E・S・ガードナー/小西宏訳 1961年 創元推理文庫版
推理小説つながりで、ペリー・メイスン・シリーズ、どうやらこれが第一作らしい。
解説によれば、一九三三年刊行、日本で紹介されたのはその四年後の昭和十二年だって、古典だねえ。なんせ物語の時代は禁酒法のころらしいから。
しかし、ひさしぶりに読んでみると、すごいスピーディーな感じの展開で、古いって気はしない。
(でも、最近思うんだが、やっぱ生まれたときからケータイとネットがある世代には、ない時代のお話ってのは実感として理解できないんではないだろうか、もしかして?)
ただ、弁護士メイスンの初登場作っていう本作は、読み返してみたら意外なことに、法廷シーンがない。そこ行く前に、事件が解決しちゃってる。
でも、メイスンの戦いっぷりはハッキリしてて真っ直ぐ。
冒頭の依頼人とのやりとりのなかでも、自分はきれいな事務所でおとなしく書類手続きをしてる弁護士ぢゃなく、客はみんな自分の力が必要だからやってくるのだと言う。それで、
>「メイスンさん、あなたがなさることって、なんですの?」
という問いに、簡潔に力強く、
>たたきつけるようにメイスンは答えた。
>「戦うんです!」
と宣言してる。
メイスンの手足となり働く、探偵ポール・ドレイクもこの第一作から登場するんだけど、そのドレイクにも、
>「きみという男は、まったく依頼人を見すてないんだな」
と半ばあきれられちゃうシーンがあって、でも、そこでも、
>「それが、ぼくの人生の信条なんだよ、ポール。ぼくは弁護士だ。困ってる人間を引き受けて、助けてやろうとする。検察側でなく、被告側の代理人だ。(略)無罪を主張するのがぼくの義務だ。」
と客の依頼を引き受けたら、最後まで客のために戦う姿勢を宣言する。あまつさえ、
>「(略)依頼人かならずしも咎なきものじゃない。悪党も多い。おそらく大半が有罪だろう。しかし、それは、ぼくが決めることじゃない。陪審のやることだ」
とまで言っちゃう。ほんとは真犯人だったとしても、それを証明できないように、陪審員が有罪判決を下せないように、被告のために戦っちゃうことが、このひとにとっての正義。
だから、事件の真相を解明するのが目的、ましてや悪だくみが明るみになったあかつきには悪人は罰せられるべき、なんていう探偵小説とは、ちょっとちがう。
そのぶん、やりかたは面白いときがある。自分の有利な状況つくるためには、いろんな芝居も打ったりする。
相手をわなにかけるために、知合いを事前に訪ねておいて、自分が次に現れたときは、事情は知らなくていいから、こういう科白を言ってくれ、そうしたら元手はかからずキミは五十ドルもうかるんだから、なんて仕込みを入れたりするから油断ならない。
で、肝心の今回の事件のなかみはというと、政治家と密会してたところに強盗事件が起きたせいで、居合わせた新聞社の関係者に強請られる事態になった人妻が依頼人。
メイスンのよくできた秘書のデラ・ストリートは、あの依頼人の女性は信用ならないと最初っから警告するんだが、メイスンは引き受ける。
やっぱり依頼人はくわせもので、その後のある事件の現場で、メイスンが被害者と口論してた声を聞いたと、でまかせを言い出して、メイスンを容疑者に仕立て上げようという戦略で、メイスンを動かそうとする。
そこのところを、デラ・ストリートが、
>「あの女、にくらしいわ!(略)わたし、まえにも申し上げたじゃありません―ビロードの中に爪をかくした女だって!」
と言うんだが、それがタイトル、原題「THE CASE OF THE VELVET CLAWS」の由来ではないかと思われる。

…んー、とうとうメイスン・シリーズに手をつけちゃうのか、俺?
これ確か七十冊以上あるんだよな。
週に三回書いてっても、半年分くらいのネタになってしまう。
推理小説つながりで、ペリー・メイスン・シリーズ、どうやらこれが第一作らしい。
解説によれば、一九三三年刊行、日本で紹介されたのはその四年後の昭和十二年だって、古典だねえ。なんせ物語の時代は禁酒法のころらしいから。
しかし、ひさしぶりに読んでみると、すごいスピーディーな感じの展開で、古いって気はしない。
(でも、最近思うんだが、やっぱ生まれたときからケータイとネットがある世代には、ない時代のお話ってのは実感として理解できないんではないだろうか、もしかして?)
ただ、弁護士メイスンの初登場作っていう本作は、読み返してみたら意外なことに、法廷シーンがない。そこ行く前に、事件が解決しちゃってる。
でも、メイスンの戦いっぷりはハッキリしてて真っ直ぐ。
冒頭の依頼人とのやりとりのなかでも、自分はきれいな事務所でおとなしく書類手続きをしてる弁護士ぢゃなく、客はみんな自分の力が必要だからやってくるのだと言う。それで、
>「メイスンさん、あなたがなさることって、なんですの?」
という問いに、簡潔に力強く、
>たたきつけるようにメイスンは答えた。
>「戦うんです!」
と宣言してる。
メイスンの手足となり働く、探偵ポール・ドレイクもこの第一作から登場するんだけど、そのドレイクにも、
>「きみという男は、まったく依頼人を見すてないんだな」
と半ばあきれられちゃうシーンがあって、でも、そこでも、
>「それが、ぼくの人生の信条なんだよ、ポール。ぼくは弁護士だ。困ってる人間を引き受けて、助けてやろうとする。検察側でなく、被告側の代理人だ。(略)無罪を主張するのがぼくの義務だ。」
と客の依頼を引き受けたら、最後まで客のために戦う姿勢を宣言する。あまつさえ、
>「(略)依頼人かならずしも咎なきものじゃない。悪党も多い。おそらく大半が有罪だろう。しかし、それは、ぼくが決めることじゃない。陪審のやることだ」
とまで言っちゃう。ほんとは真犯人だったとしても、それを証明できないように、陪審員が有罪判決を下せないように、被告のために戦っちゃうことが、このひとにとっての正義。
だから、事件の真相を解明するのが目的、ましてや悪だくみが明るみになったあかつきには悪人は罰せられるべき、なんていう探偵小説とは、ちょっとちがう。
そのぶん、やりかたは面白いときがある。自分の有利な状況つくるためには、いろんな芝居も打ったりする。
相手をわなにかけるために、知合いを事前に訪ねておいて、自分が次に現れたときは、事情は知らなくていいから、こういう科白を言ってくれ、そうしたら元手はかからずキミは五十ドルもうかるんだから、なんて仕込みを入れたりするから油断ならない。
で、肝心の今回の事件のなかみはというと、政治家と密会してたところに強盗事件が起きたせいで、居合わせた新聞社の関係者に強請られる事態になった人妻が依頼人。
メイスンのよくできた秘書のデラ・ストリートは、あの依頼人の女性は信用ならないと最初っから警告するんだが、メイスンは引き受ける。
やっぱり依頼人はくわせもので、その後のある事件の現場で、メイスンが被害者と口論してた声を聞いたと、でまかせを言い出して、メイスンを容疑者に仕立て上げようという戦略で、メイスンを動かそうとする。
そこのところを、デラ・ストリートが、
>「あの女、にくらしいわ!(略)わたし、まえにも申し上げたじゃありません―ビロードの中に爪をかくした女だって!」
と言うんだが、それがタイトル、原題「THE CASE OF THE VELVET CLAWS」の由来ではないかと思われる。

…んー、とうとうメイスン・シリーズに手をつけちゃうのか、俺?
これ確か七十冊以上あるんだよな。
週に三回書いてっても、半年分くらいのネタになってしまう。