村上純 2013年9月 光文社新書
つい最近、書店で積んであったのを見て、手にとった本。
こういう、自分がとても好きなものについて他人が語ってる本、は(一般的にいっても多分)読んでも幸せにはなれないだろうなってことは容易に想像できたんだけど、表紙の写真にやられた。
(いま気づいたけど、ふつうの表紙カバーの上にさらに重ねてかけてあるのね、このカバー。)
で、まあ、読んでみたけど、やっぱり「ふーん、だから何?」くらいしか思うところはなかった。
もちろん私の知らないこともいっぱいあったけど(だって私なんか、もう10年以上、二郎食ってないし。だからいっしょけんめ本書いたひとを批判する気も資格もないけど)、実際に二郎食うことに比べたら、それがどうしたとしか言いようがない。
二郎の魅力とか、歴史とか、食べ方とか、支店(私がよく食ってたころは無かったし、その後も行ったことはないけど)の特徴とか、いろいろ書いてますが、ひとは、っていうか「私には」だな、それぞれの二郎に対する思いがあるんで、べつにいいです、あらためて言われなくても、って感じ。
ちなみに著者は、よしもとのお笑いタレントらしいんですが、そのテのテレビをほとんど見ない私は知りません。
この本を読んだ直後くらいに、ネットで「勝手に本をだして、二郎の“おやっさん”が怒ってる」ってのを見たような気がしますが、だいじょうぶだったかな。
まあ、怒っても、争って、出版禁止を求めるとか、そういう展開になりそうな気はしないけど。
第一章 二郎は食べ物ではない、哲学である
第二章 二郎の系図
第三章 二郎のお作法
第四章 小宇宙(ドンブリ)を構成する要素
第五章 二郎めぐりで小旅行
第六章 もっと二郎を楽しむために
つい最近、書店で積んであったのを見て、手にとった本。
こういう、自分がとても好きなものについて他人が語ってる本、は(一般的にいっても多分)読んでも幸せにはなれないだろうなってことは容易に想像できたんだけど、表紙の写真にやられた。
(いま気づいたけど、ふつうの表紙カバーの上にさらに重ねてかけてあるのね、このカバー。)
で、まあ、読んでみたけど、やっぱり「ふーん、だから何?」くらいしか思うところはなかった。
もちろん私の知らないこともいっぱいあったけど(だって私なんか、もう10年以上、二郎食ってないし。だからいっしょけんめ本書いたひとを批判する気も資格もないけど)、実際に二郎食うことに比べたら、それがどうしたとしか言いようがない。
二郎の魅力とか、歴史とか、食べ方とか、支店(私がよく食ってたころは無かったし、その後も行ったことはないけど)の特徴とか、いろいろ書いてますが、ひとは、っていうか「私には」だな、それぞれの二郎に対する思いがあるんで、べつにいいです、あらためて言われなくても、って感じ。
ちなみに著者は、よしもとのお笑いタレントらしいんですが、そのテのテレビをほとんど見ない私は知りません。
この本を読んだ直後くらいに、ネットで「勝手に本をだして、二郎の“おやっさん”が怒ってる」ってのを見たような気がしますが、だいじょうぶだったかな。
まあ、怒っても、争って、出版禁止を求めるとか、そういう展開になりそうな気はしないけど。
第一章 二郎は食べ物ではない、哲学である
第二章 二郎の系図
第三章 二郎のお作法
第四章 小宇宙(ドンブリ)を構成する要素
第五章 二郎めぐりで小旅行
第六章 もっと二郎を楽しむために
