ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝卒業〟のとき、あなたが歌ったのは?

2022年03月01日 | 俳句

 一昨日の午後、車に乗ってみるとナンと気温17度と出ていました。天気予報で春めいた気候になるとは知っていましたが、これほどとは…。上衣一枚脱いでも暑いぐらいで、この暖かさをついぞ身体は忘れていたようでした。

 昨日は、朝のラジオ体操へさあ行こうと…見れば雨がポツポツ。それで行くのを止めましたが、それが正解!今日聞いてみると行った人もいたようで、段々ヒドくなったので中止だったとか。結局一日中ショボショボと降りましたものね。

 さて、本日は恒例の月1回の吟行会なんですが、お天気の方は…どうでしょうか。予報では晴れで14度とか…でもそのことは次のお楽しみ!ということにして、今日は昨日の句会のことを…

 とうとう月が変って、昨日は3月1日。ニュースを見ると、山口県下の高校は殆どが卒業式だったようです。そう、その「卒業」が今回の兼題でした。

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 「卒業」という季語には、傍題に「卒業式」、「卒業証書」、「卒業歌」などがあります。そして、それについてくるのが〝別れ〟や〝涙〟〝袴〟など…例に漏れずやっぱりここでも出ていました。決してそれがダメということではないのですが、結局ありきたりの発想になって、どこかで見たような、または言わずもがなの句になってしまうことが多く、面白くない。ここが難しいところなんですね。得てして易しそうにみえる季語ほど難しいもの。それは自分で作ってみて始めて分るものなんですよ。

 さて、その中に〝卒業歌〟で詠まれたのが2句ほどありました。それで…〝この歌はどんな歌なの?〟と聞くと、〝そりゃあ仰げば尊しですよ〟と即答です。

 そうなんですね。私たちの年代では、卒業式といえば、先ず国歌〝君が代〟の斉唱から始まり、卒業証書授与、その後在校生の〝蛍の光〟と卒業生の〝仰げば尊し〟…最後に全員で〝校歌〟を歌って閉じるというのが式次第でした。でも、今はどうなっているんでしょうか。

 先日何気なくテレビを見ていましたら、卒業時に歌われる歌のランキングを、年代順に発表していたんです。1位から3位までの歌…20代~30代~は???40代~50代になると少しばかり知ってる歌。60代からはもちろん〝仰げば尊し〟がトップと…。私は、卒業する時は〝仰げば尊し〟を歌うものとばかりずうっと思っていたのですが、いつ頃から歌われなくなったんでしょうか。

  鉛筆で指す海青し卒業歌  寺山修司

 この句、何かノートに海のことでも鉛筆で書いていたのでしょうか。もしかしたら俳句…いや詩だったかも。そして、その海はどこまでも真っ青だった。折しも卒業の歌が近くから…。そんな景を私は想像しましたが、さてそのときの卒業歌とは?

 この作者が歌人,詩人,劇作家,演出家,映画監督であって、更に前衛演劇グループ「天井桟敷」の主宰でもあったという経歴から考えれば、この「卒業歌」は、もしかしたら最近の流行の歌やフォークソングのようなものなのではと思われる方もおられるかも。例えば、私は全く知らないのですが、卒業ソングの定番になっているという、ロックバンド・レミオロメンの「3月9日」という歌。また、かつては海援隊の「贈る言葉」やユーミンの「卒業写真」など…これは私も知ってますよ。(笑)更に、小学校などでは「旅立ちの日に」とか。

 卒業というのは、人生の一つの区切りです。それをもって人は成長していくもの。言うなれば、竹の節のようなもので、その卒業によって別れの悲しみを知り、またそこから新たな世界へと出発する起点にもなる。そして、その出会いと別れを重ねる度に人は一節一節と強くなり、天へ伸びて行く…そう私は考えています。

 殆どの人は、幼稚園から小学校、中学校、高校へと卒業を繰り返し…その先には就職して社会人になる者、大学などへ進学する者など、多種多様の人生が広がっています。そんな節目が「卒業」ならば、その時に歌う歌も意味深いものであるはず。それを歌っているときの気持ちは誰でもが経験済みでしょう。歌詞が古くて難しいとか思想的によくないとか…そんなことを考えて歌っている人はいないのでは。それよりもその旋律によって、6年間あるいは3年間、ともに過ごした仲間の顔、時には叱られたことのある先生の顔、慣れ親しんだ教室や運動場など…そんな諸々のものが髣髴し、そしてそれはもう2度と帰らないのだという感懐が入り交じって思わず涙する…その涙の味はきっといつまでも忘れられないと思うのです。

 そんなときに歌う歌は特別なもの。今思えば私も、あの〝仰げば尊し〟の歌詞をどうのこうのというほど理解はしていませんでした。確かに小学生や中学生には難しいかも知れません。が、あの旋律のもつ美しさや心にしみる情感はとっても好きでした。意味も分らずに覚えた歌であっても、それを歌うときはいつも心にジーンと響きましたもの。いつでもどこででも歌えるような今風の他の歌ではこの感覚は絶対生まれてきません。どんなに古くさくっても、卒業の時はこの歌だという生涯変らぬ歌が一つぐらいあってもいいのではないでしょうか。あの別れの歌である〝蛍の光〟とともに。そういう意味では今時の子どもたちにはそんな感情が生まれてくる卒業の歌はないのではと…心配になります。そうすると、それによって人との出会いや別れを大事に思う心…ひいては人を大切に思う心が希薄になってゆくような気がしてなりません。だとすれば強くて逞しい節など出来るはずがないでしょう。これからの日本を背負ってゆく若者たちが、すぐに折れてしまうような貧弱な竹ばかりでは…カナシイ!

 なんて、…つい話が飛んでしまいましたが、私は国歌と同じように、人生には永遠に変らぬ〝卒業歌〟があってもいいのでは?と思うのです。古今東西日本では、これが〝我が人生〟の節目の歌だといえるような歌があった方がいいと。

 そういう意味からしても、修司の卒業歌は〝仰げば尊し〟でしょう。ちなみに、寺山修司は昭和10年生まれで、昭和54年に47歳で亡くなっています。この〝仰げば尊し〟が急に歌われなくなったのは平成に入ってからということですもの。

 さまざまな表現活動で多くの人に影響を与えた寺山修司が、生涯を通じて求めたものの一つ、それは「対話すること、他人と関わりを持とうとすること」だったとすれば、彼にとっての〝卒業歌〟はやはり〝仰げば尊し〟でなければならないような気がします。

 

コメント (5)
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