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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

掏替えられた顔

2015-10-15 21:48:46 | 読んだ本
E・S・ガードナー/砧一郎訳 1955年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
ペリイ・メイスン・シリーズ、持ってるのは1989年の8版だけど、たぶん古本屋で買ったんぢゃないかと思う、私が実際に読んだのはもうちょっと後のはず。
きのうから、推理小説、とくに犯罪に関するウミツバメ的なものつながりということで。
というのも、この本の最後の最後で、秘書のデラ・ストリートが、メイスンに向かって、「(略)あなたって人は、殺人事件から殺人事件へ飛んで行くウミツバメなのよ。(略)」と言っているから。
ちなみに、前回でちょっと思い出した、ウミツバメに関する言い回しの原典は、「シャーロック・ホームズの思い出」のなかの『海軍条約文書事件』にあった。
何かの化学実験をやってるホームズのとこにワトスンが訪ねていくと、その実験を終えたとたんにホームズが、「なあに、ただの平凡な殺人事件さ。君はもっと面白い事件をもってきたんだろう? 君ときたらまったく犯罪の海燕だからな。(海燕が現れると暴風雨がくるといわれる―訳者) どんな事件だい?」と言うもの。
ま、それはいいとして。本書は、メイスンとデラが、つかの間の骨休めを終えて、ハワイからサン・フランシスコに帰る船に乗ったところから始まる。
実に珍しいことで、どうしていつも忙しいメイスンとデラがハワイに行ってたのか知りたくなるんだが、シリーズを順番に読んでないと、こういうどうでもいいところで道に迷ってしまう。
ちなみに本作の直前の物語は『カナリヤの爪』で、その前が前回読んだ『危ない未亡人』なんだけど、『カナリヤの爪』のなかにハワイに出かけてくストーリーがあったのか、本自体を探しても見つけられないので、いまのところ謎のまま、あー気持ちわるい。
そこのところのつながりはともかく、とにかく殺人事件の現場を飛んでまわるウミツバメのメイスンであるから、休暇が終わったら何かと戦いたくてうずうずしている。そこんとこを、デラに、
「ねえ、ポール―(略)この人と議論したって、なんの役にも立たなくてよ。とにかく、この人の頭には、謎ヴィタミンと、戦闘カロリーとが缺乏していて、今、大急ぎで、栄養のバランスをとりもどそうとしているところなんだから」
と評されたりしてる。
事件の調査のためには、例によって人使いが荒く、ポール・ドレイクの探偵事務所をフル稼働させるんだが、ポールは忙しいことをデラにこぼしたらしく、デラがメイスンに言いつけることには、
「さっきも、ポールは、自分の両親のことを、とんでもない間ちがいをやったものだって、そういっていたわ。五つ児に生まれりゃよかったのになあですって」
なんて言ってたらしい、身体が二つあってもまだ足りないってか。
肝心の事件の内容は、ハワイから帰る船のなかで同乗した婦人の依頼をうけたもので、夫が急に大金を手にして、娘をつれてハワイに旅行に来たのはいいが、夫は会社の金の横領とかなにか悪いことをしたのではないか調べてもらいたい、というのが、とっかかり。
ところが、その夫というのが、もうすこしで本土に着こうかという海が大荒れの夜に、船から転落して行方不明になってしまい、その殺人容疑がメイスンの依頼人である夫人にかけられる。
デラは、あの夫人のために戦うのは慎重になったほうがいいって、メイスンに忠告する、なにか裏事情に感づいているのか。
でも、一旦引き受けたからには、メイスンは徹底的にやるので、すごく不利な状況を打開するために、例によって例のごとく、危ない橋をわたる。
一芝居うちながら関係者に接近していくある場面では、「グズグズしていると、厄介なことに」なるとケンカ腰になる相手に対して、メイスンは「厄介なことなら、親類みたいなもんだよ」と笑う。
トラブル・イズ・マイ・ビジネスって文句はよくきくけど、厄介なことは親類だ、ってのはなかなかいい、さすがウミツバメだ。
さて、それはそうと、殺人の現場を見たって言い張る、ほんと厄介な証人が出てきて、なんせ自分でしゃべってるうちにどんどん記憶を塗り替えて、見てないものまで見たって思いこんぢゃうタイプなもんだから、この女性の証言を覆すのが大変、そこが法廷シーンの醍醐味になってるといえる。
証人が「とっくみ合うもの音がきこえました」と言うと、「今の『とっくみ合う』ということばは、証人の推断として、取り消しを申し立てます」とガツンといく、いいねえ。
検事が尋問で誘導しようとしたりすれば、すかさず「今の尋問は、問題の事実に関係なく、的はずれであり、無用であり、かつ、正当な根拠のないものとして、異議を申し立てます」といく、そこカッコイイ。
結局、法廷に立つよりだいぶ前に、この証人の存在を知ったとこで、その女性のイヴニング姿の写真を手に入れろって、ポール・ドレイクに命ずるところが、この物語のキーで、私がいちばん感心したところということになる。
ところで、原題「THE CASE OF THE SUBSTITUTE FACE」ってそのまんまだけど、なんで「掏替えられた顔の事件」っていうかっていうと、被害者の男性が、その旅行カバンのなかに娘の写真を入れていたが、それがいつの間にか娘とそっくりな女優の写真に替えられていた、っていうとこからきてる。
この娘とメイスンのやりとりも面白くて、
「あなたには、パパのことを、どんなふうに話していて?」
「どうして、君は、お母さんが、ぼくに、お父さんのことを話したと思うの?(略)お母さんに訊けばいいじゃありませんか」
「(略)なぜ、ママに訊かなきゃならないの?」
「ほかに訊く相手がありますか?」
「ご存じだったら、教えて下さらない?」
「教えなければならない理由がありますか?」
なんて具合に延々と、質問には質問で返して、なにも自分からは明かそうとしないメイスン。
そういうとこは思わず笑わされるんだけど、ストーリー展開は、いろいろ入り組んでて、誰が何のために写真をすりかえたのか、父親はほんとうに会社の金を横領したのか(本人は「富クジに当った」と言っていた)、ほかにも一癖も二癖もありそうな船客たちのちょっと変わった行動にはどんな意味が隠されてるのか、けっこう複雑なプロット。
推理小説として、かなり傑作かもしれない。つい最近読み返したんだけど、真剣に読まなくちゃならず、アタマ疲れてると先進んでいけないようなとこあった。
コメント
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