迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

樫田の昔

2012-03-25 18:27:20 | 高槻の観光案内

丹波国桑田郡漢部郷田能

樫田は、約50年ほど前までは、京都府桑田郡の樫田村であった。

それが、全国初の府境越えで市町村合併し、大阪府高槻市になった(その時、桑田郡の一部は、能勢町とも合併した)。

さらにそれよりもっともっと大昔は、表題のように、丹波国であった。

勿論、樫田が丹波地方の一部だったとは知っていたが(現在も“下”の高槻市民とはちょい異なる丹波文化圏)、先日、家の近所にJRの電車を改装して住んでいる重ちゃん、「面白い本、見したるわ。」と、持ってやって来た分厚い郷土史本を見て、新たに、ここが“漢部郷”と呼ばれている地域であったことを知った。おそらくは、渡来系の人間が住み着いたのであろう。日本海から出雲・丹波に上陸してきた稲作民たちの末裔の村が樫田なのか???

さて、その本は、中畑から外畑を抜け、向日市に向けて一山降りた京都市西京区大原野在住の山口某なる郷土史家がまとめた本だった。

めっぽう面白く、一気に一晩で読み終えてしまった。

亀岡の保津峡入り口にある請田神社の祭神は、樫船神社からの分神であるとか、田能の住民が亀岡湖を干拓したとか、どこまで真実かはわからないが(何故なら、古事記・日本書紀などの神話からの引用がけっこうある。しかも、「邪馬台国は、丹波である」との説)、面白いのは面白かった。

今の樫船神社が1200年代に現在の場所に遷宮されたなんてのは、全く知らなかったし、樫船神社の元宮が、いつも見てきたゴルフ場際の禿山にあったとか、“タニハ道:丹波道の意”のこととか、多数存在した“樫神社”のこととか、かつて、中畑や田能は、焼畑の村であったとか・・・。

おそらくは、すでに、村の古老さえ知らないであろうことが多数記載されていた。

しげちゃん:「欲しいとこは、コピーしてもええで。」

KOKKO:「おおきに。こんな大事なもん、ありがとう。」

しかし、元丹波国桑田郡漢部郷田能かぁ・・・、いい呼称だなぁ。

次から、住所はこれで書こう!・・・ なぁに、郵便番号を書いとけば、ちゃんと届くわさ。

 

工房しげ:

変木や鹿の角で工芸品を作るかたわら、しいたけの原木や木の伐採・薪販売など、“山”を生業としている樋口重之さんのアトリエ兼住居。JRの運転席付先頭車両2台を改装して住んでいる。彼の独特のライフスタイルに興味を持つ人は多く、電車そばの焚き火には、来客が絶えない。

彼の独特の書体で書いた変木看板は逸品。色んなところから注文が来る。

是非、見に行ってみなはれ!! 電車マニアにゃたまらない。


 

 


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