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かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

小平グリーンロードの彫刻ー3

2008年08月31日 | スケッチ、油絵、写真
可愛がられる?「老人」-斎藤素巌作

 昨日掲載の「自然科学者」の像がある同じ藤棚の下の休憩コーナーにこの「老人」像がある。
 「科学者」よりこちらの方が人気があるようだ。暑い日が続いた日にこんなハンカチをかぶせてもらっている。グリーンロードを散策する高齢者の誰かが暑くて大変だろうとやったのだろうか。制作者も怒らないだろう。
 絵画も彫刻もその芸術性の高さで強い感銘をあたえることはすばらしい。
 しかし「親しみ」をあたえることもすばらしい。

贈り物が絶えないお地蔵様ー「老人」像より人気

      

 斎藤素巌の「老人」像から少し離れてこの地蔵様が立っている。
 このグリーンロードは大正時代につくられた狭山湖(村山貯水池)から堺浄水場(武蔵堺駅の近く)までの水道路を戦後、サイクリング道路に整備したといわれる。この地蔵様は、並行して流れている玉川上水のようにこのロードが水道路だったころから、川面を眺めながら立っていたのではないだろうか?
 鼻筋など補修されており「彫刻」と比べられると冴えないが、その分親しみが湧く。帽子もガウンも時々着せかえられ、花と供物は絶えない。
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小平グリーンロードの彫刻ー2

2008年08月30日 | スケッチ、油絵、写真
斎藤素巌ー「ピエロ」
 小平駅南口から5分でグリーンロードに着くが、そこから5分、花小金井方面に向かって回田通りの交差点の広場にこのピエロがいる。
 このピエロの後ろにギャラリー「遊」があり、散策の途中でそこに展示される絵画展などを覗く人も多い。
 私も時々のぞくが、いつかギャラリー「遊」で絵画展を開きたいと思うが、ピエロにならないか心配だ。



斎藤素巌ー「自然科学者」
 いつもグリーロードを行きかう人々を観察している。ここには椅子があり一休みすることがあるが、なにか科学者と一緒に通行人を観察しているようで落ち着かない。
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小平グリーンロードの彫刻

2008年08月28日 | スケッチ、油絵、写真
斎藤素巌の「少女」

 絵に関心のある方は彫刻にも関心があるという勝手な解釈で、今日は私が週に1,2回はお目にかかっている彫刻を紹介する。ちょっと事情があって紹介する絵が間に合わないためでもあるがーー。
 紹介するのは小平グリーンロード(サイクリングロード)の小平駅から花小金井駅の間に17体展示されている斎藤素巌の彫刻。斎藤素巌は「日本近代彫刻の旗手」といわれ、大正~昭和にかけ活躍した。東京牛込生まれだが、小平で亡くなるまで制作活動を続けていた。
 我が家の菜園にちかい紫陽花公園には3体の彫像がある(1体は6月にこのブログで紹介した)。これらの彫像には菜園にくるたび会っている。

斎藤素巌ー「交通」
かってこの像は「工業、農業、商業」の3体と一緒に兜町株取引所に展示され、話題となった代表作だと言われる。
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習作ーパイナップルとほおずき

2008年08月23日 | スケッチ、油絵、写真
例会での静物の習作(水彩)

 毎月第3水曜日は絵の会(虹遊会)の例会が労金西新宿支店の一室で開かれる。
 油彩、水彩、パステルと手法もテーマもまちまちだが、自分のテーマがない人は数人で生花や果物などを共通のテーマにして描く。
 8月はそれぞれ別の人が持ってきたパイナップルとほおずきと巻き貝が机に並べられた。勝手に持ってきた3品が絵になるのも不思議。
 制作がおわると果物などは分け合ってご馳走になるのが恒例だが、今回のパイナップルは切り分けるのが大変だとやめにした。
 その代り新宿駅のちかくで暑気払いということでビールになった。参加者は男1人、女7人。話題は9月に尾瀬で予定しているスケッチ旅行の件。
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スケッチ佐渡島ー尖閣湾

2008年08月21日 | スケッチ、油絵、写真
佐渡の名勝ー尖閣湾

 日本海の荒海に削られた岩壁と透明度の高さから、尖閣湾は多くの観光客がくる佐渡の名勝。かってラジオドラマ「君の名は」の舞台として有名になり、映画でその場面が印象的であった吊り橋は、今はコンクリートになっている。
 相川の佐渡金山跡から近いので、今も観光客は多い。できれば透明度のたかいこの湾の近くにあるダイビングスポット(姫津など)で、コブダイなどと戯れたい(自分はそんな素敵なダイビングはできない)。

 「スケッチ佐渡島」シリーズは古いスケッチの寄せ集めであったが、自分にとっては思い出の数枚。
 最後に尖閣湾の絵を入れたかったので、最近、写真から制作したのがこの絵。
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8月15日ーー砂浜の白と海の青

2008年08月16日 | スケッチ、油絵、写真
佐渡・真野湾、新町の浜を望む

 8月15日ー63年前のこの日の昼。ラジオの前に集まっていた大人たちは、子供たちには理解できない放送(天皇の勅語)が終わると、戦争は終わった、日本は負けたと言った。
 大人たちは重苦しい雰囲気になっており、9歳、国民学校3年生にもことの重大さは感じられた。
 ”太平洋戦争”からは遠いと思われる日本海の孤島佐渡でも空襲にそなえ防空壕が掘られ、防火訓練がやられていた。新潟に空襲に来る敵機は佐渡にも回ってくるのだと教えられていた。
 その重ぐるしい雰囲気から逃れるように、遊び仲間たちと何時ものように真野湾は新町の浜に向かった。松林の木陰にあつまった子供たちは、白い砂浜と青い海に向いながら「敵の船はあの沖からやってくるんかのう」「上陸したどうなるんだー」など、しばらく大人のような深刻な雰囲気にあった。しかし、暑い太陽と青い海が子供たちを誘惑したので、そんな会話は続かなかった。幸い真野湾には敵の軍艦は姿を見せなかった(その後、米軍の基地になっている港を見るたびにあの時想像した「敵の軍艦の上陸」のイメージを思い出す)。
 この絵は10年くらい前の写真からのもの。63年まえはもっと松林と白浜が深く、もちろん脱衣所といった建物はなかった。海はすべて海水浴場だった。
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スケッチ佐渡島ー加茂湖と朱鷺の森

2008年08月10日 | スケッチ、油絵、写真
 加茂湖から金北山を望むー左方に朱鷺の森公園
 --朱鷺よ再び大空へーー

 新潟からの船は両津港に着くが、加茂湖は港から歩いていける距離にある。海水も出入りするこの湖は牡蠣が特産。湖面には訓練中のボートと牡蠣の棚がみえる。
 絵の左方の里山には「朱鷺の森公園」と「朱鷺保護センター」がある。
 中国の協力で生き返った佐渡の朱鷺はいまは120羽を超え、この9月25日には自然放鳥が試験的に行われる。自然放鳥の訓練が続けられていたが、いまはその10羽ほどの候補者選びが進められているという。
 朱鷺の自然放鳥のために長年、地元では自然環境復元のための取り組みが続けられているが、大学生協グループのJUON(樹恩)ネットワークもそれに協力、6年間にわたり里山保全の取り組みなどをしている。
 今年も「トキ色の島森林の学校」が8月下旬に企画されている。JUONの佐渡での取組にはかって一度参加したが、体力的に無理なので皆さんのご奮闘を祈るのみ。
 里山でのビオトープづくりなどの作業が無理の方も、「朱鷺の森公園」に付属する施設を訪ねて朱鷺に会ってほしい。
 秋になったら、朱鷺には施設ではなく、この絵にある里山で会えるようになることを祈っている。
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スケッチ佐渡・猿八集落からみた大佐渡

2008年08月09日 | スケッチ、油絵、写真
小佐渡の猿八集落から

 佐渡は大佐渡、小佐渡の2つの山脈が国仲平野と呼ばれる平野を挟んで並立している。この絵は小佐渡山脈の中腹にある猿八集落から国仲平野と大佐渡山脈を描いている。
 この猿八に早稲田大学の鳥越文蔵名誉教授寄贈による「鳥越文庫」がある。文学部演劇科の教授であり演劇博物館館長もつとめた鳥越先生は佐渡の文弥人形など伝統芸能との縁が深く、10年ほどまえに縁あって猿八の小学校廃校あとに「文庫」がつくられた。
 たまたま郷里と出身大学との関係でこの文庫づくりに関わったため、猿八は何回か訪ねている。毎年夏、「鳥越文庫」の夏期講座があり、鳥越先生などの講義とあわせ地元の人形劇団の協力による文弥人形の実演などが行われるので、それを見るためである。
「鳥越文庫」と一体で活動しているのが、先生の教え子・西橋健さんが主宰する猿八座で、その人形劇は国内だけでなく国際的にも公演活動をしている。
 今年の夏期講座には今のところ参加を決められないでいる。条件のある方はぜひ参加してください。
追記ー文弥人形のことでは猿八集落の山をこえて反対側の海岸に面した集落・野浦にも素晴らしい文弥人形の座がある。新潟の生協仲間のブログで紹介されている。野浦の文弥人形
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千羽鶴の願いー原爆の子像

2008年08月07日 | スケッチ、油絵、写真
 鶴を折りながら回復を夢見ていた佐々木禎子さんは、被爆10年で12歳の命を終えた。
 そのこと知った広島の子供たちの願いからこの像がつくられ、その後、この像のまわりには各地から持ち寄られる千羽鶴が絶えない。
 この絵を描いた夏も大勢の子供たちが訪問していた。
 サダコと千羽鶴は多くの物語、映画などになった。美保シボさん作製のアニメ「つるにのって」は生協でも多くの人々が鑑賞したが、英仏独語に訳され、海外での反核平和運動に貢献した。美保さんはフランス男性と結婚、フランスと日本を行き来して平和運動に取り組んでおり、1995年のハーグ・国際法廷の帰途、被団協の皆さんとのパリでの反核平和行動をするのに協力してもらった。
 昨日、原爆ドームのスケッチの一枚をフランスの平和運動の活動家に差し上げたと書いたが、その方は美保さんのご主人。
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非核の願いーヒロシマ

2008年08月06日 | スケッチ、油絵、写真
ヒロシマ・原爆ドーム
 
 ヒロシマは今日、被爆63年を迎えた。秋葉広島市長は平和宣言で「核兵器は廃絶されることのみに意味をもつ」とし、核廃絶を願う人や国は多数派だとしてごく少数派の核保有国の姿勢を批判した。
 原爆症認定集団訴訟は原告が10連勝し、認定審査の見直しが始まっているが、政府は原告全員の認定、救済をしようとはしていない。

 広島と長崎には学生時代に、たまたま大学生協連の全国理事会が宮崎で開催されたおり、帰路、全国理事の仲間数人と訪問している。
 原水禁運動に大学生協が取組始めた時期で、ちょうど50年まえの1958年であった。その後、地域生協あるいは東京都と全国の連合会の幹部の立場で主婦組合員の皆さんと一緒に何回も広島、長崎を訪れた。
 この絵の元になったスケッチは1995年8月5日に描いた。暑い日だった。
 それをもとに数枚描いて、同年10月、オランダ・ハーグでの国際法廷運動(核兵器の違法性を問う国際司法裁判所の傍聴と働きかけ)に参加したときに、お世話になったフランスの平和活動家などに差し上げた。そのことはハーグでのスケッチとあわせ、今年の正月、このブログで紹介した。
 この絵には「世界遺産登録を記念して」とあるので、96年の作画である。
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スケッチ佐渡島ー相川・春日埼

2008年08月03日 | スケッチ、油絵、写真
 風景は真野湾のものと似ているが、真野湾の絵の左端の岬をまわった春日埼から相川の町を望んだもの。佐渡金山の坑道はこの絵の右方の山の中から向かいの海の底深くまで走りまわっているらしい。
 この絵は鉛筆と水彩で描いており、ペンを使っていない。”水彩画”からペンをつかった”スケッチ”に変えてから、建造物の多い風景などをのぞいて、それがうまくいっていない感じがする。自分でも10年間も進歩がないのかと残念。
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スケッチ佐渡島ー真野湾5

2008年08月02日 | スケッチ、油絵、写真
真野湾から金北山

佐渡高校の「胡蝶の夢」

 今日、高校野球の全国大会が始まった。全く予想もしなかったことだが母校・県立佐渡高校が新潟代表の決勝戦を延長戦まで戦って、惜敗した。その佐渡高校はこの絵の正面の丘の中腹にある。
 佐渡高校が決勝戦に残ったというニュースを知ったとき、人口が7万人を切った佐渡に高校が5つもある、これが一つなら勝てるのにと勝手なことを考えた。昨日、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」の主人公・伊之助のことを書いたが、彼は江戸や長崎に出てその異才ぶりを歴史に残した。佐渡は古くから文化レベルが高かったとも言えるが、実態は貧しい島では教育が島人の希望であったからで、高校進学率などは昔から高かった。今年101歳になるわが母は佐渡の女学校を出て、東京・愛宕山にあった東京放送局に勤めたのが自慢である。
 そんな佐渡もスポーツは弱い。野球がうまい選手は野球の名門校に集まるが、どこからも佐渡には来ない。そんな島の高校が全国大会にでるのは「胡蝶の夢」か。
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スケッチ佐渡島ー真野湾4

2008年08月01日 | スケッチ、油絵、写真
真野新町の瓦屋根
司馬遼太郎「胡蝶の舞」の伊之助の故郷
 

 この絵の黒い瓦屋根が続く町は真野新町。描いている丘の一隅には母方の祖母のお墓があり、お盆に帰省すると訪れる。そのため、佐渡のスケッチにはこの丘からのものが多いし、暑い夏の海が多い。
 司馬遼太郎の小説「胡蝶の舞」の主人公・伊之助は幕末、この新町で生まれ育ち、長崎でボンベに蘭医学を学ぶ。そこにも書かれているが、新町は小木港に上陸した奉行など幕府の役人が相川の奉行所に行くために休んだり泊ったりした場所であり、北前船のくる商業地でもあった。伊之助の祖父は江戸で安井算知名人に囲碁を学んだというが、そのように開けた町であった。
 この絵の左の岬をまわると相川金山である。新町から相川はバスで1時間弱。
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