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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

陰摩羅鬼の瑕

2019-11-16 21:51:41 | 読んだ本

京極夏彦 2006年 講談社文庫版
ひさしぶりに、自分はまだ読んだことのない京極堂シリーズを読むことにしてみた。
『塗仏の宴』だっけ、あれ読んで、もういいか、みたいに思ったのが、いま調べたら2010年のことだから、それ以来か、つづきの長編読むのは。
タイトル、「おんもらき」は例によって妖怪のたぐいで、鳥のカッコ、鶴に似てて色が真っ黒で目がランランと光ってるという、知らないな、聞いたこともない。
語り部の「私」ってのが、気がつくと三人いることになってる。
ひとりは、毎度おなじみの小説家の関口巽、京極堂のおなかまのひとり、京極堂は友人ではなく知人だとか意地悪言うけど。
このひとは、例によって、かかわりたくもないのに怪事件に巻き込まれて、精神がこわれるような目になってしまう。
いまひとりは、白樺湖畔の大きな屋敷の主の由良昂允伯爵、このひとが本書の中心人物なんでしょう。
昭和28年の話だから、もう伯爵とかって制度はないんだけど、代々家を継ぐ人は伯爵位を継いだんで、それにならって伯爵と呼ばれている。
トシは50歳で、死んだ両親の財産がいっぱいあるんで、経済的にはなんも苦労をしていないが、生まれたときからその屋敷の外に出たことない、家のなかにある本で自らすべてを学んだという普通ぢゃないひと。
家柄はもともと儒学かなんかの家系らしいが、伯爵の父は博物学者で、邸内にはつくらせた鳥の剥製が並んでるから鳥の城とまで呼ばれてる、出たね鳥、どっかに陰摩羅鬼がいるとみた。
で、事件は、由良家花嫁連続殺人である。連続ったって、最初は23年前の昭和5年のことだが、とにかく23年前、19年前、15年前、8年前の四度にわたって、伯爵が婚礼をあげると、その翌朝その屋敷内で花嫁が死んでいるのが見つかった。
関口に言わせると、「動機もなく、理由もなく意味もなく、トリックもなく方法もなく、ただ、伯爵を傷付けるためだけに繰り返し行われる殺人(p.712)」。
それで今般五度目の婚礼があるんだが、殺人をふせぐべく呼ばれたのが、旧華族の家系の探偵、榎木津礼二郎だ、かーっこいい。
ところが榎木津探偵は、信州まで出かけてったところで諏訪あたりで高熱を出し、目が見えなくなってしまったという、そこで頼まれて関口がいやいや同行することになったという展開。
視力を失ったというのに、ひとの記憶がみえるという特殊能力は活きている榎木津探偵は、関係者一同が集まった場に初登場するなり、こう言った。
「おお! そこに人殺しが居る!」
カッコイイです、文庫で1200ページからあるのに、わずか95ページでもう解決してるぢゃないですか。
伯爵の親戚筋に、呪われた因縁を断ち切ってくれと言われた探偵は、
「探偵はただ真実を云い中てるためだけに居るのです! 捕まえるのは警察、裁くのは法律、呪いを解くのは拝み屋だ。序でに云うなら話を聞くのは下僕の仕事です」(p.388)
と言って、呪いを解くのは仕事ぢゃない、いったい自分に何を依頼したいんだと憤慨する、花嫁を守るんなら夫婦の部屋のなかにいさせろとか極めてまっとうな意見も言う。
さてさて、もうひとり「私」って語り部役をしてるのが、元刑事の伊庭というひと、出羽の事件で中禅寺とどうこうと書いてあるんで、そういや最近読んだ『今昔続百鬼―雲』に出てきてたなと思い出したが。
このひとは長野の出身で、過去の花嫁殺人事件の捜査もしているんだが未解決なのがもやもやしてる、それでひょんなことから今回五度目があると聞いて、京極堂のところに相談にくる。
「俺の肚の中にずっと棲んでる鬼魅の悪い鳥がな、古疵を突くんだ(p.906)」と言って、憑物落としの依頼者となるのはこのひと。
かくして、京極堂は、伊庭元刑事にいわせると「艦隊を全滅させた海軍指揮官のような不機嫌な顔をして(p.814)」長野まで出かけていくことになる。
現場に行く前から、京極堂は事件の真相を見通していたようで、
「伊庭さん、真相などと云うものは幾つも幾つもあるんですよ。謎を解明すると云うのは、要するに幾つもある真相の中から一番都合の良いものを選び取ると云うことなんです。(p.862)」
なんて言って、真相が明らかになるのは哀しいことになるとわかっていて乗り込んでいく。
それよりずっと前、伊庭から伯爵家の話を聞く前に、京極堂は自宅を訪ねてきた大学院生と議論してるときに、
「仮令全く同じ言説であっても、時と場合によっては全然別の解釈が出来るのだと云うことを忘れてはいけない。正しい正しくないと云うのは、その思想なり言説がどんな器に入っているかで変わってしまう、と云うことだ」(p.501)
なんて、おんなじような感じのことを言ってるとこがあって、そういうのはわりと印象に残った。
その大学院生との会話は、林羅山とか儒学のことで、過去に読んだ作品で、禅とか、真言立川流とキリスト教とか、御筥さまとか、いろんなもん相手にまわしてきたけど、今回は儒教を相手に憑物落としかいと期待させるものがあった。

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