goo blog サービス終了のお知らせ 

碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「前例のない」学園ドラマとなってきた『御上先生』

2025年02月23日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

「前例のない」学園ドラマとなってきた、

松坂桃李主演『御上先生』

 

「官僚教師」の登場

日曜劇場『御上(みかみ)先生』(TBS系)は、ユニークで刺激的な「学園ドラマ」です。

舞台は私立の進学校、隣徳学院。3年2組の新たな担任となったのが御上孝(松坂桃李)です。ただし御上は普通の教師ではありません。文部科学省の現役官僚です。

彼は官僚が教育現場を知るための派遣制度で、隣徳への出向を命じられました。この「官僚教師」という設定が前例のない学園ドラマを現出させています。

ドラマの冒頭は、国家公務員試験の会場で起きた刺殺事件でした。文科省内で出向の準備をしていた御上のモノローグが流れます。

「教育を改革する。それがこの硬直した社会を変えるために必要だということは誰もが分かっているのに、そのための本丸であるはずのここは、こんな事件にやけにはしゃいでヤジ馬を決め込んでいる」

これは御上だけでなく、制作陣にとっても一種の闘争宣言でしょう。

学校という限定された空間で展開される単なる教師と生徒の物語ではなく、「この国の教育」という深いテーマに挑む決意表明です。

「教育とは何か」を問う

それは教室で生徒たちと初めて向き合った際の挨拶にも表れていました。生徒たちに自分をエリートだと思っているかと聞いた後、こう続けたのです。

「エリートの本当の意味、理解してる? ラテン語で神に選ばれた人という意味だ。この国の人は、高い学歴を持ち、それにふさわしい社会的地位や収入のある人間のことだと思ってる。でも、そんなものはエリートなんかじゃない。ただの上級国民予備軍だ」

これも生徒たちに対する単なる徴発や揺さぶりではない。「教育とは何か」という本質的な問いに繋がっています。

堂々の「文科省批判」

御上の派遣には裏がありました。文科省から民間研究機関への不正な天下りが行われ、仲介役が御上だと省内でリークがあったのです。

実際は身に覚えのないことでしたが、御上は左遷と思われる官僚派遣を拒否しなかった。

その理由を生徒に問われた御上は、「僕が文科省に入ったのは教育を変えるためだ。何も成し遂げないまま文科省を手放すわけにはいかない」と答えます。

さらに「志だけで変えられるならとっくに変わっている。官僚が出世したいと思ったら手を汚さずに上には行けない。自分の理想なんてものは横に置いて進めていく先で、ようやくこの国の行政とやらに参加する資格ができる、かもしれない」と続けました。

ドラマとはいえ、堂々の「文科省批判」。すでに「学習指導要領」や「教科書検定」をめぐる鋭いエピソードも盛り込まれています。

「理想の教師像」も揺さぶる

また、「理想の教師像」についての言及もありました。ある学園ドラマが、生徒のために奔走するスーパー熱血教師以外は教師にあらずという空気を作ってしまった。

保護者たちの教師に対する要求はエスカレートし、教育の理想を描いた学園ドラマがモンスターぺアレンツ製造マシンとなった。

「以来40年以上、良い教師像はそのドラマシリーズに支配され続けています」と御上。

これが『3年B組金八先生』(TBS系)を指しているのは明らかです。学園ドラマの中での痛烈な「学園ドラマ批判」も、そうそうあることではありません。

骨太かつ挑戦的な「オリジナル脚本」

御上が生徒たちに促すのは「自分で考える」ことであり、方法論としての「意見交換」です。それぞれが徹底的に考え、自身の言葉で伝え合う。その効果はすでに表れ始めています。

このドラマの脚本は、劇作家の詩森ろばさんによるオリジナル。御上が語る強い言葉、そして生徒たちの話し合いの場面などは、どこか演劇的な空気感に満ちており、独特の緊迫感があります。

詩森さんは、松坂桃李さん主演の映画『新聞記者』の共同脚本も手掛けていました。これまでにない硬質な学園ドラマを支えているのは、かなり骨太で、しかも挑戦的な「詩森脚本」だと言えるでしょう。