ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝きらら俳句教室〟の続きで~す!

2021年07月20日 | 俳句

 昨日の朝は曇っていて蒸し暑かったのですが、ラジオ体操に行くときは風が吹いていて家にいるよりも気持ちがよかったですよ。
 本当は19日は国民の祝日の「海の日」。オリンピックのため平日になって…それで病院も休みじゃなくなったので、午後からリハビリへ行きました。

    海の日の国旗疎らに漁夫の町   千田一路

 この「海の日」は、以前は「海の記念日」として昭和16年に制定されましたが、平成8年から「海の日」となったものです。
 とすると、この句はその祝日を祝うための国旗を掲げた家が今ではもう疎らになってしまったことを嘆いたものでしょうか。だって海の恩恵を受けて暮しが成り立っている漁夫の町なら当然その海に感謝する日はみんなが国旗を掲げてもいいのではと。
 私の子供の頃はお正月など祝日には必ずどこにでも国旗が立っていて、それを見るとみんなが休みになる日なんだととても嬉しかったものですけどね。その後思想的に問題にされて学校などでは国旗だけでなく国歌も排除されてしまいました。今では日本全国もう国旗を掲げる家など滅多に見かけなくなりましたもの。実を言うと私も結婚当初に国旗は買ったものの何回揚げたことがあるかしら。全く記憶に…スミマセン!

 もうすぐオリンピックが始まりますが、そこでは国旗が掲揚されて国歌が演奏されたりすればみんな嬉しいし誇らしくも思うでしょうに。なら日本のシンボルとしての国旗や国歌をもっと大事に扱ってもいいのではと、私は思うのですよ。

 さて、それでは前日の続き、「きらら俳句教室」の皆さんが詠んだ後半の句を紹介しましょう。この日の参加は12名、それらは以下のような三つのパターンに分けられました。
 ちょっと申し添えておきますが、この教室は皆1年目か2年目の初心者で、それも僅か10分そこらで考えたものですから、少々おかしなところがあっても大目に見て下さいね。

 「梅雨明けのニュース……」のつづきですよ。

 1 「…を聞きて旅支度」「…聞きつつ空を見る」「…を聞きて自粛やめ」「…に窓を開け放ち

 2 「…恨めしまゆごもり」「…今年も巡り来る」「…うれしや海行かん」「…取り出すスニーカー」「…パンダに名前つく

 3 「…や蟬の賑やかに」「…や終える更衣」「…や風はいとかろし

 これを見ればお分かりでしょうか。1のパターンは、「ニュース」だから「聞く」というようにすぐに生まれてきた発想で、どれも常套的パターン。更には〝梅雨が明けたから〇〇をする〟という因果的な発想ですね。

 2は、〝梅雨明けのニュース〟が嬉しいとか恨めしいとか主観を述べてしまったもの、ニュースで切って発想を転換したものなど。ちなみにここで、梅雨明けが嬉しいのは分かりますが恨めしいのはなぜ?という質問を出すと、作者が名乗り出て、〝梅雨よりも夏の暑さが嫌いでそのイヤな季節になるから。繭のように家に籠っていたい〟ですって。なるほど、人にはいろいろありますものね。

 ちなみに今回の最高得点は、「…取り出すスニーカー」で、次が「…パンダに名前つく」でした。しかし、前者は直接的ではありませんが、梅雨が明けたからスニーカーを履いてウォーキングでもしようか…という繋がりが見えてきます。後者の方はそういう意味では関係がなく、発想の転換ができているので面白いですね。でも、双子のパンダちゃんもう名前付いたの?あら、まだなら先取りしたのかな…(笑)

 3は、切字「や」を使って発想の転換を図っています。が、前二つは季重ねで、この季重ねはいただけんませんね。最後のはまあまあですが、でもやはり風が軽いのは梅雨が明けたからでしょう。なら因果的になりますか。

 では、当のSさんの句はどう詠んでいたんでしょうか。その答えはこれ…

  梅雨明けのニュース卵の茹で上がる

 いかがですか。これはきっと朝食前の景でしょう。テレビを見ていたら梅雨明けのニュースが流れた…その時ちょうど卵が茹で上がったんですね。それをただ並べただけ…。そこには何故とかいう意味はなく、思いついたままに575にしたのではと思うのです。だってSさんは全くの素人だと仰っていますし、ご本人もこれはつぶやきですと。

 だとすると、頭で考えてひねり出したものではないとすれば、偶然の発想ということになりますかしら。だから褒められたご本人の方がビックリされておられるのかも。
 こういうことってあるんですよね。あの正岡子規がお母さんのつぶやきをそのまま〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉という名句(?)に仕立てあげたんですもの。

 要するに、俳句は事柄を報告や説明するのではなく、ものを描写するということ。そのためには発想がポイントだということ。そして、その発想は理屈ではなくて感性から生まれるということも。じゃあ、その感性はどこに?…それは自分の中にあるものですから自分で磨くしかないでしょう。では、どうやって?ウウ~ン、それは…旅に出るもよし、いろいろな本を読むもよし、また映画を観たり、音楽を聴いてもいいし…即ち何でもいいから出来うる限りの経験を重ねて、自分の中に眠っている感性を揺り動かして刺激してやるということかも知れませんね。

 でも感性を磨くためには、まず心を清らかに豊かにしておかないといけないと思います。真っ新な白い紙にはスーッと何でも染みていくでしょ…ほらネッ!じゃあ、頑張りましょう。

 写真は、リハビリに行った病院に飾ってありました〝八重咲きカサブランカ〟です。カサブランカはよく見ますが、八重咲きは初めて。それはそれは豪華!病院の待合室から廊下中に匂いがプンプンと…ちょっと出過ぎかも。それはきれいでしたが、私は奥ゆかしい楚々とした野の花の方が好きですけどね。

コメント (8)
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