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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ラモーの甥

2020-08-08 18:26:49 | 読んだ本

ディドロ作/本田喜代治・平岡昇訳 1940年発行・1964年改版発行 岩波文庫版
この、まったく知りもしなかった本を読もうと思ったのは、『文学全集を立ちあげる』がきっかけだった。
その架空の世界文学全集編集会議において、丸谷才一さんが、
>僕がぜひお願いしたいのは、ディドロ(1713~84)で一巻つくることなんだけれど。
と主張している。
それに対して三浦雅士さんが「すごいことをおっしゃいますね(笑)」って反応をしているんだけど、知らないものには何がすごいか意味がわからないんだが、鹿島茂さんは、
>これは面白い。小説を勉強するのにディドロはとってもいいんですよ。さまざまな小説的冒険をやっている人で、実に興味深い。いわゆる小説とは異なる小説を書いた最初の人ですね。
と言っている、冒険ってどんなんだろうと思うんだが、丸谷さんが、
>そうそう。僕はディドロは十八世紀小説の花だと思う。ところが「ラモーの甥」は、岩波文庫で「哲学」に入ってるから、みんな読まないんだよ(笑)。あれは、まさしくジョイスが、プルーストが、トーマス・マンが書いた小説を十八世紀においてやったものなんです。
と推奨しているのにとどめを刺されて、読んでみなくてはと思い立つことになったんだが。
なーかなか、無いんだ、その岩波文庫が。哲学のところ探してみるんだけど。どうも絶版っぽい。
それをこの7月に地元の古本屋で、さりげなく積み重ねられてるなかから、とうとう見つけた。
古い本けっこう置いてる昔っからの古本屋なんだけど、さすが頼りになる存在である。
ちなみに1978年の13刷で帯には¥200と印字されてるけど、もちろんそれより高い値段で買うことになる。
さて、それで読んでみたんだが、はっきり言ってよくわからないタイプの話でした。
1761年ころと思われるある日の夕方に、著者と思われる「私」が「彼」ラモーと対話するという形式で。
まあ小説らしくないといえばたしかにそうで、戯曲ってのに近いといえなくもない。
話し相手を「ラモーの甥」っていうのは、登場人物の伯父さんが「大ラモー」とまでいわれることのある有名な音楽家で。
それに対して登場人物ラモーは、本人曰く「無学で馬鹿で、気ちがいで、無作法で、怠けもの(p.25)」とか「やくざで馬鹿でのらくら者(p.63)」とかってことで、音楽の才能とかありそうなんだけど、金持ちのとこで「道化」をして居候みたいなことしてる。
で、その旦那をしくじってしまったという、困った状態で場面に登場しているわけなんだが。
ディドロとラモーの対話は、多岐に及ぶんだけど、ディドロたち哲学者と反目する勢力の、評論家だか政治家だか社交界に出入りする有象無象への攻撃なんかが多くて、「注」がないと正直わかんない感じのものが多い。
(「訳注」が多いんだ、これが。本文160ページくらいだけど、その後ろに注のページが38ページある。)
解説を先に読んだほうがいいのかもしれないけど。
著者の存命中には出版されなくて、死後にゲーテがドイツ語訳して高く評価したらしいが、もしかしたら著者は発表する気なかったのかもしれない。

コメント
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