碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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天気のはっきりしない日は、豪華3本立て。『生命徴候あり』『腕貫探偵、残業中』『偏屈老人の銀幕茫々』

2008年05月19日 | 本・新聞・雑誌・活字
はっきりしない天気の一日だったが、本読みにはうってつけだ。

まずは、久間十義 『生命徴候(バイタルサイン)あり』(朝日新聞社)。

『聖ジェームス病院』に続く医療エンタテインメント小説だ。ヒロインの鶴見耀子は大学病院の麻酔医。院内の複雑な人間関係から医療事故の責任を負わされ、恋人だった心臓外科医にも裏切られる。仕事と恋愛の行き詰まりの中、留学という機会を得てアメリカへと旅立つ耀子の体内には新たな命が宿っていた。

7年後、心臓カテーテル手術の最新技術を体得した耀子は日本に帰国する。息子の譲が一緒だった。赴任した千葉の病院を基点に活躍を始める耀子とチーム。彼らが用いるのは「ロータブレーダー」と呼ばれる医療機器だ。カテーテルの先端に工業用ダイアモンドをコーティングした極小ドリルを使用したもので、冠動脈疾患の治療に大きな成果を上げていく。

一方で耀子は若きITベンチャー企業家との危うい恋に落ちる。背景にはITバブルとその崩壊というダイナミックな時代状況。さらに医大内部の暗闘が耀子を巻き込んでいく。しかし、亡き祖父から学んだ「思えば魂(たま)は帰ってくる」の言葉を胸に彼女は困難に立ち向かう。徹底した取材に基づいた手術場面や、病院という閉鎖社会の内幕がリアルに描かれた佳作長編。
生命徴候あり
久間 十義
朝日新聞出版

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次は、西澤保彦『腕貫探偵、残業中』(実業之日本社)だ。 

「腕貫」は筒状の布の両端にゴムを入れたもので、手首から肘までを通す。事務仕事をする際に使うが、かつては役所の窓口などで働く人の象徴でもあった。

腕貫探偵には名前がない。いや、あるはずだが明かされない。本業は地方にある櫃洗市の市役所職員であり、「推理すること」は一種の余技だ。しかし、捜査に行き詰った刑事や知り合いの女子大生などから相談を受けると、その頭脳は驚異的な働きを見せる。本書は異色探偵による6つの謎解きを収めた連作短編集だ。

覆面男たちによるレストラン占拠。夫の不倫をめぐる夫婦間の争いから発展した殺人。消えた巨額預金と老女の死など、事件はいずれも市内で起きる。だが、腕貫男は動かない。捜査も調査もしない。食通の彼は気に入った店のテーブルにいて、ひたすら相談者の話に耳を傾け、冷静に人間関係を解読し、推理する。すると日常の奥に隠された人間の欲望や情念が明らかになり、そこから事件解決への糸口が見えてくるのだ。

前作『腕貫探偵~市民サーヴィス課出張所事件簿』で登場したユニークな安楽椅子探偵。そのクールな脳細胞は本書でも憎いほどに冴えわたっている。
腕貫探偵、残業中
西澤 保彦
実業之日本 社

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そして、石堂淑朗『偏屈老人の銀幕茫々』(筑摩書房)は、入手してから1ヶ月。早く読みたくてずっと気になっていたが、ようやく読めた。

著者は大島渚監督『日本の夜と霧』、実相寺昭雄監督『無常』、今村昌平監督『黒い雨』などで知られる脚本家。心筋梗塞や脳梗塞と戦いながら書き続け、これが“最後の文筆の仕事”と宣言した回想記である。

元々批判精神と毒舌には定評があるが、「今、書いておかねば」という思いから本書は一段と過激になっている。特に映画界での先輩や同期のエピソードは迫力満点。無類の酒乱で「俺は大監督だ」と大見得を切る、『キューポラのある街』の浦山桐郎監督。「木下(恵介)君は才能があったが教養がない、私は教養はあるが才能がない、へツへへツへ」と笑う大庭秀雄監督。しかも著者は「その通りなので返事の仕様がなかった」と続けるのだ。

青春時代の回想も凄まじい。東大時代、好きだった女子学生を奪った同級生に腹を立て、包丁を持って駒場寮に乱入。しかも逆に投げ飛ばされてしまう。以来、学業からはずれて酒呑み学生へと転落するのだが、その憎き相手が後の藤田敏八監督である。数十年後の目黒柿ノ木坂での再会など、まるで映画のワンシーンだ。

「後は冥界で実相寺昭雄や今村昌平と会うだけです」の言葉も強く印象に残る。

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