かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

年賀状の絵ー7 富山・相ノ倉合掌集落

2008年01月29日 | スケッチ、油絵、写真
JUON・樹恩ネットワークの総会が富山県の利賀村で開かれ、その帰路、五箇山の相倉合掌集落を訪れた(02年夏)。この絵はその時のスケッチをもとに、冬景色にした。プリントゴッコによる賀状にはその方が、彩色などで楽だったから(03年賀状)。

JUONは森を守る活動を中心にする環境保護NPOで、大学生協の関係者を中心に活動を続けている。佐渡の山間部での朱鷺のためのでの餌場づくりなど、私も何ヵ所かの活動に参加した(といっても若い人の激励で、実践的には役立たずだった)。それも最近は不参加が続く不良会員になっている。JUONの活動に関心のある方はぜひ、大学生協連にある事務局にご連絡を
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佐渡でのスケッチー泉・本光寺

2008年01月26日 | スケッチ、油絵、写真
この絵の本光寺は「黒木の御所」の目と鼻の先にある、私にとって最も縁の深い寺である。
佐渡に流された順徳上皇が京から持ってきたとされる聖観音像(木造、背丈約1m)がある。彫刻家高村光雲の鑑定で国宝とされていたが、今は国指定重要文化財である。
順徳上皇が佐渡で没した30年後に日蓮上人がやはり鎌倉幕府によって佐渡に流されるが、本光寺はその弟子が創建したと云われる。本光寺から5分ほど下ったところには世阿弥が居た正法寺がある。世阿弥が70歳代の高齢で佐渡に流されたのは日蓮より約160年あとのことである。彼の直接的な影響については良くわからないが、佐渡ではいまでも能楽が盛んである。
今回の帰省で「佐渡広場」という大変すぐれた佐渡紹介のブログがあることを知った。その歴史から文化、産業、暮らしのことなど、ぜひ「ブログ」で「佐渡広場」を検索してみてください。

本光寺からみた金北山


両津湾からみた大佐渡ー中央が金北山

かって船で佐渡をたずねた太宰治は小佐渡山脈をみてそれが佐渡が島のすべてと思い、しばらくして大佐渡山脈をみるとロシア大陸だと驚いたという。(小佐渡の写真を撮り忘れたので、説得性がない。)

コメント (3)
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佐渡でのスケッチー金北山

2008年01月25日 | スケッチ、油絵、写真
故郷・佐渡に帰省し、実家のちかくでスケッチした。佐渡が島は大佐渡、小佐渡の二つの山脈が国仲平野をはさんで並立しているが、金北山は大佐渡の主峰。

描いた場所は「黒木の御所」蹟(佐渡市泉)から。承久の変で25歳で配流された順徳上皇が46歳で亡くなるまで居たところ。ここには順徳院が村人に誘われて金北山への登山を試みた逸話などが残されている。
ちなみに順徳院が天皇であったのは15歳からの10年、承久の変の直前に譲位しているので、大変若い上皇だった。

冬の今の時期、訪ねる人もなかったが、寒くて長居はできなかった。





黒木の御所蹟

「承久の変」(1221年)で鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に流され、日本で最も長い平和の時代(約300年)は終わり、武家の支配する時代に移った。鎌倉時代末から南北朝時代にかけ「天皇御謀叛」という言葉がよく使われたと云われたが承久の変も「承久の乱」とも云われた。
鎌倉幕府に「謀叛者」とされた上皇は京に帰ることなく「絶食のはてに」亡くなったと云われている。この時代、天皇は絶対ではなかった。
しかし、明治時代以降の天皇崇拝の風潮の高揚のもとで、ここを訪ねた多くの文人たちは順徳上皇を悼む歌や文を残し、今も多くの詩碑が並んでいる。


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年賀状の絵6-犬吠埼の日の出

2008年01月17日 | スケッチ、油絵、写真
大海原から昇る朝日は感動的だが、とくに冷たい海風に当たりながら眺めるのがよい。この時はホテルが「温泉につかりながらの日の出」を勧めたので、温泉につかりながら待機していたが、朝焼けの輝きをみて、これではまずいとあわててカメラをもって外に出た。
残念ながら元旦の日の出ではない(01年の賀状)。
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年賀状の絵5-小平の大ケヤキ

2008年01月17日 | スケッチ、油絵、写真
小平は青梅街道や五日市街道、東京街道など古い街道や屋敷林にケヤキが多く見られる。「小平市保存樹」のラベルが貼られている木が多いが、それらも最近は枝が払われ、のびのび天にむかって枝を伸ばしている大木はすくない。
この絵のケヤキの大木は我が家からすぐ近い東京街道ぞいの農家にあり毎日、その下を通っている。この絵のケヤキはすこしのっぽに描かれているが、この2本もつい最近枝をかなり切り込まれて少しさびしい姿になっている。電線などのずうと上にえだを伸ばしていたのだが、大量の落ち葉の処理に困ってのことか?集めればよいたい肥になるのにと思うがーー。
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年賀の絵4-立山・みくりが池

2008年01月15日 | スケッチ、油絵、写真
白馬岳の麓で遊んだ翌年、今度は富山県側から立山に行くことができた。富山県生協連の研修会での仕事を終え、富山県の生協の仲間数人で室堂にある施設に泊まり、秋の立山を満喫した。
みくりが池でアルプスの山々を写真におさめ、一人黒部ダムに降り、大町にでた。
この時はスケッチブックは持っていなかったので、この絵は写真からのもの(99年の年賀状。左上にあった文字を消すため紙をはった。パソコンの操作でもっとうまくやれるはずだが)。
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年賀状の絵3-白馬・八方池

2008年01月12日 | スケッチ、油絵、写真
松の内を過ぎたのに年賀状の絵で申し訳ないが、古い賀状の紹介を続ける。
この絵は97年に長野の北アルプスの麓を妻と2人でトレッキングしたときのもので、はがき大に描き直したもの。八方池から少しでも高くへと頑張ったが、天候の急変で登山にはならなかった(98年賀状)。
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年賀の絵2ー佐渡・加茂湖

2008年01月12日 | スケッチ、油絵、写真
オランダ・ハーグでの絵をプリントゴッコを使って年賀状をつくってから、毎年同様の手法で賀状を作成した。今はスケッチをデジカメで撮り、それをパソコンではがき大に縮小するなど編集できて簡単。プリントゴッコは専用のペンで原寸大に描くのと、一枚づつ彩色するのが大変。だが、そのための面白さもあるようだ。

この絵は夏だが、佐渡・両津湾に連なる加茂湖の牡蠣は寒い今頃がおいしい。
この加茂湖に隣接する里山のなかに朱鷺センターがあり、その自然放鳥が課題になっているが、そのための環境づくりは進んでいるのだろうか、気になる。(97年賀状)
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CO-OPとCO2

2008年01月10日 | スケッチ、油絵、写真
H-私もときどき女房の代わりに生協の班共同購入に参加しているので、この前の班共同購入の話には同感した。ただ、私は班での共同購入の意義は経済メリット以上に人間関係でのプラスαがあるからといった貴兄の意見以上の意義があると思う。
K-それは?
H-いま人類にとって最大の課題、CO2の削減に貢献するからさ。生協の共同購入が班から戸配に移ったことで、生協の配達車のCO2排出量は増えているし、ガソリン代も増えている。かってのように班に5,6所帯が結集し、自転車で集まり商品を分けていればその環境への貢献は大きい。
k-個配といっても近いところを順に廻っているので、消費者個々人が車で買い物に行くよりは省エネでCO2削減にはなっている。班にまとまればもっといいが、なかなか利便性といったことからーー。
H-いま、個配では手数料をとっているようだが、CO2排出量を換算してもっと多くとり、我々班で頑張っている組合員には安くすべきだ。組合員にもっと環境問題の教育をすれば少々の「利便性」は克服できるはずだ。
 さらに、最近の生協の問題は個配の車がA生協、B生協さらにC生協と同じ地域を走りまわり、CO2をまき散らし、住民に迷惑をかけていることだ。合併してひとつにまとまれば地球環境だけでなく地域環境に大いに貢献する。
K-ごもっともですが、生協もそれぞれ違いがあるので消費者にとって選択権があっていいのではーー。
H-そんな違いがあるとは思えない。それぞれの自己都合だけではないか。これまでも経営が苦しくなると「生協はひとつ」とかいって合併してきたではないか。
K-うーん。
<前回の投稿の一つの反応です。>
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横浜・菊名のギャラリーに出品

2008年01月06日 | スケッチ、油絵、写真
前にこのブログで紹介した私の参加している生協OBの絵の会のメンバーがそろって横浜・菊名のギャラリーでの絵画展に出品することになった。会場は菊名駅の近くの「ギャラリー&スペース弥平」で1月16日から23日まで開催される「彩游会展」。
このギャラリーを開設した中島弥平さんは菊名生協(合併し現かながわコープ)の役員だった方で、今回の企画は同ギャラリーの開設1周年を記念してのもので、生協の関係者ということで誘われた次第。もちろん、われわれだけでなくレベルの高い方の出品があるので、ご案内します。私も油彩の小品2点を出展します。
ギャラリー&スペース弥平の場所や彩游会のことは”gallery&space弥平”で検索してください。
ということで、昨日今日は出品作の若干の手直し。油彩はそんなことができるのが利点。もちろんプロは一度サインしたらそんなことはしない?
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海外スケッチーオランダ・アムステルダム

2008年01月04日 | スケッチ、油絵、写真
アンネの家ー運河の町・アムステルダム

オランダではアムステルダムでアンネの家などを尋ねた。この絵は帰国後にしあげたもの(アンネが隠れていた家は右から2軒目)。

ハーグで世界法廷運動に参加した日本代表団の一行は、被団協の代表を中心にこの年核実験を強行したフランス政府に抗議するためパリへ。パリでは市内の地下鉄駅前で原爆写真の展示・アピールをし、政府代表に会って核実験反対の抗議文を渡す。夜はフランスの市民平和活動家との交流会。

持参したスケッチブックにはこの夏の平和行動の折りに描いた広島の絵が何枚かあったので、パリでの行動でお世話になったフランスの活動家に交流会の場で贈呈した。帰路の飛行機で被爆者の方にも差し上げた。うまい絵ではないが、想いが伝わればとーー。
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海外のスケッチーオランダ・ハーグ

2008年01月03日 | スケッチ、油絵、写真
ハーグ、ホテルの近くの公園で

ホテルでの朝食まえの散策時に簡単に描けるということで、このときも水彩色鉛筆を使った。
この公園をさらに奥へ雑木林を歩んでいて驚いたのは、乗馬の女性に出会ったこと。車の走る大通りからそんなに離れていない雑木林でゆったり馬で散策しており、犬が勝手にその後先を走り回っていた。犬に引かれてビニール袋をもって散歩をしているわが国の朝の風景との違い、その自然と社会の豊かさに驚かされたわけ。
国際司法裁判所も古い格式のある宮殿=平和宮殿といわれていた=にあったが、ハーグの町では人類社会の将来・平和について考えるにふさわしい落着きとあたたかさを感じさせられた。
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海外スケッチーオランダ・ハーグ

2008年01月02日 | スケッチ、油絵、写真

核兵器の違法性を問うたハーグ国際法廷

はじめてプリントゴッコで絵入り年賀状をつくったのは96年のこれ。

95年、核兵器の違法性を問う”世界法廷運動”に参加した日本の生協の組合員は署名(25カ国370万、日本330万その大半が生協)を集め、10月には代表団(被団協など45名の内25名が生協)をハーグに送った。代表団は法廷で陳述する広島・長崎両市長を励ます活動や法廷での傍聴活動を続けた。
翌96年7月、国際司法裁判所は「核兵器の使用または脅威は一般的に国際法に違反する」との判断を示した。その判断には日本からの333万人分の署名と被爆両市の市長の日本政府の圧力を跳ね返しての証言が大きく影響した。あの時私も「被爆国の願いを実現するために頑張って」と握手した長崎の伊藤市長は市長に当選して間がなかったが、その伊藤市長は昨年、凶弾に斃れた。

この96年の年賀状を見ながら、08年の正月の今日、あらためて核兵器の廃絶と世界平和を祈る。
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