ひとしきり「N紙販売店主」の話を聞いた後、筆者は応えた。
――リーマン・ショックは、私の仕事関係の建築・不動産業界、そして私の仕事にも影響を与え始めています。誰もこの影響から逃れることはできないでしょう。Y紙の後はA紙……。もうこの順序を替えることはできません。“そのあと”でよろしければ……。
2008年の師走半ば――。この瞬間、2009年は「A紙」、2010年は「N紙」と決まった。それにしても、“そのあと”でよろしければ……。とは、筆者が言う必要はあったのだろうか。
……しかし、もうすんでしまったこと。いいではないか。2010年の「N紙」が終われば、総てが解決する。筆者はしばし、安堵感に浸りながら振り返った。
2006年から2010年までの5年間、「購読紙」は1年毎に「N、A、Y、A、N」と、見事に交代している。これに2011年の「A紙」が続く。となれば、そのイニシャルは「NAYANA」と並ぶ。「A」が母音のように見え、そう想うと何となく心も弾んだ。
……年が明けたその日。玄関横の元日用ボックスの中に、あの“愛燦々……”いや違う“朝日燦々……”の「A紙」が待っている。分厚いひと束の重みを感じながら迎える一年の始まり……。その瞬間、忘れ去られ、混乱の中を彷徨(さまよ)い続けていた“操”も安住の地に還って来るというもの。しかも、forever……。
だが、ある“疑念”が、筆者の脳裏を急速に駆け巡り始めていた。
「A紙」から、「来年の購読を確認する電話」がないということだった。あの2007年師走の「Yの悲劇」を体験しているA紙。あれだけ口惜しそうに語っていたではないか。それが何の連絡もないとは……。いや、待てよ。すでに「確認の電話」があり、それを筆者が失念していたということはないだろうか…。いやいや、忘れるほどまだ惚けてはいない……。
“疑念”が膨らみ始めた筆者の心に、一つの“不安”がきざし始めてもいた。
それは数日前、N紙の配達員と顔を合わせたときのことだった。人のよさそうな華奢でおとなしい青年。彼の軽い会釈の言葉が妙に気になりだした。よく聞こえなかったが、『来年もよろしくお願いします』……青年は確かにそう言った。そして、筆者は反射的にうなずいていた。
あれは、年も押し詰まった際の単なる“挨拶”だったはずだ。だからこそ、こちらもうなずいたのだ。
だが『来年もN紙をよろしく』と言う意味だったのだろうか。もしそうであれば、“承諾”のサインを送ったことになる。はたしてどっちだろう……。
筆者はハムレット的な懊悩に入りかけようとしていた。
あさって元日。配達される新聞は、AなのかNなのか?……いや、そもそも配達されるのかされないのか?……。いやいや、ひょっとして……ひょっとしたら……AとNとが同時に配達されるということも……?
「操の定理」を脳裏に描きながら、アラカンのハムレットは、さらに独り呟いていた。
“混乱を招いた操は、さらなる混乱を招く……ということもある”
いや、これはハムレット的ではない。筆者は、おもむろに呟いた――。
“……忘れ去られた操は……”
しかし、それにしてもとにかく眠い。今日は大事な原稿もあるというのに……。
“眠るべきか眠らざるべきか……それが……………z z z……”
―完―
※註/リーマン・ショック 2008年9月15日。150年の歴史を誇る、全米第4位の投資銀行『リーマン・ブラザーズ』が破綻。市場や金融界は、想像以上に早く反応した。その影響が、3か月後に地方都市の「新聞販売店」に及んだのは、自然ななりゆきであったと言える。そしてこのショックは、今日なお「日本経済」、いや「世界経済全体」を巻き込んでいる。