かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

旅の思い出スケッチー和歌山・南紀2

2008年04月30日 | スケッチ、油絵、写真
南紀・白浜のスケッチ

 和歌山南紀の海岸は明るい。
ちょうどこの頃、那智や熊野の山に入り「菌類」の採取、研究に取り組んだ南方熊楠の本を読んでおり、彼から受ける和歌山のイメージはじめじめしていた。南紀白浜はまったく逆で、空も海も青一色だった。
 熊野の山やまも絵になると思う。歩いてみたいコースだが、まだ行けていない。
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旅の思い出スケッチー和歌山・南紀

2008年04月27日 | スケッチ、油絵、写真
南紀白浜の海岸

 生協のOさんや画家のNさんと別れたあと、二人は南紀・白浜へ。それぞれの故郷の佐渡や岐阜に帰郷するとき以外に二人だけの旅行はめったにない。新婚旅行は結婚披露を生協の先輩や仲間による実行委員会方式でやってもらい、その参加費から旅費を補助してもらって十和田湖へ。白浜は新婚さんの多いところなので、こちらも30数年ぶりにかって十和田湖畔のスキー宿に泊まったことなど思い出した。

 この絵は南紀白浜の名所「千畳敷」のある海岸。佐渡・相川の海岸にも「千畳敷」という場所がある。宮崎・日南海岸には「鬼の洗濯岩」があるが、いずれも波の浸食で平になった岩が広がっている。佐渡相川の海岸とくらべ南紀白浜は明るく、この絵も11月なのに真夏のようだ。
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旅の思い出スケッチー和歌山・和歌の浦

2008年04月26日 | スケッチ、油絵、写真
和歌の浦の朝

 入院騒ぎでスケッチにでかける機会もなかったので、古いスケッチ帳から「旅の思い出スケッチ」の紹介にさせていただく。
 旅のついでにー多くは仕事での出張旅行のおりにースケッチをすることはあっても、スケッチ旅行といったことはしたことがなかった。それが10年前のことだが、私が絵が趣味としった和歌山の生協の仲間O君から「私の友人の絵描きを紹介するから」と誘われ、はじめての妻と一緒のスケッチ旅行を和歌山ですることになった。
  O君から「かっては職場の素人画家だった」と紹介されたNさんはすでに地元では著名な風景画家で、和歌山城や和歌の浦の淡彩のスケッチはすばらしく、絵ハガキなどにもなっている。
 そのNさんに案内され早朝の和歌の浦を訪ねた。絵の上手なNさんと一緒ではずかしかった。水性色鉛筆の走り書きで、万葉に歌われた片男波の雰囲気にはほど遠い(96年11月の作品)。
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ちょっと入院(最終回)

2008年04月20日 | スケッチ、油絵、写真

多摩済生病院ーーブログを再開したのに絵がないのはまずいので、入院中の写真をもとにスケッチを描いた。退院の時は桜は散っていた。 


 肺炎とはどういう病気か?胸が痛い、咳きこむといった症状は実感したが、なぜこれが命取りになるのか?入院するとすぐに酸素吸入装置(といってもマスク状の大げさなものでなく、鼻からの補強だが)が使われ、看護師は日に3回、血中の酸素濃度をはかるので気がついた。肺は血液に酸素を送るのが仕事、肺炎は(多分結核でも肺癌でもそうであろうが)その酸素取り込み機能を損なうもの。と気づいてから4、5日めには胸の痛みも薄れて酸素吸入はやめ、6、7日めには血中酸素度は96、97度と正常化した。しかし、抗生物質入りの点滴は10日間つづけ、12日めの退院だった。
 退院して5日め。実は退院翌日から会合や宴会で都心部に出ることが続き、今日は高尾までかっての生協の仲間(旧戸山ハイツ生協で一緒だった山岸啓介兄)の墓参りに仲間たちと一緒に出かけた。
 毎回、ちょっと酒も飲んだが、自制しながらの行動だったので、これで社会復帰ができた感じである。先輩から「君が先に逝くと困る」と励ましというか苦言の電話もあり、すなおにもう「入院なんかはしないよう」心がけることにした。
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ちょっと入院(続)

2008年04月17日 | スケッチ、油絵、写真


病院には患者の散策のための小さな公園もあり、桜の大木もある。そんなところのスケッチをしたいと道具一式をもってきてもらったが、そこまでは元気になれず、K君からの見舞の花を描いてみた。

 
 昨日は10日余の禁酒生活のあとだったのでコップ1杯のビールでこのブログの作業が進まなくなりました。入院生活の感想の続き。
 多摩済生病院は約200床と書いたが、精神病棟が別にあり、それを入れると430床。病院に併設して介護老人福祉施設「多摩済生園」とケアセンターの施設があり「さいせい保育園」や「さいせい公園」もある。隣接地が広大な小平霊園であり、見舞いにきたK君は「老人ホームから霊園まであるとは安心ですね」とそこに私が世話になるかのように評価した。

 このブログで数か月前に北欧の福祉視察に行ったときのことを触れたが、当時の日本の医療福祉の現場では徘徊を防ぐためベットにしばりつけるなど「寝たきり老人」が問題であり、「寝たきり老人のいない国」スエーデンにどう学ぶかがテーマだった。私のフロアの入院患者の多くは寝たきりであり、私のように点滴の管を下げながら歩きまわる人は少ない。しかし、ここ済生園の福祉・医療の総合的な施設をみていると北欧にはかなわないが日本もまずまずのレベルになったかな?と思った。
 ところが「後期高齢者医療制度」がちょうど話題で、入院中にテレビ、新聞で勉強ができた。やはり日本の福祉・医療の現状と将来は明るくない、とまた落ち込んだーー

 今日もビールを飲みがらブログ作業に挑戦したが、缶一本まで大丈夫だった。健康は取り戻した感じ
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胸の痛みに耐えかねてーちょっと入院

2008年04月16日 | スケッチ、油絵、写真
しばらく絵のブログを休載して申し訳ありません。覗いて頂いた皆様にお詫びします。

 4月4日に風邪で、我が家から歩いて10分余の多摩済生病院の外来へ(この時はタクシーで)。待合室で待っているうちに熱が上がり、名前を呼ばれて立ち上がったらヘナヘナ。台車みたいな移動ベットに載せられ、レントゲンや心電図やCTなど検査のあげく「個室がひとつ空いてるから」と勧められ、入院、昨15日退院。
 レンタルのパジャマでベットに横になって、やっと医師がくる。どうもその時のレントゲンは異常がなかったようで「○×感染症か?」と頭をひねって、また明日検査をするということになる。
 その夜と翌日は40度の高熱、そのせいか3日目に「軽い肺炎」との宣告。それを堺に熱は下がりはじめ、あとは初めての入院生活を半分楽しみながらの1週間だった。とはいえ、夜中はせき込みが激しく「胸の痛みに耐えかねてーー」の時間がしばらく続いた。
 実は父が亡くなったのは肺炎。佐渡まで見舞いに帰り、大丈夫だと言われて帰京したが回復しなかった。そのことを思い出していたら作詞家川内康範さんが肺炎で死亡のニュース。父は77歳、川内さんは88歳だが、すこし真面目に医師や看護師の言うとおりに過ごすことにした。

 入院の経験は中学生のころの盲腸手術いらい。点滴や日に3回の看護師による検温、検診、おいしくない食事などすべて初めて。廊下をはさんで反対がわは3人と6人の大部屋が並んでおり、当方の個室もふくめ部屋のドアはあけて、看護師がいつでも覗けるようになっている。妻は「お父さんの10年後の感じの人がならんでいる」と言い、若い看護婦が脈をとりながら「かしょうさんは若い」といったが、我が内科の病棟はかなりの先輩ばかりだった。

 病院生活で感じたことを書いて、この間のご無沙汰をお詫びしようと考えたが、先ほど飲んだビールで作業が困難になった。10日余の禁酒生活で、ビールはコップ一杯が限度になったか?たばこは止めることにしたが、ビールまではやめたくないがーー。続きは明日にさせていただきます。

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数日

2008年04月06日 | スケッチ、油絵、写真
数日の間、不在のためブログの更新はお休みします。
コメントにもお返事できなくて申し訳ありませんが
また戻りましたら、よろしくお願いいたします。
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