『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・新涼や尾にも塩ふる焼肴/鈴木真砂女

2015年09月16日 01時23分40秒 | ■俳句・短歌・詩

 

    新涼や尾にも塩ふる焼肴  鈴木真砂女

 

  新涼(しんりょう)』とは、いかにも俳句らしい季語(季題)であり、この句は “季感” を余すところなく伝えている。“秋に感じられる涼気”、とりわけ “秋に入ったすぐの頃” の雰囲気であり、“夏の暑さ” の中では容易に感じ取ることのできない “爽やかな涼気” と言えるだろう。

  歳時記では、『秋涼し』や『秋涼(しゅうりょう)』と同義だが、“新鮮な” というニュアンスを含んだ『新涼』の “清新なひびき” には叶わない。といって、無論「季語」としての『秋涼し』や『秋涼』が劣っているわけではない。この句の場合、何よりも “新涼” を筆者が望むものであり、この季語が一番ピッタリするようだ。

   とりわけ、今年の8月8日の “立秋” はことのほか暑く、個人的には今ようやく “新涼” というところかもしれない。県外での講師業の際の昼食は、ほとんど「定食屋」の「日替わり」か「煮物定食」だった。さんざん「煮魚」を口にしていたせいか、無性に「焼き魚」を恋しく思ったのだろう。

 ところで “爽やかな涼気” と言ったが、『爽やか』も秋の季語であり、また『涼気』は、『涼』や『涼味』同様、「夏」の季語となっている。

       ☆

  「小料理屋」の店主でもあった真砂女。言うまでもなく、この場合は「焼魚」ではなく「焼肴」でなければならない。つまりは家族のための「おかず」ではなく、小料理屋の女将(おかみ)が、客の「肴」のために焼いたというところに意味があり、また趣が拡がる。

  『尾にも塩ふる』とは、尾鰭(ヒレ)や胸鰭、背鰭に “塩をふる” こと……つまりは「化粧塩」をさしている。包丁人に言わせれば、“ふる” というより “すりこむ” というのが正しいという。焼きすぎによって鰭が焦げたり、姿形の崩れを防ぐためであり、塩によってそれぞれの鰭にハリが出、また全体がピンとなってきれいに焼きあがるからとも。

  ところで、このときの「」は何だろう。季節的には「」か「山女(やまめ)」、あるいは「岩魚(いわな)」あたりのような気がするのだが。

  わが師、石川桂郎に次のような句がある。

    ひとり酔ふ岩魚の箸を落したり  

 

  ともあれ、女将にとって、以上のような「化粧塩」による焼き方は当たり前以前の作業であり、ことさら言葉にするまでもない。それをあえて『尾にも塩ふる』と言ったところに、“女将の仕事” にかける真砂女のささやかな覚悟や、そのときの “淡い心の弾み” のようなものが感じられる。

  では、その “心の弾み” の正体とは何だろうか。恋多き真砂女のこと、秘かに「想いを寄せる客」でも来たのかもしれない。それとも、特別な間柄の男性のことが脳裏を掠めたのだろうか。

   いずれにしても、少し塩を掴んで尾鰭にすりこみ、最後に軽くふりながら火加減を確かめる真砂女が、紛れもなくそこに生きている。粋に着物を着こなし、白い割烹着からのぞいた着物の襟を、摘むようにあわせながら……。

  真砂女の「魚」と言えば、季節はまだ先のことだが、すぐに次の句が出て来る。

    鯛は美のおこぜは醜の寒さかな  

  いかにも真砂女らしい。筆者が好きな “真砂女俳句” のベスト3と言える。

        ★

 

 鈴木 真砂女 1906年11月24日―2003年3月14日。千葉県鴨川市出身。22歳で結婚し一女を出産するも、夫の蒸発により実家へ戻る。その後、急逝した実姉の夫と再婚し、実家(旅。館)を守るために女将となる。俳句に親しんでいた長姉の遺稿を整理するうちに、自らも俳句に目覚める。

  久保田万太郎の『春燈』に入会して指導を受け、万太郎亡き後は安住敦に師事する。30歳のとき、年下の妻帯者と出奔するもその後戻る。50歳で離婚後、東京・銀座に『卯波』という小料理屋を開き、“女将俳人”として生涯を閉じる。『俳人協会賞』『読売文学賞』『蛇笏賞』を受賞。〈すずき まさじょ〉

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする