J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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カリスマの存在41

2006-10-29 00:13:01 | カリスマの存在
久しぶりの「オシムの言葉」の抜粋紹介です。第3章「分断された祖国」編パート2です。
 オシム率いるユーゴのクラブ・パルチザンが91年にキリン杯に招かれて、日本代表と対戦。何か縁がある話ですねー オシムは2度目の来日。日本代表の成長に内心驚いたとか。「前と違って、機動性のあるコレクトなサッカーで、将来を感じる変貌ぶりだった」と。
 しかし、翌92年欧州選手権でのユーゴ代表の快進撃とシンクロするように、ユーゴの崩壊が始まったのです。皮肉にもそれでもユーゴ代表は勝ち続ける。
90年:スロベニアとクロアチアで「国家連合案」を発表。
    スロベニアの国民投票で88%が独立賛成。
91年:マケドニア議会が主権宣言を採択。
    クロアチアで特別警察とセルビア系地元警察で住民と銃撃戦。
    スロベニアの国民投票で78%が独立賛成。
    スロベニア、クロアチアの独立宣言。
    スロベニア10日間戦争、クロアチア内戦激化。
    ボスニア・ヘルツエェゴビナで独立宣言 
           とすごい事になっていきました。
 民族籍が違うチームメート同士が、次第に内戦での地元の現実を意識しだす。それでもオシムはチームをまとめていた。すごいですよね。戦争をやっている国同士の選手を一つにまとめるなんて・・・独立宣言したクロアチア民族の代表選手が、ユーゴ代表として活躍していく。オシムの求心力でチーム内の人間関係は保持されていたが、国家の問題になるとしょうがない。次第に代表辞退していく選手が続出。「監督、自分をユーゴ代表に呼ばないで下さい」と。すいません、私には全く想像できない世界です。
「代表に行けば味方から自分の村に爆弾が落とされる」って事ですが、スゴイですよね! 「そこまでして呼べるほど私は教育のある人間じゃない」とオシム談。
 そして92年3月、「ボスニアで戦争が始まった」というニュースがオシムの耳に入ってしまった。その試合、ユーゴ連邦リーグへの抗議として後半開始後ロッカーからピッチへは出なかったそうです。故郷ボスニアでユーゴとの内戦が始まったのに、欧州選手権がすぐそこまで来ている代表チーム、リーグ戦とカップ戦が終盤の佳境を迎えているパルチザンと、オシムの仕事が続こうとしている。

第4章「サラエボ包囲戦」編に続く。そこからまた悲劇が続くのです。かわいそう。ちなみにオシム監督が93年から02年まで指揮を執った、オーストリアのシュトルム・グラーツが10月23日付けで多額の負債を抱え破産したそうです。
コメント
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