスとは違って、サッカーファミリーを増やすことを、当時のJリーグは重視していたと思う。『手を挙げた仲間は、できるだけすくいあげよう』という感じで、それが水戸にとって、本当に良かったかどうかは分からない。市民はバラバラ、行政のサポートは無し、ましてや市内にはホームスタジアムがなかった」

 そこに、10年にも及ぶ水戸の停滞の原因があったと沼田社長。'08年の社長後、行政、株主、スポンサーのもとに出向いては、過去のクラブの非礼を詫び続けたとか。「ずっと放ったらかしだったので、皆さん『やっと来たか』という感じ。毎日、1時間から1時間半くらい、お説教されるというのが日課」。クラブの信頼回復に努める一方、組織の立て直しにも着手。しかし、通常イメージされる「立て直し」とは、少しばかりレベルが違っていた模様。
 当時のJリーグの由井シニアアドバイサー(現在は東京V)を招聘し、経営やガバナンスやコンプライアンスの整備等の指導を受ける。初めて就業規則を作ったが、会社としての体をなしていなく、綱渡り状態が続いている。

 集客増の要因について、はっきりこうだからとは書かれていませんが、何となく伝わってきました。「応援するのは当たり前だろ」という上から目線で、地域密着を軽視して地域から後指を差され、地元サッカー協会ともいい関係ではなかった時代を反省し、沼田社長が相手一つ一つ頭を下げていき、Jリーグから指導を受けて改革していった結果ではないのでしょうか。また、最近の監督、選手についてもある程度知名度がある人を連れてきているし、今シーズンの結果もいいし、元々地域密着型のクラブに良い成績が伴ってきたので、その部分も貢献したのかもしれませんね。ただ、水戸さんもJ2松本と同様にスタジアムのアクセスが悪く(記事参照)、同じ県に鹿島というビッグクラブがあるという不利な環境がずっと足を引っ張っていたのは事実。そこそこ人口があったり、他の競合チームがなかったり、駅から近いといった条件のところとは違うと思います。

 この「前の時代」は、あくまで一般的な話ですが、当ブログで時々触れた「わしら基準でわしらだけで」という価値観にとても近い事だと思いました。水戸さんはそこを反省され、自分本位から地域に目を向けられました。その結果、昨年末の水戸市の出資にこぎつけています。J2岡山のスタジアムイベントでも実感しましたが、行政の力は大きいと思います。
 当ブログで個人的に一番尊敬するJクラブ社長は、J2湘南の眞壁社長と言っておりますが、その相棒というか仲がいいのが水戸の沼田社長なので、とても親近感が湧きます。100年続くJクラブにしたいなら、地域を大事にする価値観が必要だと改めて思いました。
 ネット情報だったかなぁ、この「応援するのは当然」など「前の時代」のイメージ、どこかで聞いたか観たよなぁと。また、思い出したら紹介します。あと、先ほど宇都宮さんご本人に記事を確認していただきました。修正なしで良かった・・・
J2漫遊記該当ページ:http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2012/text/201207300006-spnavi_1.html
J2水戸「ワースト脱出!!1万人チャレンジDAY」関連②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20101106
        〃                      ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20110109

 話は変わり、J1の試合がありました。某黄色いチームは仙台とスコアレスドローになり、浦和に抜かれて4位に下降。やっぱ仙台さんとは相性が悪いようですね。4位に落ちたという事で、地球滅亡マジックは消滅しました。勝手にやっててすいません。今年はコスモクリーナーは登場しないのかな。 
                              
コメント
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