久しぶりに、スケッチではなく「雑記」です。
ある古い仲間の年賀状に「ブログの絵を見てるとかしょうさんのストレスのない姿が思い浮かびます」とあった。趣旨はこのブログで癒されているということのようだった。が、ちょっと引っかかった。
たしかに絵を描いているときは世の中の動きも身内のあれこれも忘れ、なんのストレスも感じない。絵でストレスを感じるほど上手くなろうとも、どこかの絵画展に入選したいとも考えないでやっているので、本当に無心で楽しい。
しかし、絵を描いていない時は、特に最近はストレスがある。
皆さんもそうだと思うが、昨年暮れからこの正月は面白くない。ある生協OBから「暮に日比谷の派遣村にお酒とカンパを持って行ってきた」とメールがあった。私も派遣村村長の湯浅誠さんのやっているNPOにカンパをおくったが、そんなことで救われない人々のことを思わざるをえない。
湯浅さんの著書「反貧困」を読んで、この東大出の若者の取り組みからなぜか100年まえの賀川豊彦の神戸の貧民窟での取り組みを思い出した。そこで当時ミリオンセラーだったという小説「死線を越えて」を取り出して読んだ。そして賀川のころの貧困と現在の貧困の共通性、社会の進歩のなさに考えさせられた。
賀川は日本の生協運動の先駆者のひとりである。このブログを覗いている方は生協関係者が多いようなので、今年は賀川献身100年でもあり「反貧困」と「死線を越えて」のことを書いた。
”路頭に迷う”人々が増えているなかで生協はその様な弱者のために何かできないのか?のんびりスケッチなど描いていていいのか?と思いつつ絵を描いているのが私のストレスです。
ストレスを感じさせるような「雑記」ですみません。
ある古い仲間の年賀状に「ブログの絵を見てるとかしょうさんのストレスのない姿が思い浮かびます」とあった。趣旨はこのブログで癒されているということのようだった。が、ちょっと引っかかった。
たしかに絵を描いているときは世の中の動きも身内のあれこれも忘れ、なんのストレスも感じない。絵でストレスを感じるほど上手くなろうとも、どこかの絵画展に入選したいとも考えないでやっているので、本当に無心で楽しい。
しかし、絵を描いていない時は、特に最近はストレスがある。
皆さんもそうだと思うが、昨年暮れからこの正月は面白くない。ある生協OBから「暮に日比谷の派遣村にお酒とカンパを持って行ってきた」とメールがあった。私も派遣村村長の湯浅誠さんのやっているNPOにカンパをおくったが、そんなことで救われない人々のことを思わざるをえない。
湯浅さんの著書「反貧困」を読んで、この東大出の若者の取り組みからなぜか100年まえの賀川豊彦の神戸の貧民窟での取り組みを思い出した。そこで当時ミリオンセラーだったという小説「死線を越えて」を取り出して読んだ。そして賀川のころの貧困と現在の貧困の共通性、社会の進歩のなさに考えさせられた。
賀川は日本の生協運動の先駆者のひとりである。このブログを覗いている方は生協関係者が多いようなので、今年は賀川献身100年でもあり「反貧困」と「死線を越えて」のことを書いた。
”路頭に迷う”人々が増えているなかで生協はその様な弱者のために何かできないのか?のんびりスケッチなど描いていていいのか?と思いつつ絵を描いているのが私のストレスです。
ストレスを感じさせるような「雑記」ですみません。