「SONGS」というNHKの音楽番組がある。
つい最近、2回に分けて “山口百恵特集” があった。
10月6日に放映された2回目は、さだまさし作詞・作曲の『秋桜(コスモス)』と、谷村新司作詞・作曲の『いい日旅立ち』を中心に、「引退コンサート」(1980年10月5日・日本武道館)の様子でまとめられていた。
『秋桜』が発表された1977年、山口百恵はまだ18歳だった。曲を提供したさだ氏は、このときの感想をこう述べている。
『……彼女は、まだ18歳でしたからね。(嫁ぐと言うことなど)わかるはずがない。早く “そういう(嫁ぐ)日” が来るといいですねといった気持でした……』
それから3年後――。「山口百恵・引退コンサート」の当日、自らのコンサートのために参加できなかったさだ氏は、コンサートから戻ったホテルのフロントで、山口百恵からの「電話メッセージ」を受け取る。ただでさえ慌ただしい引退コンサートのその日、彼女はわざわざ電話を掛けていたのだ。氏は感激しながら語る。
『……“さださんがこの曲を作ってくださった思いがやっとわかる日がやって来ました。本当に、本当に、ありがとうございます”……そういう彼女のメッセージでした。全文そのまま憶えていますよ。凄い人ですね……』
その彼女は『秋桜』を歌うにあたり、引退コンサートの聴衆に語りかける――。
『……嫁ぐ前の女として、ふと想うのですが、みなさんのお母さんも、私の母も素晴らしい人だなって。そして、そんな素晴らしい母と言う女性がいたからこそ、私達は今この一瞬を過ごしていられるんだなって……』
さだ氏や観客に語りかける彼女のメッセージは、そのまま“SONGS”となっている。
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『秋桜』を発表した翌1978年、今度は谷村新司氏に新曲を依頼する。それが同氏の作詞・作曲による『いい日旅立ち』だった。彼は幅広いファン層を意識してこの曲を作ったという。おかげで、私のような歌謡曲に疎い団塊オヤジでも、完璧にメロディーをたどることができる。
「引退コンサート」のラストナンバーは『さよならの向こうに』。曲が始まる前、彼女は自らの生き方を振り返るように、次のような最後のメッセージをフアンに託した――。
『……私が選んだ結論、とても“わがままな生き方”だと思いながら押し通してしまいます……』
その“わがままな生き方”をひたむきに貫き通した山口百恵。21歳という若さで、華々しいスターの座を自ら放棄し、嫁いで行った伝説の歌姫――。
それから30年。彼女は“あの引退の日”から今日ここまで、一切姿を見せることも自らの動向を伝えることもなかった。無論、これからもそうするだろう。“慎ましさ”と“信念に貫かれた頑なさ”によって。
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山口百恵の魅力と存在感は、色褪せることなく輝き続けるに違いない。「引退コンサート」のあの最後の最後に見せた引き際の “さりげなさ” を思い起こさせながら……。ファンの心を揺さぶった数々のシーンを思い出させながら……。14歳でデビューした少女が、愛する人のもとへと嫁ぐために “潔く爽やかに” 去って行った“伝説の序章”――。
その“伝説”は、いまも確実に生き続け、“その後”を綴り続けている。