かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

スケッチ・けやきのある風景3 

2008年11月29日 | スケッチ、油絵、写真
 まえに小平霊園から湧き出ている黒目川のことを紹介したが、その黒目川は新青梅街道を横切って東久留米市柳窪に入る。
 その柳窪でも住宅開発が進むが、まだ大きな屋敷林も残っている。
 このスケッチの屋敷は前回紹介の小平市の竹内家以上に広大で、屋敷内にはカヤブキの古い家屋もある。周りをかこむケヤキの大木は10本を超え、竹林や屋敷内の木々もりっぱである。
 残念ながら、表札もなく、代わりに「個人宅につき無断立ち入り禁止」の看板があり、近づきがたい雰囲気。しかし、通りかかる人たちは絵を覗いて一言かけてくれる。
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紅葉の平林寺と野火止用水

2008年11月26日 | スケッチ、油絵、写真
 この間、スケッチのため野火止め用水とそれが分水される玉川上水周辺を自転車での散策を続けた。その野火止め用水が通る平林寺の紅葉がきれいと聞き、こんどは電車でJR武蔵野線・新座駅へ。
 駅前広場に野火止め用水が流れ、野火止め用水に沿った平林寺への行き方が案内されている。
 新座駅から川越街道にでて少し行くと野火止め用水を中心にした公園があり雑木林がつづく。
 平林寺の雑木林は隣接しているが門が正門いがいが開かれていなく、迂回する。 正門にはバスできた人々で賑わっていた。
 平林寺は野火止め用水を開削した川越藩主松平信綱の菩提寺。
境内に野火止め用水から引いた平林寺掘りが流れている。

       
 平林寺には学生時代にハイキングに来てフォークダンスなどを楽しんだ記憶があるが、現在の境内は雑木林が予想以上に鬱蒼としており、広場など空間がせまく感じた。
 雑木林のなかの紅葉の木は背が高く、カメラマンたちを悩ませていた。

       
 平林寺の雑木林は56Haあるという。すべてを歩くことはあきらめ、紅葉の多い林道のみあるく。
 このような立派な紅葉を写真に収めようとする人には三脚や望遠レンズをもち時間をかけてている人が多い。
 レンズを天空にむけ、条件を変えながら撮ったなかの一枚。
もう一本レンズがあればうまくいく?ーーしかし、無駄な気もする。

野火止用水
       
 平林寺を出て、雑木林の西、東久留米方面へ。新座市総合体育館のある林をすぎると野火止用水には珍しく紅葉の街路樹がつづく。
 今回の散策で「野火止」町が埼玉県の新座市に一丁目から八丁目まであり、隣接する東京都の東久留米市に一丁目から三丁目まであることが分かった。
 もともと用水ができるまでは「野火止台」と呼ばれる荒野だったらしい。
 いまは住宅地がひろがるが、用水のおかげで緑地も多い。
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スケッチ・けやきのある風景

2008年11月23日 | スケッチ、油絵、写真
 小平子供キャンプ場のケヤキ

竹内家の大ケヤキのある場所から50メートルのところに「小平子供キャンプ場」がある。
この日は夜に子供たちのための企画があるらしく、若者たちがキャンプファイヤーの準備をしていた。
街道などのケヤキと違い横に何本もの枝分かれをしているのが面白い。このまま2,30年たったら見事なケヤキになるだろう。
が、周辺をみると大木となったケヤキはみんなきつい剪定がされている。どうも
市役所の公園課?などには盆栽趣味の人が多いようで残念だ。

        
 小平中央公園で

 この日は子供キャンプ場に来る前に玉川上水沿いにある小平中央公園を訪ねた。
そこでは武蔵野美術大の学生による野外作品展がやられていた。
この写真はそのひとつ。
武蔵野美大はこの子供キャンプ場の近くにある。
小川用水には野外彫刻の展示がされているというので、次回には訪問したい。
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スケッチ小平市竹内家の大ケヤキ

2008年11月22日 | スケッチ、油絵、写真
竹内家の大ケヤキー青梅街道沿い・小川町にある。近くの神明宮や小川寺の紅葉も見どころ。


我が家のある小平市は農家の防風林として、青梅街道、東京街道の街路樹としてケヤキが多い。
なかでも小平市の保存樹のなかでも有名なのが、この竹内家の大ケヤキ。
樹齢350年以上、高さ35メートル、目通り(めの高さの周囲)6.5メートル。

これから日々に黄葉し、落葉した細かな枝の先が天をさすようになると冬である。
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スケッチ・日暮里”夕焼けだんだん”

2008年11月17日 | スケッチ、油絵、写真
”夕焼けだんだん”ー谷中銀座の方から石段を描く

日暮里駅から歩いて”夕焼けだんだん”と呼ばれているこの石段の坂を降りると谷中銀座。
一年前に日生協友の会の企画で、ここから朝倉彫塑館を訪ね、千駄木、根津、上野と散策した。
この日も高齢者の散策組が多く、谷中銀座はにぎわっていた。
石段のスケッチはその高低、傾斜角度、幅などによって正確に描くには苦労する。 
先生は「自然物とちがい階段や建物は人工物なので描きやすいはず」というが、自然の林と木々のように「適当に絵にする」わけにはいかないので大変。
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スケッチ・野火止め用水

2008年11月16日 | スケッチ、油絵、写真
野火止用水ー野火止緑地(用水をはさんで小平市、東大和市)にて

近くの秋を探して、今回は自転車で野火止め用水を訪ねた。
野火止用水は玉川上水を開削した川越藩主・松平信綱がその功績で許可され、自らの領地・野火止台(現埼玉県新座市)に玉川上水から分水したもの。
小平市から東村山市、東久留米市、新座市を通り志木市の新河岸川にそそぐ25キロの用水。
関東ローム層からなる武蔵野台は”乏水地帯”とよばれ、野火止用水は飲料・生活用水として開削され、その後、新田開発にも使われたという。
350年もの間、武蔵野台の住民の生活に貢献したこの用水は住宅等の開発が進む中で1960年代には汚染がひどく、分水も中止された。
東京都が”清流復活事業”で玉川上水を復活させたのにつづき、野火止用水も1984年に復活し、今は住民に憩いをあたえている。

白鷺も来る上流
野火止用水は新青梅街道をこえ中流になると車が走る用水通りが並行しているが、玉川上水から分かれての小平市内の上流は歩道や自転車のみの箇所が多い。
富士見橋(写真下)から車の通れない道を行くと下流で白鷺を見た。鴨と一緒に清流を楽しんでいた。

       
スケッチした野火止め緑地では水辺に降りられた。玉川上水では柵を越えて水辺に行ける場所はどこにもない。
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深川・清澄公園でのスケッチ

2008年11月08日 | スケッチ、油絵、写真
かしょうのスケッチ

 昨7日、東協連友の会の深川散策の会に参加した。
門前仲町駅から深川不動堂、富岡八幡宮、深川江戸資料館、清澄公園と散策し、ドジョウ料理で打ち上げという楽しい企画だった。
 江東区のボランティアガイドの方や地元の生協OBのガイドもあり、18人の参加者は満足。
心配していた天気も回復したので、この企画に参加していた虹遊会メンバーの板倉さん、藤岡さんともう一度清澄公園にもどってスケッチに挑戦。

 藤岡武義さんのスケッチ

   
 
 
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スケッチ・愛宕山の男坂

2008年11月03日 | スケッチ、油絵、写真
   愛宕山ー愛宕神社の男坂
 愛宕山は東京23区でもっとも高い山だというが、海抜26メーター。江戸に幕府を開いた家康がここに愛宕神社を建立、その正面が男坂の石段。(右に女坂がある。)
 愛宕山は広重の版画にあるというが記憶にない。今は高層ビルが邪魔して愛宕山の全貌はどこからも見られないので、スケッチは難しい急坂の石段に挑戦した。

 この急坂の石段を徳川家光の命で曲垣平九郎が馬での上り下りに成功し出世したため、この坂は"出世坂"と言われているという。
 その故事によって開設間もないNHKは初めてのラジオでの実況中継で、当時の名騎手に乗馬での石段の上り下りをやって成功したという。登りは出来ても降りは無理ではないかと思われるほど急である。

   愛宕山にあるNHK放送博物館--後ろの愛宕MORIタワーなどは平地にある。

 スケッチのあと、愛宕トンネルの脇にあるエレベーターで昇ってNHK放送博物館を訪ねた。
愛宕山時代の資料も放送資材なども含めて展示されていたが、若い女性事務職が働いていた状況を知る資料はなく、そこから母がNHKで働いていた姿を推測すことは無理だった。
 ここでのスケッチや放送博物館の内外で撮った写真を佐渡に帰省の折に母に見せたいと思う。 が、すでに百歳にふさわしく呆けている母はこのスケッチで若いころの東京を思い出すことになるか?自信はない。
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スケッチ・港区愛宕山

2008年11月02日 | スケッチ、油絵、写真
        愛宕山の女坂

 野外スケッチの会の階段坂のシリーズで港区の愛宕山に行って、スケッチした。
 この愛宕山はNHKが大正14年に放送を始めた場所であり、現在は愛宕神社ととともにNHK放送博物館がある。
 実は我が母は佐渡の女学校を卒業すると上京し、放送を開始して間もないJOAKに勤め、契約者の管理事務といったことに携わったということで、NHKは愛宕山にあったという話は母から聞いていた。
 母は昨年、百歳を迎えたので80年も前の話である。
 私が就職した当時(東京タワーができて間もない頃)の日本生協連は新橋田村町にあり、NHKはすぐ近い内幸町にあった。愛宕山が近いことは知っていたが、そこにあるNHK博物館を訪ねることはなかった。
 今は高層ビルに囲まれているが、当時は都心部にある丘というより小山であり、東京タワーといったものを造らなくとも電波を流せた場所だったのであろう。
 愛宕神社にお参りするには絵に描いた男坂、女坂があり、他に2か所の階段と愛宕山トンネルの近くにエレベーターがある。エテベーレターで登る山とはさすが東京都心部の名所である。
 
 
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