かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

ブログ1ヶ月

2007年09月30日 | スケッチ、油絵、写真
ブログをはじめて1ヶ月。感想の一つを前回書いたが、どうも「可笑記」にこだわりすぎたようだ。

実は、この間日記や随筆風のものよりも社会・政治に関するブログやホームページを読む方が多かった。参議院選挙の自民党の大敗、阿倍首相の突然の退陣と福田首相の誕生など、あれこれの個人やグループの意見、反応は面白かった。多分、ブログをはじめインターネットの諸機能は社会・政治の動向に今後ますます影響を強めるだろうと思った。

ちなみに、個人的なブログ以外で私の「お気に入り」にあるのは、新書版「みんなの9条」で知った「magazine9」や知人が参加している「リベラル21」、生協関係の「JUONNETWORK」「coop9jyo」などである。

最近はアクセス数が6万件を超えたという「ポラリスーある日本共産党支部のブログ」も「お気に入り」に入った。政党や議員のブログは多いが、この種のものは珍しい。「ポラリス」は「他の支部の皆さんもブログを開設、交流を」と呼びかけているが、広がっているのかどうかは分からない。

ところで、こんなブログ初心者の感想等を読んでもらいたいのは70歳前後の私の仲間なのだが、このブログを覗いている人は予想どおり少ない。経済格差の拡大ほど深刻ではないが、情報格差はひろがっている



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「夏の海」と「わたげ」?

2007年09月29日 | スケッチ、油絵、写真

先週、私の親しくしている生協のOB仲間が運営しているNPO法人東京福祉環境会議のデイケアーセンター「わたげ」が開設1周年を迎えた。開設時からホームに飾る絵を提供する約束であったが、1周年記念日にやっと約束を果たした。

「わたげ」の名と施設にふさわしい、白い花の咲く温かみのある絵をイメージしていたのが、なかなか描けず、かって描きかけになっていた海の絵を描き直しての提供となった。半年後には新しい絵と取替えたいと思っている。

民間の大手介護事業会社が不始末をして撤退するといった状況が示すとおり、利用者に喜ばれる親切な介護事業をやり遂げるのは大変なこと。練馬区の関町にあるこの施設は1年で立派に利用者に喜ばれる運営がされている。
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ブログの世界ー可笑記、徒然草、土佐日記

2007年09月25日 | スケッチ、油絵、写真
このブログ開設のおり、表題を自分のかっての愛称「かしょう」から「可笑」→「可笑記」と考えたと述べた。

ブログ初心者は「まず、いろいろなブログをのぞいたらいい」と教えられ、いくつか覗いたところで、それはまず、今風な気ままな随筆だと感じた。「つれづれなるままに、硯にむかい」が「つれづれなるままに、パソコンにむかう」現代の「徒然草」だと。

「徒然草」の吉田兼好の実名はト部兼好だが、ブログの投稿者はペンネームが多い。「土佐日記」では、筆者・紀貫之は「男が書く日記なるものを女の私もかいてみよう」と性まで変えて旅日記をつづっている。こんな日記もブログには沢山ありそうだ。

なら、私のブログの表題は「可笑記」もあるかと考えたが・・・。
「可笑記」は寛永年間(1640年代)に如儡子によって書かれた随筆風仮名草子である。如儡子=斎藤親盛は取り潰しをうけた最上家の家臣で、浪人中にこれを書いたという。内容は当時の藩と武士社会を風刺したものが多く、現代でいうと会社社会とそのトップと社員そして非正規職員=浪人のことにつながる論がある。儒教的な真面目さの多いもので、「可笑記」というほど面白いものではない。

土佐日記はかげろう日記、和泉式部日記、紫式部日記などほんものの女性による日記=女流文学に大きな影響を与えた。徒然草は枕草子、方丈記とならぶ3大随筆である。それらに比べると可笑記は評価は低い。

ブログの世界をのぞいての感想。今、毎日投稿されて沢山の日記、随筆には後世に「ブログ文学」として評価されるものがあるのではないかと感じている。しかし、自分には、偽「可笑記」も書けないようだ。
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隅田川・吾妻橋

2007年09月20日 | スケッチ、油絵、写真
牛嶋神社大祭の帰り、対岸にわたり隅田川に架かる吾妻橋をスケッチ。
6月のパリ・セーヌ河は時おり小雨がぱらつき寒かったが、適当なマロニエの木陰とベンチが随所にあり助かった。が、9月の隅田川の河畔は暑く、場所探しに苦労した。

セーヌ河畔では対岸には古い石作りの建築物がならぶが、隅田川の対岸は有名な桜並木も高速道路に遮られ、風情を欠く。しかし、一時期にくらべ川面はきれいになり、限られた場所だが河畔の散策も楽しめるように整備されていた。
吾妻橋の赤、駒形橋の青・・・視点と腕がよければ、隅田川らしい風情のある絵が描けるはず、と少し反省。
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牛嶋神社ー続き

2007年09月18日 | スケッチ、油絵、写真
牛嶋神社の人気者
隅田公園に鎮座する牛嶋神社には狛犬とともに狛牛も礼拝者を迎える。堀辰雄がその眼がメランコリックだと言った「撫で牛」は可愛いが、幼子には怖かったようだ。撫でた所が良くなるというので、頭を撫でたが、多くの人がそうするらしく、頭が光っていた。
牛嶋神社が創建された1150年前、この向島や両国界隈には牛が飼われる牧場があったという。今はどうか?久しぶりに隅田川界隈を歩く。



浅草寺
電気ブランで有名な神谷バーで食事。電気ブランを一杯いただき、浅草寺は仲見世通りを人ごみに揉まれながら通りぬける。観光客のあまり居ない寺院の裏手に廻り、雷門とはちがう写真を撮る。



吾妻橋
牛嶋神社の対岸にある墨田公園を言問橋から吾妻橋に向かって散策。木陰があり、スケッチの出来る場所と決めたところからの一枚。逆光ぎみだが、吾妻橋の赤がよかった。
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東京下町の牛嶋神社大祭

2007年09月17日 | スケッチ、油絵、写真
北海道の従兄が、娘夫妻が住む下町の牛嶋神社の大祭を見に来たから一緒にと誘われ、16日の昼まえ、牛嶋神社のある隅田公園で落ち合った。その娘夫妻も道産子だが、住んでいる業平1丁目の名前を染め抜いたハッピを持参、私もハッピ姿で祭りに参加することになった。

牛嶋神社は本所の総鎮守で860年創建という歴史をもち、今年は5年に一度の大祭で周辺10町から50の神輿が集まるという。同じ東京でも自分の住む小平は武蔵野の開拓地で歴史はあさく、こんな大祭はない。



本所、向島、東駒方、業平など10町のさらにその丁ごとにある神輿が、それぞれの町から集まり、順次、神前に奉納される。この日は暑く、行進中の神輿はもちろん、隅田公園のそとの三目通りで順番をまつ神輿も、その大勢の担ぎ手は汗だくだった。



昼前11時に8番めに奉納の神輿の写真を撮り、2時ころ19番めの神輿の写真を地下鉄本所吾妻橋駅ちかくで撮って、「業壱」のハッピを脱いだ。さまざまな意匠の神輿とハッピ姿の50組をまとめて写真にするチャンスであったが、暑さとビールの魅力に負けた。



15日には福島から借りてきた牛による牛車が人気を呼んだといい、今日17日も〆の祭りが続いているという。
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ピレネー・南仏の旅ー最終回

2007年09月16日 | スケッチ、油絵、写真

セーヌ河畔にて

モンマルトルでのスケッチのあとサンレ・クール寺院からパリ市街を見ながらぶらぶら降りて「kinntarou」で変な日本食をとる。地下鉄を乗り継いでオルセー美術館へ。A君が美術鑑賞をしている間に、近くでスケッチをする予定だったが、オルセー美術館の前は大変な行列。なかなか動かないのをみて、A君も一緒にセーヌ河畔に降りる。

A君がルーブル美術館周辺などの散歩中に描いたのが、このスケッチ。この日夕刻には日本に向けて飛び立ったので、これがこの旅での最後のスケッチとなった。

この旅では「1日1枚」とはいかなかったものの、ほぼ日数分の絵が描けて良かった。スケッチのために観光としては廻れない箇所もあったが、スケッチをしたり、しようとしたお陰で「思い出」が今まで以上に強いのも成果。また、これまでの海外旅行のように酒を飲みすぎたり、無駄な買い物をしないで済んだことも成果だった。

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友人たちの絵

2007年09月15日 | スケッチ、油絵、写真
この間、京橋のギャラリーで開かれた二つの絵画展をみた。一つは中学生のころからの友人がスケッチ仲間と参加した「アンダルシア・スケッチ旅行帰国展」。絵の先生が同行したスケッチ仲間の現地でのスケッチの帰国展であり、多分、メンバーは絵が好きな素人画家だと思われるが、素人離れした傑作が多かった。スケッチのための旅と旅のついでのスケッチの差も感じたが、海外はもちろん国内でのスケッチ旅行もそんなに考えられない。やせ我慢して、のぞましいのは「OOのついでのスケッチ」でも納得のいくレベルになることだ、と考えた。が、そうなるのは何時の日か?

もう一つは生協OBの絵の会の仲間の一人が参加しているグループのもので、こちらは油彩、パステル、水彩、具象、抽象とさまざまで、これも参考になった。

先日、NHKの「ためしてガッテン」で、美術館の楽しみ方を放映していたが、そこでは「この絵を買う」といった動機を持つことが大切だと主張されていた。そのとおり「この人より上手くなりたい」といった「理由」をもって絵をみると楽しいということが、この2つの絵画展で実感された。
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ピレネー・南仏の旅ーパリ1

2007年09月15日 | スケッチ、油絵、写真

 

パリ・モンマルトルの丘 

旅はアルルのあとローマ時代の水道橋ポン・デュガールを観光、アヴィニヨンでは旧法王庁宮殿などを訪ね、さらにモンサンミッシェルに向かった。モンサンミッシェルではバスの中から描いたが、構図が気に入らない。

この間「毎日一枚」が実現せず、最終日のパリでは、幸い自由行動なので頑張ることにする。まず、大胆にも似顔絵描きの集まるモンマルトルの丘のカフェテラスでスケッチブックを広げる。

一緒に並んでコーヒーを飲むA君は「私の似顔絵を描いてと言って来たらどうする?」と冷やかしたが、不幸にして誰も立ち止まらなかった。

近くで一番人気のあったのは日本人アーチストであったが、彼は似顔絵描きではなく、似顔紙切りだった。

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ピレネー・南仏の旅ー5+α

2007年09月10日 | スケッチ、油絵、写真
アルルの円形競技場(油彩)

アルルにあるローマ時代の円形競技場はローマでみた遺跡にくらべ、なにか新らしく整然とした感じを与える。ガイドによると歴史を経て欠落した箇所などの補修を続けているということで、確かに石積みに色のちがいなどもあった。

この絵は帰国後に前掲のスケッチと写真をみながら油彩画にしたもの。油彩にはのべ1週間くらいかかったが、生協のOB仲間の「絵の会」では「スケッチの方が良いね」ときびしい評価。現地も円形競技場が建設された古代の雰囲気はすくなく、観光地化しているが、この絵も古代ローマ時代の雰囲気が不足なのがかなしい。
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ピレネー・南仏の旅ー5

2007年09月09日 | スケッチ、油絵、写真

アルルの円形劇場

アルルといえば私にとってゴッホですが、有名な跳ね橋や入院していた病院などは廻りましたが、気はずかしく、時間もなくスケッチはしませんでした。この絵もあとで仕上げたものですが、世界遺産になっているローマ時代の円形競技場の重厚さは油絵にふさわしいものでした。その思いから、帰国後、この絵をもとに油絵に挑戦しました。

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9・9・9の9条

2007年09月09日 | スケッチ、油絵、写真
今日9月9日9時に憲法9条守ろうのメールやブログ投稿を一斉にやろうという動きがあることが朝日新聞にのったので、私も試みようと思っていました。が、我が家に朝から小台風がきてできませんでした。3歳と1歳半の孫の襲来とたまたま我が家から徒歩5分のところにある天神様のお祭りのせいで、孫たちが帰り、祭り酒が回ったいまになって思いだして反省しています。
好きな絵を描いたり、碁やゴルフなどを楽しめているのも平和のおかげであり、日本の平和の基礎は憲法だと考え、ブログでもその関連のものはときどき覗いています。このブログを始めてから憲法9条を守る活動をしている生協OBの仲間からも励ましをいただいているので、今度はしらふのときに投稿します。
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ピレネー・南仏の旅ー4

2007年09月08日 | スケッチ、油絵、写真
アルルのホテルから

カルカッソンヌからプロバンス地方に向けてのバスではローヌ河沿いに緑の草原、点在する森や町とゆっくりスケッチしたい風景がつづく。安野光雅の「フランスの道」にはこんな風景があったがーーと思いつつカメラを向ける。フラミンゴの遊ぶカマルグ湿原など「絵にしたい」ところばかりであったが、スケッチできたのはアルルのホテルについてから。
ホテルの窓からのこのスケッチの遠景にある教会の尖塔とその周辺は、翌日分かったことであるが、次に投稿するローマ時代の円形競技場の周辺だった。
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台風一過

2007年09月08日 | スケッチ、油絵、写真
台風9号は我が家のある東京の多摩地区を通過、日本を縦断し北海道に抜けた。子供のころから秋が近づくと「210日ーにひゃくとうか」という嵐がやってきて、稲や柿などに被害が出て大人たちが騒いでいたが、今回も農家の被害が心配だ。

我が家でも庭の葡萄やつるバラの手入れや、3坪の市民農場の管理などをし、停電に備えるなどもしたが、とくに被害はなかった。台風の通過の間に「ブログの絵が小さいから直したら」との助言で、手直し作業をはじめたが、これが私の台風騒ぎとなった。
一つの記事に一つの絵の入れ方は覚えたのですが、追加の写真をコピーして挿入する作業が失敗つづき。私のブログからは肝心のスケッチが半日以上姿を消しました。台風の最中にもかかわらず私のブログを訪問された方には「一部停電」の状況だったことをお詫びします。
台風一過、またがんばります。
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スケッチーピレネー・南仏の旅3

2007年09月06日 | スケッチ、油絵、写真

城壁都市カルカッソンヌ

ピレネー山麓でのハイキングのあと、ツアーのご一行は南フランスの世界遺産視察を中心にした観光。この旅では「毎日1枚はスケッチ」を決めていたが、なにぶん20人ほどのツアーの一員。幸いカルカッソンヌのホテルの部屋からは世界遺産の「城壁都市」が遠望できる。さっそく夕食まえにスケッチをはじめる。当地では1年でもっとも日が長い時期とのことで、夕暮れはおそい。

コンタル城の門前で

 カルカッソンヌの2重の城壁に囲まれた旧市街には、有名なサンナゼール教会があり、教会や迷路のような城壁内の観光はちょっと疲れる。皆さんの買い物中にコンタル城の前のカフェであわただしくスケッチ。 カルカッソンヌの城壁都市 紀元前のローマ帝国の植民地時代から始まった都市づくりが、中世封建領主のもとで拡大し、その後2重の城壁に守られることになった歴史はよく分からない。しかし、その異様ともいえる石造りの威容は絵ごころをくすぐる。この3枚目はスケッチとしては邪道で、帰国後の作品です。

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