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雪 キャバリアキングチャールススパニエル

2012-02-29 11:08:06 | 日記

おはようございます昌栄薬品の宮原 規美雄です

 

青梅は雪

 

ジムニーです

エクストレイルAT20GT

 私と我が家のボンヤリ犬ポチです、正式名はポチ・スコンブ・ミヤコ

犬種はキャバリアキングチャールススパニエル

武井咲さんの飼っている犬にそっくりです。

アウトドアー派にしつけているので、虐待ではありません。

過去の画像です。

 

パソコンのインターネットが

のように、画面の半分になってしまいました。

表示が50%になってしまったようです。TCN(多摩ケーブルネット)で解決。

 

 <素問>脈要精微論は明日以降。

 

雪かき、気が重い、11:30現在降り止まず。

 

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南京大虐殺は存在せず 6-6 極秘文書にも『虐殺』の記述ない

2012-02-28 16:00:00 | 日記

平成17年1月8日 産経新聞の記事です

 

新地球日本史 明治中期から第二次大戦まで 152

 

南京大虐殺は存在せず 6

 

極秘文書にも『虐殺』の記述ない

 

 国民党の宣伝謀略という言葉が現実味を帯びてきた今、ダーディンの次の記事が思い出されてくる。

すでに述べたように彼は『ニューヨーク・タイムズ』に南京大虐殺を報じた特派員であった。

また最近分かったことには、国民党宣伝部副部長の董顕光とは「旧友」「良友」の関係にあった。

 

 その彼が十二月二十二日の『ニューヨーク・タイムズ』に「防衛軍司令長官部は彼らが城壁で囲われた南京に包囲されることを十分承知していた。

・・・日本軍の南京占領をできるだけ高価なものにしようと意図していたことには疑いない」と書いていた。日本軍の南京占領を高価なものにする意図とは何であったのか。

 

 南京防衛軍司令部は、城内に残された中国兵が陥落前に安全地帯に入って大混乱とパニックが起き、陥落後は日本軍が安全地帯に入って中国兵を摘発し処刑することを事前に「十分承知」していたのではないか。

これらの事態を渡りに船の宣伝材料にしようと意図していたのではないか。

 

 折から第二次国共合作下の国民党員と共産党員が結集した国民党中央宣伝部の宣伝工作を記した「極機密」文書が出て来た。

それが『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』(一九四一年)で、南京陥落前の一九三七年十二月一日から三年間の戦争宣伝工作の内幕を秘密報告していた。

 

 まず国民党宣伝部の五課三室の一つの「対敵課」の「工作概況」から見てみよう。

「対敵課」は宣伝工作のために、宣伝本として『戦争とは何か』を編集製作したことを秘密報告し、その『戦争とは何か』を次のように要約していた。

 

 「その内容は、敵軍が一九三七年十二月十三日に南京に侵入したあとの姦淫、放火、掠奪、要するに極悪非道の行為に触れ、軍紀の退廃および人間性の堕落した状況についても等しく詳細に記載している」

 

 宣伝本の『戦争とは何か』は殺人、強姦、放火、略奪の描写を満載した本であった。

従ってその要約の冒頭には殺人や虐殺が出てきて当然ではなかったのか。

ところが、宣伝部は肝心要の「殺人」「虐殺」を記していない。

 

 「外事課」の「工作概況」も見てみよう。

外事課は外国人特派員が国民党宣伝部の宣伝文書を発信してくれるならば宣伝効果が上がるとみて、南京陥落前の十二月一日から翌年十月二十四日までの三百二十八日間に三百回の記者会見を、お茶会とともに開いていた。

 

 ところが、十二月中旬にアメリカの新聞が南京大虐殺を報じたときも、翌年七月に『戦争とは何か』が出たときも、そのための記者会見を開いたという記述がない。

南京大虐殺が事実であったのならば、自国民が不法に殺害されたというニュースにいち早く反応して、世界に事実を公表するのが国民党宣伝部の当然の責務ではなかったのか。

 

 他の課の「工作概況」をも見てみたが、「大量殺人が起きた」ことを宣伝工作したという秘密報告は、やはり見いだせなかった。

 

 このように国民党宣伝部が一級史料の極秘文書においてさえ南京大虐殺に一言も触れていないという事実を、私たちはどのように考えればよいのだろうか。

 

 これまで述べできたように、「市民重大被害報告」において不法殺害の目撃がなかったことや、国民党がベイツの四万人虐殺説を大陸向けの『戦争とは何か』の漢訳版や同じく中国での四回にわたる英語版への転載において削除していたことや、その他の疑問や、矛盾点を考慮に入れるとき、国民党宣伝部は南京大虐殺を歴史事実と認めておらず、あくまでも宣伝謀略のための戦争プロパガンダの材料として位置づけていた、と言わざるを得ない。そう考えて初めて史料の整合性が出てくるのである。

 

 勿論(もちろん)摘発された中国兵の中に市民がいたのではないか、不法な処刑があったのではないかとも考えられるが、推測の域を出ない。

 

 こう考えてくると、南京大虐殺とは国民党の宣伝謀略に使われた宣伝本などをもとに、東京裁判正当化のために再構築された解釈に過ぎない。

大虐殺を主張する人は南京大虐殺を公然と明記する国民党政府の当時の記録を提示すべきだ。

6‐6 (亜細亜大学教授 東中野修道)

この記事を掲載することが違反であれば削除します。内容は正しいようです。

 

掲示板に下記の書き込みがありました。

 南京大虐殺はウソだ
 http://www.history.gr.jp/~nanking/index.html

http://www.youtube.com/watch?v=h39x6TVHSdE
http://www.youtube.com/watch?v=Y2xw-wqQk9A
http://www.youtube.com/watch?v=ovCJkB163ms
http://www.youtube.com/watch?v=cfJ7EpU9Cks&feature=related

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南京大虐殺は存在せず 5-6 告発の書は国民党の宣伝本だった

2012-02-27 16:00:00 | 日記

平成17年1月7日 産経新聞

 

新地球日本史 明治中期から第二次大戦まで 151

 

南京大虐殺は存在せず 5

 

告発の書は国民党の宣伝本だった

 

 東京裁判は、日本軍が一般市民と捕虜を二十万人以上も殺したという判決を下した。

今日、ナチスのホロコーストと対比して南京大虐殺が語られるが、その判決に対する世界の反応は奇妙であった。

 

 長い間、中華民国をはじめとする世界の国々が、公然と南京大虐殺を持ち出したことはなかった。

日本の教科書も中国の教科書も世界の教科書も、南京大虐殺を記載したことはなかった。

東京裁判の判決は有名無実だという暗黙の了解があったかのように、ただ歳月のみが流れていった。

 

 東京裁判から二十五年、それまでの空気が一変する。

すなわち、一九七二(昭和四十七)年の日中国交回復後になると、あたかも東京裁判の判決は正当であり、世界は南京大虐殺にもっと注目し、その事実をもっと知るべきだ、という動きが出てくる。

 

 世論づくりの先駆けと転換点をなしたのが、一九七一(昭和四十六)年から、朝日新聞に連載された本多勝一氏の「中国の旅」である。

これは日中戦争で日本軍から被害を受けた中国人の話をまとめたもので、翌年単行本として出版され、ベストセラーとなった。

 

 それから十年後、『中国の旅』の一つの章であった「南京」がクローズアップされる。

アメリカの新聞記事や『戦争とは何か』も発掘され、その翻訳が日本人の前に提示される。

 

 なかでも『戦争とは何か』は高く評価された。

『戦争とは何か』に匿名で主張していた人が東京裁判に出廷していたことが判明したからだ。

その人こそベイツ教授その人であった。

 

 それにしても、ベイツは東京裁判で一言も『戦争とは何か』に触れなかった。

なぜベイツは、自ら分担執筆した『戦争とは何か』を東京裁判に証拠として持ち出さなかったのか。

ともあれ、『戦争とは何か』は、南京大学教授にして宣教師の執筆した本として高く評価されていった。

 

 こうして、一九八二(昭和五十七)年の教科書誤報事件から、日中の教科書が南京大虐殺を掲載し始める。中国は一九八五年に「南京大虐殺記念館」を建設する。

 

 南京陥落から五十年、南京占領をよく知る人たちは多くがこの世を去っていた。

しかし若き外交官として南京の日本大使館で苦情処理係であったという福田篤泰(とくやす)は、次の苦言を呈している。

 

「日本軍に悪いところがあったことも事実である。しかし、二十万、三十万の虐殺はおろか千単位の虐殺も絶対にない。

・・・いわば衆人環視の中である。そんなこと(虐殺)などしたら、それこそ大問題だ。絶対にウソである。宣伝謀略である」

 

福田は当時、南京にいて欧米人と折衝した際の見聞から、南京大虐殺は「絶対にウソである。宣伝謀略である」と断言していた。

しかし証拠は出しようもなかった。

 

ところが近年、福田篤泰のいう「宣伝謀略」という言葉が、いよいよ現実味を帯びてきた。

まず『戦争とは何か』は国民党宣伝部の「編集製作」した宣伝本であったことが分かった。

 

次に、編者のティンパーリは国民党宣伝部の「顧問」であった。

匿名の分担執筆者も分かった。一人がベイツで、彼は中華民国政府「顧問」であった。

もう一人がジョージ・フィッチで、彼の妻は蒋介石夫人の宋美齢と「親友」だった。

 

さらに、世界で初めて南京大虐殺を報じたアメリカの新聞記事のニュースソースは、ベイツが一九三七年十二月十五日に南京を離れるアメリカ人特派員たちに「利用してもらおう」と準備した「レポート」であった。

それが『戦争とは何か』の第一章後半となっていた。

アメリカの新聞が南京大虐殺を目撃したと記していた「外国人」とは少なくともベイツのことだったのである。

 

そのベイツは中華民国政府から勲章を二回授与されていることも分かった。

それは、彼が匿名で『戦争とは何か』に四万人虐殺を書き込んだ一九三八(昭和十三)年と、東京裁判に出廷して四万人虐殺を証言した、一九四六年のことであった。

5‐6 つづく(亜細亜大学教授 東中野修道)

 

この記事を掲載することが違反であれば削除します。内容は正しいようです。

 

掲示板に下記の書き込みがありました。

 南京大虐殺はウソだ
 http://www.history.gr.jp/~nanking/index.html

http://www.youtube.com/watch?v=h39x6TVHSdE
http://www.youtube.com/watch?v=Y2xw-wqQk9A
http://www.youtube.com/watch?v=ovCJkB163ms
http://www.youtube.com/watch?v=cfJ7EpU9Cks&feature=related

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黄帝内経素問 脈要精微論篇 第十七 第六節

2012-02-27 05:00:00 | 日記

おはようございます昌栄薬品の宮原 規美雄です

 

黄帝内経素問 脈要精微論篇 第十七

 

第六節

 

原文

 岐伯曰、反四時者、有餘爲精、不足爲消。應太過不足爲精、應不足有餘爲消。陰陽不相應病。名曰關格。

 

語句の意味

 

四時=春・夏・秋・冬の四季。

 

反四時者=脈の状態が春夏秋冬の脈と合わないもの。

 

精=人体の構成と生命活動を維持する基本物質である。

その中で、人体を構成する部分を生殖の精(先天の精)、生命活動を維持するのに必要なものを水穀の精(後天の精)という。

前者は生殖の基本物質であり子孫を繁栄する働きがある。

後者はたでず摂取する飲食の化生により、生命活動の維持と代謝に不可欠なものである。

通常、臓腑の精気が充満すれば、腎に帰蔵し、生殖機能の成熟期に当っては生殖の精に変化する。

精気がたえず消耗されると水穀の精の成生、補充をうながす。

精は生命の基礎であり、精が充足すれば生命力は強く、外界の変化に適応し病気になりにくい。

精が虚すれば生命力は減弱し、適応能力と病に対する抵抗力は減退する。

 

鍼灸医学大系より

有餘を精となし不足を消となす=精とは、つまり精気の意であり、消とは<釈名・釈言語>に「消とは削なり。減削をいうなり」とある。そこで、ここでは精気が減消されたことを意味するものであろう。

 

東洋学術出版社素問より

有餘を精となす=「有余」とは邪気の余り有ること。

「有余を精となす」とは、邪気が有余となって精気に勝っていることをいう。

不足を消となす=「不足」とは正気が不足すること。

「不足を消となす」とは、正気の不足の原因が血気の消耗欠損によることをいう。

 

消=しょう。きえる。なくなる。きえうせる。消亡。消失。消滅。けす。使う。

 

太過→不及=太過に対することばで、太過とはすぎること、不及とは足りないこと。一般には陰陽の不調和をさしていう。

<六節蔵象論>「未だ至らずして至る、此を太過という。・・・至りて至らざる、此を不及という。」

六節藏象論篇 第九 第四節 語句の意味

六節藏象論篇 第九 第四節 訳

 

鍼灸医学大系より

太過に應じて不足するを精となし=そこで本文の意味であるが、この文章は大へんややこしい、いいまわしの文章で、直訳すると「応甚だしく不足に過ぎたるを精とす」ということである。

つまり「精気が不足分よりも多くあるのを精と為す」ということである。

 

不足に應じて有餘なるを消と爲す=前句との対句の文章で、そのいいまわしも同じであるが、内容は前句とは反対のものである。直訳すれば「応有余に足らざるを消と為す」ということで、つまり「精気を補うてやらねばならぬ分量の方が、保有する量よりも多いのを消と為」ということである。

 

關格=関格・嘔吐や大小便の不通を特徴とする病気、または陰陽が共に盛んで平衡が失調すること。脈象の一つ。

  =1.病証名。小便が出ず、嘔吐が止らない病証。小便が通じないのを関、嘔吐が止らないのを格と名づける。

2.脈象。人迎と寸口の脈がともに盛んなもの。これは陰陽離決の危象である。

3.病理名。陰陽がともに盛んで、相互の平衡が失調した重症の状態をさしている。<霊枢脈度>「陰気太だ盛なれば、陽気栄すること能わず、故に関と曰う。陽気太だ盛なれば、陰気栄すること能わず、故に格と曰う。陰陽ともに盛なれば、相栄するを得ず、故に関格と曰う。関格は、期を尽くすを得ずして死す。」

 

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南京大虐殺は存在せず 4-6 人口と同じ人数が殺害された?

2012-02-26 16:00:00 | 日記

平成17年1月6日 産経新聞記事より

 

新地球日本史 明治中期から第二次大戦まで 150

 

南京大虐殺は存在せず 4

 

人口と同じ人数が殺害された?

 

 東京裁判の始まる半年前の昭和二十(一九四五)年十二月八日、連合国軍総司令部は、全国紙の全面二㌻に、「太平洋戦争史―真実なき軍国日本の崩潰―連合軍司令部提供」を発表する。

 

 「南京における悪瘧・・・日本軍は恐る可き悪瘧行為をやつてしまつた。

近代史最大の虐殺事件として證人達の述べる所によればこのとき実に二万人からの男女、子供達が殺戮された事が確證されてゐる。

四週間に亘って南京は血の街と化し、切りきざまれが肉片が散乱してゐた」

 

 しかしそう述べた「證人達」とは、いったい誰だったのか。市民二万人殺害を示す「確證」とは何だったのか。連合国軍総司令部が南京事件を検証したことはなかったのである。

 

 昭和二十一(一九四六)年五月三日、東京裁判が開廷し、七月南京大虐殺が俎上(そじょう)にのせられる。

ここで特筆しておくべきは、証拠価値が高いはずのアメリカの新聞記事や『戦争とは何か』が、証拠として提出されなかったことだ。

そして南京大虐殺を報じたスティールやダーディンや、『戦争とは何か』の編者ティンパーリや、その匿名の分担執筆者が、名乗りを上げて証言したこともなかった。

 

 言い換えれば、アメリカの新聞記事や『戦争とは何か』の内容が俎上にのせられ、その是非が審議されたことはなかった。

 

 東京裁判の証言台に立ったのは、中国人五人、アメリカ人三人であった。

本来なら、彼らの証言は目撃証言なのか、その裏付けはあるのか、徹底的に審議されて然るべきであったが、それが問われたのはジョン・マギーの反対尋問のときだけであった。

殺人行為を何件目撃したのかと尋問されたとき、マギーは「一人ノ事件」だけだと答えた。

しかしその「事件」すら、当時の彼の日記によれば、彼は目撃していなかった。

 

 証言のなかで、裁判の行方に最も影響を与えたのはマイナー・ベイツの証言である。

 

 彼は一万二千という数字を挙げて、「色々ナ調査・観察ノ結果、我々ガ確カニ知ッテ居ル範囲内デ、城内デ一万二千人ノ男女及ビ子供ガ殺サレタコトヲ結論ト致シマス」と主張した。

さらにベイツは三万という数字を挙げて、「中国兵隊ノ大キナ一群ハ城外ノ直グ外デ降伏シ、武装ヲ解除サレ七十二時間後、機銃掃射ニ依ッテ射殺サレタノデアリマス」と主張し、武装解除された中国兵の射殺という表現で、婉曲的に捕虜殺害をほのめかしたが、一度として日本軍が「戦争捕虜(POW)」を処刑したと公言したことはなかった。

 

 彼は東京裁判で証言したのち、昭和二十二(一九四七)年二月に南京で次の「声明」を公表する。

 

 「日本軍の南京占領の最初の二、三週間に殺された非戦闘員の男女子供の死者数は、どんなに低く見積もっても一万二千であり、武装解除された軍服姿の男の死者数は三万五千であると確信した。

これらの殺人の九〇%以上が最初の十日間に生じ、その(ほとん)ど全てが最初の三日間に生じた」

 

 大量殺害のほとんどが「最初の三日間に生じた」と述べていることは重要だ。

それが事実でなかったことは既に冒頭において論証した。

陥落直前の人口二十万、陥落八日後の人口二十万、陥落一ヵ月後の人口二十五万と言う欧米人に、人口減少の認識がなかったことからみてもまた二ヵ月間の「市民重大被害報告」に照らしてみても、数十人の市民殺害すら考えられない。

 

 あえて大量殺害といえば、三日間(七十二時間)の掃蕩の際の処刑しか考えられない。

それゆえベイツの南京大虐殺の根拠は三日間の日本軍の処刑にあったことになる。

ただ日本軍は「武装解除された軍服姿の男」ではなく、軍服を脱ぎ捨てた非捕虜の不法戦闘員を処刑した。

合法だったのである。

 

 ともあれ、ベイツの証言が裁判に大きな影響を与える。

 昭和二十三(一九四八)年十一月十一日、「日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、二十万以上であった」という判決が朗読された。4‐6 つづく(亜細亜大学教授 東中野修道)

 

註 戦争は軍服を着て戦わなくてはならない、中国兵の一部は軍服を脱ぎ捨てた〝便衣兵(べんいへい)〟で射殺しても何ら法律に違反するものではない。

 

この記事を掲載することが違反であれば削除します。内容は正しいようです。

 

掲示板に下記の書き込みがありました。

 南京大虐殺はウソだ
 http://www.history.gr.jp/~nanking/index.html

http://www.youtube.com/watch?v=h39x6TVHSdE
http://www.youtube.com/watch?v=Y2xw-wqQk9A
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