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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

とりみ菌!!

2014-02-18 19:53:40 | マンガ
とり・みき 昭和59年 白泉社
古い本だけど、そんな昔から私はとり・みきを知ってたわけぢゃない。
つい最近、古本屋で買ったマンガ。
名前は知ってたんだけど、読んだことがなかったってやつだ。
見つけたら、気になっちゃって、やっぱ買ってしまった。
あまり見かけないし、定価より高かったらどうしようなんて身構えたんだけど、そんなことはなかった。
サブタイトルに「とり・みき傑作集」とあるように、短編集だ。1980年代前半もの。
「思わず気分はところ天」PART.I~III
「充血刑事」
「くさい方程式」
「みっしょんあぶのーまる」
「ときめきのアクシデント」
「遊星からの美少女X」
「entropy」
「R・E・S・O・R・T」
「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」

どーでもいーけど、近くの商店街から、また一軒古本屋さんがなくなってたぜ。
去年なくなってショックだったのにつづいて二軒目。
痛いぜ。
そんな頻繁に本買わなくてわるい俺が言うのもなんだけど。
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2週連続大雪だったけど、乗馬しちゃう

2014-02-17 18:26:57 | 馬が好き
いいのかなあ乗馬しててと、ちょっとだけ思ったんだけど、とくに緊急招集もされなかったので、私は私の道をいく。
雪かきから始めなきゃいけないのかと思ったら、そんなことなくてキレイなもんである。

もうしわけないですねえ、天気よくなってからノコノコ来て、お客さま状態で、乗るだけで。
馬はギルデッドエージ、苦手な一頭、手ごわいよ。
馬装するあいだとかはおとなしくてカワイイ馬なんだよね。
きょうは馬房から出すとき、ちょっとだけストライキしそうになったけど、あとはいうこときく。妙にフンフンと鼻や口を近づけてきてたけど。(私はそういうときの距離感に関するしつけが甘い。)

さあ、またがって、馬場に行って、ウォーミングアップだ。ほかのひとより5分くらい早かったので、その貴重な時間でやりとりする。
とりあえず前に歩く気はけっこうありそうなことを確かめて、手綱伸ばして軽速歩。巻乗りは、手綱を急に開かないで、両手のなかでジワッと内向けて回転してみたりする。
さてさて、3人くらいで部班でもやるのかなと思ってたら、「6月の試合もあるし、ハミうけの練習をしましょうか」という展開になる。
試合は私にはあんまり関係ないと思ったが、ハミうけの練習はしたいので、ハーイとよいこの返事をする。
んぢゃ、常歩で輪乗り。
まず、前に出す。脚に反応して前に出るように。これ以上やったら速歩なっちゃうかも、ってくらいの勢いで歩かせる。
そのくらい歩くベースがあってから拳つかってくよ。拳つかうのは止まれの合図だったりするんだけど、それに抵抗して馬が前に出てくる状態のなかで、やれと。
まずは前を向いて、自分の行きたいところを決めて、そこから外れないように、内に入ったり外にふくらんだりしないように、馬を弧にそって進ませる。
そのなかで内向けてハミうけさせる。手綱を操作しても、馬を前に前に、まっすぐ進ませるのを忘れるな。急いで歩かせるんぢゃなくて、ゆっくりした歩きでいいから、前へ。
はじめて馬に乗ったときは、開き手綱は左右へ舵を切る役目だけだったのに、深遠なり乗馬の世界。
輪乗りで内向けるんだけど、もっと、もっとやっていい、と言われる。ただし、外の手が前に出ていっしょに回すなということなんで、内の脚で圧して外の手綱にぶつけるようにする。
いつもジワーっとまっすぐ手綱を引いて、馬がゴメンナサイするところを待つんだけど、きょうは思いっきり内向ける。
開く、もっと開く、って言われて、手綱をとても(障害飛ぶくらい?)短く持って、グイっと内に引っ張っちゃう。
片側の眼が見えるかどうかなんてかわいいもんぢゃない、「何すんだ?おまえ?」ってギロッとした馬の眼とまともに向かいあっちゃうくらいで、ちょうどよかった。
そこでゆずったら、ラクにして馬を前に出す。
前に出すとき一緒になって人間が身体を前に倒さない、って指摘されちゃう。
本当にウケてくれてたら、すこし手綱をゆるめたときに馬のアタマは前下方へきれいに伸びてくはず、ところが、アタマが上がってきて、すぐにコンタクトが失われちゃう感じ。

「内をもっと使っていい、アタマ下げさせる。下げて馬がゆずったら、ラクにして前に出す。」
「前に出したとき、アタマあがってきたら、すぐ使って下げさせる。下げさせたところにいることがラクだと、馬にわからせる。」
「前に出したら、すぐ内の拳つかう準備。アタマ上げようとしたらすぐ使って、そこにいさせる。」
そうは言われても簡単にはできない。
んぢゃ、一回乗り替わり。先生が乗ってみせてくれる。
全然ちがうぞ、動きが。野球で打球の速さが違うとか、ゴルフで弾道が違うとか、そういうレベルで違う、プロは。動くの馬なんだけど。
んぢゃ、再度チャレンジ。再開する前に「この馬を内に向けると止まっちゃうことがあるんですけど、推進が弱いんでしょうか」と質問する。
馬をまっすぐ前に出して内向ける、外の手やひじや肩も一緒にまわしてしまうのとは違う、それだと物理的に馬は前に出られない回れない。というお答えで、ベクトルが違うってことか。輪乗り・巻乗りって、まっすぐ進ませるうちに弧を描くんだけど、私のはムダに内側に入ってってるんだな。
さあ、乗ったら、見てたとき目に焼き付けた形をイメージもって、自分で再現するべく今度は最初っから思いっきりやる。
そしたら、きっと馬のほうが「こうすりゃいいんだったら、最初っからそう言えよな」って(先生が乗った直後だから)理解したせいだと思うんだけど、わりと抵抗なくうける形になっていく。
…と、そのとき、突然パーフェクトなハミうけが訪れた、天啓のように
どの馬でもそうなんだけど、私はそういうとき、思わず「おお!おお?きた!」って言っちゃうんだけどね。めちゃくちゃうれしい。はっきりいって快感である。
先生は心得たもので、そしたら速歩でと言ってくれるので、正反撞で輪乗り続ける。
手綱でのコンタクトの感じとかってんぢゃなく、鞍の下から私の尻というか全身につたわってくる馬の動きそのものが違う。
なんだ、なんだ、これ? 後肢の踏み込みから生まれる力を背中伝わってまっすぐうけとめるって、こういうことなのか?
「実は乗りやすい馬だって、いま初めて知った」とか言いながら、ハイになって、おそらく表情緩みながら乗ってる私。
蹄跡をまっすぐ進んで、ちょっと歩度を伸ばしてみたりしたくなる。大きくまわって、ときどき巻乗りとかする。
でも長続きしないので、手綱伸ばしてリラックスさせて、また常歩で前に出るところからやり直す。
とにかく脚に反応して前に出る状態をつくってからやる。しょっちゅう脚で蹴飛ばしてジタバタしてると、人もよい姿勢を続けられないし、ハミうけもなにもない。
そうかあ、もう自動的に馬が前に強く進んでって、拳をあらためて使うまでもなく正しい場所に馬がいる状態を築いといて、そこから競技会場に入るもんなんだよな、馬場馬術って。いやあ、でも準備馬場でここまでできないぞ、常には。

ぢゃあ、ハミうけ集中講座はそんなところで、残り時間は適当に運動して、ってことなので、なんか馬もストレスたまってんぢゃないかと思って、手綱をゆるくして少し駈歩する。
でも、駈歩でちゃんとハミうけしようと思ったら、ぜんぜんできなかった。馬が天井むいて背中が反っちゃう感じ、人馬とも楽しくないので、次回への課題として、今日のところはあまり追求しないでおく。
クーリングダウンで手綱伸ばして速歩してたら、自然にクビが下がってラクーに動いてたけど。
すこし常歩して、おしまい。よーっくホメる。

今回、一瞬ではあったけど、ギルデッドエージ本来の動きを体感できたのは大きい。ものすごい収穫である。
なにがいい乗りかたか、あーしろこーしろと言われても結局できてるのかできてないのか自分でもよくわからず乗ってることがほどんどなんだが、自身で実際に体験できると、次回以降はあれを再現しようとはっきりとイメージできる。
欲しいものがわからないやつは欲しいものを手に入れることができない。目標が明確にできると、遊びといえど運動は楽しくなる。

(↑馬房に戻ったはいいが、草も昼飼いもまだ入ってないもんだから、私に猛抗議。)
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2014-02-13 21:49:19 | 読んだ本
レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳 昭和52年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
きのうからハードボイルドつながり。チャンドラー最後の長編。
持ってるのは昭和61年の20刷。チャンドラーに関しては、そのころまとめて読んだんだったか。
いま読み返すと、なんか日本語が古いというか、しっくりこない。
女性の語尾に、けっこういちいち「わ」とか「よ」とか付いてるのが、気にしだすと気になっちゃう。
そのへんはおいといても、チャンドラーの文章ってのは、とかく名文とされてるんで、いちどは英語の勉強がてら、原文読んでみたいなとは思う。
ストーリーのほうは、朝方に突然の電話で起こされて、今から駅に行って列車から降りたある乗客を尾行しろという依頼を受けちゃうところから始まる。
仕事をはじめたところで、フィリップ・マーロウいわく、「私はあまり好きになれない人間のために、けちくさい『のぞき』の仕事をやっていた。だが、そのためにやとわれたのではないか。彼らがカネを払い、お前が泥をほじくるのだ。」ということなんだけど、このへんの泥のかきまわしの割り切りぐあいが、チャンドラー=マーロウから、パーカー=スペンサーへと伝統として受け継がれてくのかなって感じ。
マーロウのことだから、どうせどっかで死体に出っくわしちゃうんだろうと思って読んでくけど、なかなか殺人事件は起きそうで起きない。誰がホントの悪者か判然としないまま進んでく。
人のあとをつけてくうちに、例によって、後ろから頭をガツンと殴られて気絶しちゃったりとか、意外とかっこわるいのは、これまでのマーロウと変わらないけど。
でも、最終盤で、あの「しっかしりていなかったら、生きていられない、やさしくなれなかったら、生きている資格がない」って有名なせりふが飛び出す。やっぱ、そこらへんがかっこいいんである。

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ペイパー・ドール

2014-02-12 20:06:28 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/菊池光訳 1994年 早川書房
ずっと順に読み返してきてるスペンサーシリーズの、なんだ、えーと、第20作か。
地元ボストンの上流階級の夫人が、鈍器で殴り殺された。動機とか分からないし、通り魔的な事件かと思われた。
で、警察の動きがよくないのに業を煮やして、被害者の夫がスペンサーのところに犯人捜しを依頼してきた。
で、いつものように、スペンサーが、ときにはタフに、ときにはへらずぐちをたたき、ときにはスーザンとディスカッションしながら、事件解決を目指すんだけど。
最初に依頼を受けるときのスペンサーの態度がいちばんおもしろい。
引き受けることを決めたときに、「一つだけ理解してもらいたいのは、いったん仕事にかかったら、どこでも必要な所へ行く。ということは、あんたにいろんな質問をするかもしれない。それに、あんたの友人や親戚にいろいろと訊く。(略)あんたがおれを雇ってやらせようとしているのは、あんたやあんたの知人のプライヴァシイを侵害することであるのを、何よりも先に理解してもらいたい」と、堂々と宣言する。
これまでにも、事件の真相解明に向けて邁進するたびに、おまえにカネを払って頼んだのは人探しだ、コソコソ嗅ぎまわって私の家庭をめちゃくちゃにしろとは言ってない、とかなんとか言われまくったスペンサーならではの事前の使用上の注意だ。
今回は、特に念が入っていて、それを聞いた依頼人が「判っている。きみがやりすぎたら、私がそう言う」と答えたのに対して、さらに「あんたがおれに言うのはかまわない。しかし、だからといって、何も変わらない。おれはおれなりに仕事をする。完了するまで続ける」と啖呵を切る。
これを見りゃあ、長年の読者としては、あー、これは、また、単純に犯人を見つけて終わりとかってんぢゃなく、そこにスペンサー流の価値観による判断とか入ってきて、たとえばひどい人生をおくってる子どもを、まっとうに立ち直らせるほうがスペンサーにとってのテーマになったりとかすんだろうな、って予感はビシバシしてくるわけで、期待させられる。
ところで、次章では、依頼人をスペンサーのところへ行ったらどうかと回してきた、警察のこれまたおなじみのクワーク警部補のところへ行くんだが、そこでもスペンサーは「解決するやり方は、中に入って泥をかき回し、みんなの生活の邪魔をして、みんなが言うことすべてを疑い、全般にわたって嫌われ者になることだ」と、やるけどいいんだな的開戦のことわりをいれている。らしくていいなあ。

ということで、持ってるスペンサーシリーズは、これで一応ぜんぶ読み返した。
このあとも続いてるらしいけど、翻訳の刊行をおってリアルタイムで読んでた当時と同じで、このへんではなはだ飽きてきた感がある。
このあとは(私にとっては)新たに、読むかもしれないし、読まないかもしれない。
でも、とりあえず今は、むかし買って読んだけど、これは絶対読み返さないなと当時判断して売っちゃった、おなじ著者の『愛と名誉のために』が読んでみたくなってきたりする。
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命(MIKOTO)

2014-02-11 18:12:08 | マンガ
小室孝太郎 1979年 創美社・ジャンプスーパーコミックス
古いマンガ。
どうでもいいけど、ここにリストアップのおわってない蔵書は、そろそろ底をつくんぢゃないかと思ってんだけど、こんなとっときのマンガがまだあったとは。マニアックでっせー、これは、たぶん。
ホント、ちょっとかわったマンガだ。
リアルタイムでジャンプ連載を読んでたときは、きもちわるくて怖くて読み返すことができなかったのを憶えてる。
で、その印象が強烈だったんで、後年どうしても読みたくなって、古本屋で探して買った。
ストーリーは、善と悪との壮大な戦い、のはずだったんだけど。
カバーの著者の言葉にいわく「(略)大長編になるはずだった。いろいろな状況がそれを許さず、今回はその三分の一も追うことができなかった。」そうで、たしかに(ジャンプによくありがちな)唐突なエンディングになってる。
主人公は、命(みこと)って男の子で、これが善玉の化身。
救世主というか神の子みたいなイメージで誕生してくるところから物語は始まるんだけど、いま読み返したら、神とかぢゃなくて、正確には「変化法身(へんげほっしん)」ですな。
変化法身ってのは、法身仏が人びとを救うために、人の姿をとって、この世に出現すること、だそうで。
そう、私がこれにハマったのは、キリスト教的な神ぢゃなくて、仏教チックだったとこが趣味にあったんだろうなと思う。
幼いうちに命をなきものにしちゃおうと悪の組織の手先が襲ってくるんだけど、主人公の両親はあくまで一般ピープルにすぎないので、戦うのは密教の修行僧の知念さん。
この設定が好きだったんだろうな。やっぱ、騎士団とかそういうんぢゃなくて、三鈷杵持ったお坊さんに限りますよ、日本の正義の味方は。
対する悪玉のほうも、ときを同じくして生まれた男の子なんだけど、こちらの母親は、若返りの秘法をつかいつづけて四百年生きてきたとされる魔女。
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