迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

大谷(二料)

2012-03-06 21:10:21 | 高槻の観光案内

生活水の取水

今でこそ、樫田には独自の上水道施設があり、山水を浄化して水道水として使っている。しかし、一部では今も田能川や出灰川(芥川の最上流)の水を直接取水している家がある。また、独自に井戸を掘って使っている家も数件ある。

二料の大谷橋バス停から左に入った大谷集落には、昔の山水取水の痕跡が今も残る。畑で取った野菜を洗ったり、スイカを冷やしたり出来そうだが、使っている様子はない。

                   

納屋の手前にある川の際に石の階がある。それを降りると、凹型のちょっとした深みが造られている。かつては、ここで洗い物もしていたのだろう。上流からの水が自然とその凹に溜まり、オーバーフローして段差から流れ落ちていく。

ここの山水は、田能の方へは流れず、二料から九十九折、車作へ向かう。安威川の最上流のひとつなのだ。

 

                   

道路の際からいきなり川に降りる階。洗濯もここでしていたものと思われる。

 

                   

川から塩ビパイプを通して道路際の水路へ水を引く。水は道路の下を通過して、フェンス向こうの防火水槽へ流れていく。防火水槽には、大小の錦鯉が泳いでおり、昔は、岩魚なども飼っていたのではないかと思われる。そういえば、二料地区には、岩魚養殖用の水槽を残している家がいくつかある。うまい知恵だ。当たり前のことなのに、改めて感心してしまう。

郡上八幡の友人の家には、数段に分かれた同じような水槽があった。最上段を茶碗洗い用にし、一番下を土付きの野菜を洗うために使っていた。自然界から無限に与えられた無料の水だが、豊かな水があるということは、裏を返せば、万が一の場合は、水が脅威ともなり得ることを意味する。長良川は頻繁に水害をもたらしたが、ここ高槻の二料地区大谷でも、土砂崩れで壊れかけている庵風の家がある。二料地区では、毎年のように土砂崩れがおきており、二料と田能をつなぐ一本道が2年間も通行止めになっていた時期があった。おかげで、おなじ樫田内とはいえ、二料からたった2キロしか離れていない隣の田能に行くために、いったん茨木に向かって安威川沿いに山を南下、171号線に出たら高槻へ東進、再び山を北上して樫田に戻らねばならなかった。これは、車で1時間もかかる行程である。

杉尾地区でも、かつて、鉄砲水で家が壊れたことがあった。田能地区では、菖蒲園付近で氾濫。出灰地区では、北雪工房の自家用つり橋がこの数年で3回も流れている。彼の風情のある木製吊り橋は、とうとう鉄製の橋に造り替えられた。

水と人間の戦いである。


 


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