はい、走ることに関する話の、つづき。
えーと、何をどこまで書いたっけ?
そう、それで、いろいろあって、すっかり走んなくなっちゃった私だったんだけど、1994年に滋賀に転勤・引っ越したときから、またやおら走りだしたりした。
ほかにすること、なかったのかもしれない
規則正しい生活になったってのもあるかな、夕方、早く帰って、自分の好きなように過ごす(やっぱ他にやることない?)って機会が増えたというか。
本格的に、ひとり暮らし始めたってのも、大きかったのかも。休みの日に、山に登る(日帰りで行ける低い山ね、登るというより、歩く)ようになったのも、この時期だし。なんかねえ、黙々と身体動かして、そのなかでいろんなこと考えてた(ある意味内面と向き合ってたとも言えるかも)、それが自分を確立するっていうか維持するっていうか、そういうのが面白かったころだったような気がする。
んで、1994年か95年か忘れたけど、トレーニングしてるうちに、ひさしぶりにレースに出たくなって、出た。
仕事するようになってレースに出なくなったのは、ひとつは怠けて走らなかったってのもあるが、日曜日に仕事をぬけられないので、出られるレースがないってのもあった。レース目標にしないと、怠け具合にも一層拍車がかかったし。
で、このときは、近くに祝日施行のレースがあったんで、参加した。「Oh!湖 草津マラソン」ってやつである、前半部分は「おうみ=近江」と読んでやってください。
これは、自分にとって初めてで最長距離になる、ハーフマラソン(21.0975キロ)。ひさしぶりで、20キロ超えるのに出るのは、不安もあったけど、やっぱ走るならそのくらい走らなきゃって思ってエントリーした。もちろん練習もそれなりに。11月23日のレースだったんだけど、8月くらいまでは暑くて休んでるんで、実質2カ月ちょっとでレースに出るまでの状態を作っていったんで、期間としてはギリギリだったけど。
結果は、1時間24分25秒。20キロの自己ベストに近いペース、またしても1キロをきっちり4分で走ったことになる。琵琶湖湖畔のほぼフラットなコースだったけど、目標どおり、自分の能力どおりの走りができたんで、ひどく満足した。
翌年はエントリーしたんだけど、仕事が入って、走ることはできなかった。その年のほうが、年間の走りこみ量は全然アップしてたんだけどね。
だいたい、週単位で走る量のスケジュールを考えるようになったのも、このころだったと思う。週に30キロとか、40キロとか。それは毎日何キロってわけぢゃなくて、日によって違って、5キロ、7キロ、5キロ、7キロの繰り返しで週36キロとか。そう、1週間のスケジュールは6日で立てて、一日は休みとしてとっておく。そうしないと、雨の日でも走るはめになるから。それと、毎日毎日走ってると、たまに一日休むと、その次の日にグンと走りがよくなったりすることが経験的にわかったから。ときどき、身体的にも精神的にもリフレッシュすることが大事。
もちろん、レースが近づくと、週に50キロくらいになってきて、雨の日でも走るようになる。雨の日のランニングは、うちを出るまでが億劫なだけで、走りだすと意外と雨は気にならなかったりする。それよりも、むしろ嫌なのは、風。向かい風はヤだし、横風も走ってるとほとんど向かい風のようにしか感じないので、完全な追い風以外は、強い風の抵抗を感じながら走ることになる。滋賀県にいたときは、草津から琵琶湖に向かって走ることが多かったんだけど、湖から吹き付ける(心理的には比叡山から吹き下ろす)風は冷たくて強くてヤだったなぁ。
そして、また走らなくなっていく。
引っ越して東京勤めになった1997年からの4年間は、本格的に忙しいというか、いま思えばムチャなペースで仕事してたこともあった。走るのは、たまーに休みの日に身体を動かす程度。でも、そうやって30分でも走ることは、嫌なことがあったときに忘れたりアタマからっぽにしたりするのに有効だったけど。
で、2001年に滋賀に舞い戻るんだけど、そこからの2年間は、またよく走った。
勝手知ったる琵琶湖へのサイクリング用道路を主に夕方走った。琵琶湖までは、片道6キロ強、休んでる期間が長かったんで、なかなか琵琶湖までは行けなくて最初は途中で折り返してたけど、そのうち往復しても大丈夫になってきたんで、ときどきは(時間に余裕のある休日だから、週イチくらいかな)琵琶湖まで走るようになった。どうにも帰りがキツイなといつも感じてたんだけど、それは疲れだけぢゃなく、川沿いを湖まで走るんだから、行きは緩やかだけど自然と下り、帰りは登りになってるってことに気づいて、これは逆の方がラクだったなーと思ったんだけど、仕方ない。
で、やっぱりレースに出たくなって、2002年の11月に、ついにフルマラソンに出た。京都の福知山マラソン。
走ってるからには、一度はやっぱりフルに出たいなって、ずっと思ってたんだけど、このときを逃すと、体力的にも練習機会を確保する生活の環境的にも、もう無いなって感じで、挑戦した。
当時やっぱり自分と向き合って走ってた部分もあって、トシが35だったんだけど、「なにかひとつ、若いときの自分を超えたいな」とかワケわかんないこと考えて、それには10キロ(38分23秒)か20キロ(1時間19分53秒)のベストを更新するか、走ったことのないフルマラソンを走るかの、二択だったんだけど、短い距離でタイム短縮する前者は非常に厳しいので、やったことのないことに挑む、フルマラソンの方に賭けた。
一年近い軽い助走期間があったんで、9月から本格的な練習を始めて週50キロにして、10月は週60キロ、11月最後の3週くらいは、やっぱり週70キロ走ってみた。一般的には、フルマラソンを走るためには、1ヵ月300キロのトレーニングを2ヵ月続ければ、まあ走る資格があるとされている。(村上春樹によるアメリカにおけるその表現は、80キロ(たぶん50マイルって意味だろう)を8週間だったかな、まあ同じ。)私の練習量は、ほんとはちょっと少ないんだけど、どうにも夏にピッチが上がんないんで、まあそんなもの
(ちなみに夏は、仕事で泊まりの出張に行かされるんで、練習予定が狂う。若いときは、クツ持ってって、出先でもある程度は走ってたんだけど。)
あと、レース前の1ヵ月は、酒を断つ
これは以前からもそうだったんだけど、やっぱ酒を抜いて、肝臓をキレイにしていかないと(?)自己のポテンシャルは全部出せない。多分に、精神的なものもあるんだけどね
もちろん、そのぶん、レース終わったあとに飲む酒(最初はビール)は、うまい。
結局、練習では最大25キロくらいまでしか、距離の経験がない状態で、本番に臨んだ。
本番で、いちばんむかついたのは、私より前のスタートラインにいた人のなかで、スタート直後に歩いてるヤツのいたことだな。巨大マラソンでは、自己申告タイムでスタート地点を自主的に選択するんだけど、私は3時間ラインに正直にいたんだが、スタートして追い抜いていくと、前の方に、明らかに遊びの人がいた。ほんと、ジャマなんである。スタートして、すぐペースに乗れれば、あとは1キロ4分で走る自信があるんだけどね、道幅いっぱい人がいると、どうしても抜けなくてスピードアップできない。
フルマラソンを3時間で走るのは、走るひとにとっては「サブスリー」といって、ひとつの大きな基準である。私も当然それを目指した。ハーフの記録を単純に倍にすれば、2時間50分くらいで走れる計算だけど、さすがにそうもいかんだろうから、でもそんなにペース落とすこともありえないんで、3時間を目標にした。逆に、3時間を目指さないんだったら、私にとっては、走る意味はない。(どうでもいいけど、世の中には、ろくに練習もしないで何時間もかけてフルに出るひとがいるみたいだけど、なに考えてんのか、私には理解できない。1キロに10分かかるんなら、歩いたほうが早いし、ラク。)
まあ、とにかく、巨大マラソンなんで、思ったようにペースをつかめなかったんだけど(ちなみに後ろの方からだと、本当のスタート地点に到達するまで3,4分かかる
)、しばらく行ったら、何とか走り始めることができた。
いちばんキツかったのは、25キロから30キロの間だったろうか。やっぱり、経験のないところは厳しいものがある。でも、普通のひとがよく言う35キロ過ぎからは、べつにきつくはなかった。30キロを過ぎてからは、残り12キロなんで「ああ、あと“琵琶湖へ1往復”ね」と普段の練習を思い出せば、簡単に逆算できたんで、ゴールへ近づいていくのがリアルにわかって、やる気が出てきたんで。
結果は、3時間17分44秒。初マラソンとしては、まあまあなんだろうけど、自分自身では満足できなかった。もうちょっと何とかして3時間に近づけたかった。
※7月27日付記 昔のロードレースはゴールしたとき係の人がゼッケンを見てタイムを打ちこんでたと思うんだけど、近頃ではクツヒモに通す形で“チップ”を各ランナーがとりつけます。これでスタートとかゴールとかにある地面に敷いてあるものの上を踏んで通ると、タイムが自動計測されるというもの。福知山マラソンでは、これを利用して「参考ネットタイム」というのを計算して、完走証に記載してくれてました。後ろのほうからのスタートで、号砲鳴ってからスタート地点に来るまでに4分47秒かかってるので、私の実質の42.195キロのタイムは3時間12分57秒でした。
そのあとも、年明けまで軽く走り続けたんだけど、2月に引っ越して東京住まいになってから、走らなくなっちゃった。
走るとなったら、毎日1時間は走るために割くんだけど、自分としては1時間走ることより、その1時間をつくることのほうが難しいって思う。また機会があったら、トレーニングして、もう1度くらいフルマラソンに出てみたいとは思うけど。もうムリかな? 気力がな…。
でも、レースに出たりして思うんだけど、走るののいいところは、練習は裏切らないってことだな。正直に走っただけの結果が出る。で、練習は、やめようと思えば、いつでも自分の意志でやめられる。続けること、「今日はもう2キロ」とか思って実行すること、全部自分次第。だから、走り続けてる限り、私自身は人間ダメになんないと思うんだけど。最近ダメだなぁ
走るのが続けられない人への私のアドバイス(その1は「時刻を決めろ」)その2は、「新しい(いい)クツを買え」だったりする。メーカーや用品店のまわしものぢゃないけど、やっぱいい(高い)クツ履くと走り行くの、楽しい。初級のころは、いままで履いたことのないような、軽くてクッションのいいものに足を通したら、いいと思う、きっと自分はこんなに軽やかに走れるんだって思うと思うよ。少し上を目指すなら、ウェアも新調したほうがいい。薄いのに冬でもあったかいのとか、雨ぴんぴんはじくのとか着ると、寒い日でも雨の日でも、ほんと走るの楽しくなる。
楽しく走るっていえば、ちなみに村上春樹氏は、走るときに音楽を聴くらしいけど、私はやったことない。私は、ふつうに車の通りがある道を走るんで、危ないと思う。(歩道より車道のほうが走りやすいので、車が近づかない限りは、車道を走ることが多い。)
写真とか何もないのもなんなんで、いま手元にある靴。

(アシックスのスカイセンサー。昔から好きなシューズ。)
新しいジョギングシューズを買うと、いっしょに靴紐を買って代えるのが慣例になっていて、白い靴紐なんてつまんないものはすぐ撤去しちゃう。
なるべく派手なのがよくて、ピンクはよく採用する。靴本体とのコーディネートとかをあんまり気にしないのは、どうかと思うけど。
靴紐を代える理由のもうひとつは、私の足は甲高なんで、ふつうの紐よりも、長めの紐にかえてユッタリ紐を通して結んだほうが楽な感じがするっていうのもある。
えーと、何をどこまで書いたっけ?
そう、それで、いろいろあって、すっかり走んなくなっちゃった私だったんだけど、1994年に滋賀に転勤・引っ越したときから、またやおら走りだしたりした。
ほかにすること、なかったのかもしれない

本格的に、ひとり暮らし始めたってのも、大きかったのかも。休みの日に、山に登る(日帰りで行ける低い山ね、登るというより、歩く)ようになったのも、この時期だし。なんかねえ、黙々と身体動かして、そのなかでいろんなこと考えてた(ある意味内面と向き合ってたとも言えるかも)、それが自分を確立するっていうか維持するっていうか、そういうのが面白かったころだったような気がする。
んで、1994年か95年か忘れたけど、トレーニングしてるうちに、ひさしぶりにレースに出たくなって、出た。
仕事するようになってレースに出なくなったのは、ひとつは怠けて走らなかったってのもあるが、日曜日に仕事をぬけられないので、出られるレースがないってのもあった。レース目標にしないと、怠け具合にも一層拍車がかかったし。
で、このときは、近くに祝日施行のレースがあったんで、参加した。「Oh!湖 草津マラソン」ってやつである、前半部分は「おうみ=近江」と読んでやってください。
これは、自分にとって初めてで最長距離になる、ハーフマラソン(21.0975キロ)。ひさしぶりで、20キロ超えるのに出るのは、不安もあったけど、やっぱ走るならそのくらい走らなきゃって思ってエントリーした。もちろん練習もそれなりに。11月23日のレースだったんだけど、8月くらいまでは暑くて休んでるんで、実質2カ月ちょっとでレースに出るまでの状態を作っていったんで、期間としてはギリギリだったけど。
結果は、1時間24分25秒。20キロの自己ベストに近いペース、またしても1キロをきっちり4分で走ったことになる。琵琶湖湖畔のほぼフラットなコースだったけど、目標どおり、自分の能力どおりの走りができたんで、ひどく満足した。
翌年はエントリーしたんだけど、仕事が入って、走ることはできなかった。その年のほうが、年間の走りこみ量は全然アップしてたんだけどね。
だいたい、週単位で走る量のスケジュールを考えるようになったのも、このころだったと思う。週に30キロとか、40キロとか。それは毎日何キロってわけぢゃなくて、日によって違って、5キロ、7キロ、5キロ、7キロの繰り返しで週36キロとか。そう、1週間のスケジュールは6日で立てて、一日は休みとしてとっておく。そうしないと、雨の日でも走るはめになるから。それと、毎日毎日走ってると、たまに一日休むと、その次の日にグンと走りがよくなったりすることが経験的にわかったから。ときどき、身体的にも精神的にもリフレッシュすることが大事。
もちろん、レースが近づくと、週に50キロくらいになってきて、雨の日でも走るようになる。雨の日のランニングは、うちを出るまでが億劫なだけで、走りだすと意外と雨は気にならなかったりする。それよりも、むしろ嫌なのは、風。向かい風はヤだし、横風も走ってるとほとんど向かい風のようにしか感じないので、完全な追い風以外は、強い風の抵抗を感じながら走ることになる。滋賀県にいたときは、草津から琵琶湖に向かって走ることが多かったんだけど、湖から吹き付ける(心理的には比叡山から吹き下ろす)風は冷たくて強くてヤだったなぁ。
そして、また走らなくなっていく。
引っ越して東京勤めになった1997年からの4年間は、本格的に忙しいというか、いま思えばムチャなペースで仕事してたこともあった。走るのは、たまーに休みの日に身体を動かす程度。でも、そうやって30分でも走ることは、嫌なことがあったときに忘れたりアタマからっぽにしたりするのに有効だったけど。
で、2001年に滋賀に舞い戻るんだけど、そこからの2年間は、またよく走った。
勝手知ったる琵琶湖へのサイクリング用道路を主に夕方走った。琵琶湖までは、片道6キロ強、休んでる期間が長かったんで、なかなか琵琶湖までは行けなくて最初は途中で折り返してたけど、そのうち往復しても大丈夫になってきたんで、ときどきは(時間に余裕のある休日だから、週イチくらいかな)琵琶湖まで走るようになった。どうにも帰りがキツイなといつも感じてたんだけど、それは疲れだけぢゃなく、川沿いを湖まで走るんだから、行きは緩やかだけど自然と下り、帰りは登りになってるってことに気づいて、これは逆の方がラクだったなーと思ったんだけど、仕方ない。
で、やっぱりレースに出たくなって、2002年の11月に、ついにフルマラソンに出た。京都の福知山マラソン。
走ってるからには、一度はやっぱりフルに出たいなって、ずっと思ってたんだけど、このときを逃すと、体力的にも練習機会を確保する生活の環境的にも、もう無いなって感じで、挑戦した。
当時やっぱり自分と向き合って走ってた部分もあって、トシが35だったんだけど、「なにかひとつ、若いときの自分を超えたいな」とかワケわかんないこと考えて、それには10キロ(38分23秒)か20キロ(1時間19分53秒)のベストを更新するか、走ったことのないフルマラソンを走るかの、二択だったんだけど、短い距離でタイム短縮する前者は非常に厳しいので、やったことのないことに挑む、フルマラソンの方に賭けた。
一年近い軽い助走期間があったんで、9月から本格的な練習を始めて週50キロにして、10月は週60キロ、11月最後の3週くらいは、やっぱり週70キロ走ってみた。一般的には、フルマラソンを走るためには、1ヵ月300キロのトレーニングを2ヵ月続ければ、まあ走る資格があるとされている。(村上春樹によるアメリカにおけるその表現は、80キロ(たぶん50マイルって意味だろう)を8週間だったかな、まあ同じ。)私の練習量は、ほんとはちょっと少ないんだけど、どうにも夏にピッチが上がんないんで、まあそんなもの

あと、レース前の1ヵ月は、酒を断つ


結局、練習では最大25キロくらいまでしか、距離の経験がない状態で、本番に臨んだ。
本番で、いちばんむかついたのは、私より前のスタートラインにいた人のなかで、スタート直後に歩いてるヤツのいたことだな。巨大マラソンでは、自己申告タイムでスタート地点を自主的に選択するんだけど、私は3時間ラインに正直にいたんだが、スタートして追い抜いていくと、前の方に、明らかに遊びの人がいた。ほんと、ジャマなんである。スタートして、すぐペースに乗れれば、あとは1キロ4分で走る自信があるんだけどね、道幅いっぱい人がいると、どうしても抜けなくてスピードアップできない。
フルマラソンを3時間で走るのは、走るひとにとっては「サブスリー」といって、ひとつの大きな基準である。私も当然それを目指した。ハーフの記録を単純に倍にすれば、2時間50分くらいで走れる計算だけど、さすがにそうもいかんだろうから、でもそんなにペース落とすこともありえないんで、3時間を目標にした。逆に、3時間を目指さないんだったら、私にとっては、走る意味はない。(どうでもいいけど、世の中には、ろくに練習もしないで何時間もかけてフルに出るひとがいるみたいだけど、なに考えてんのか、私には理解できない。1キロに10分かかるんなら、歩いたほうが早いし、ラク。)
まあ、とにかく、巨大マラソンなんで、思ったようにペースをつかめなかったんだけど(ちなみに後ろの方からだと、本当のスタート地点に到達するまで3,4分かかる

いちばんキツかったのは、25キロから30キロの間だったろうか。やっぱり、経験のないところは厳しいものがある。でも、普通のひとがよく言う35キロ過ぎからは、べつにきつくはなかった。30キロを過ぎてからは、残り12キロなんで「ああ、あと“琵琶湖へ1往復”ね」と普段の練習を思い出せば、簡単に逆算できたんで、ゴールへ近づいていくのがリアルにわかって、やる気が出てきたんで。
結果は、3時間17分44秒。初マラソンとしては、まあまあなんだろうけど、自分自身では満足できなかった。もうちょっと何とかして3時間に近づけたかった。
※7月27日付記 昔のロードレースはゴールしたとき係の人がゼッケンを見てタイムを打ちこんでたと思うんだけど、近頃ではクツヒモに通す形で“チップ”を各ランナーがとりつけます。これでスタートとかゴールとかにある地面に敷いてあるものの上を踏んで通ると、タイムが自動計測されるというもの。福知山マラソンでは、これを利用して「参考ネットタイム」というのを計算して、完走証に記載してくれてました。後ろのほうからのスタートで、号砲鳴ってからスタート地点に来るまでに4分47秒かかってるので、私の実質の42.195キロのタイムは3時間12分57秒でした。
そのあとも、年明けまで軽く走り続けたんだけど、2月に引っ越して東京住まいになってから、走らなくなっちゃった。
走るとなったら、毎日1時間は走るために割くんだけど、自分としては1時間走ることより、その1時間をつくることのほうが難しいって思う。また機会があったら、トレーニングして、もう1度くらいフルマラソンに出てみたいとは思うけど。もうムリかな? 気力がな…。
でも、レースに出たりして思うんだけど、走るののいいところは、練習は裏切らないってことだな。正直に走っただけの結果が出る。で、練習は、やめようと思えば、いつでも自分の意志でやめられる。続けること、「今日はもう2キロ」とか思って実行すること、全部自分次第。だから、走り続けてる限り、私自身は人間ダメになんないと思うんだけど。最近ダメだなぁ

走るのが続けられない人への私のアドバイス(その1は「時刻を決めろ」)その2は、「新しい(いい)クツを買え」だったりする。メーカーや用品店のまわしものぢゃないけど、やっぱいい(高い)クツ履くと走り行くの、楽しい。初級のころは、いままで履いたことのないような、軽くてクッションのいいものに足を通したら、いいと思う、きっと自分はこんなに軽やかに走れるんだって思うと思うよ。少し上を目指すなら、ウェアも新調したほうがいい。薄いのに冬でもあったかいのとか、雨ぴんぴんはじくのとか着ると、寒い日でも雨の日でも、ほんと走るの楽しくなる。
楽しく走るっていえば、ちなみに村上春樹氏は、走るときに音楽を聴くらしいけど、私はやったことない。私は、ふつうに車の通りがある道を走るんで、危ないと思う。(歩道より車道のほうが走りやすいので、車が近づかない限りは、車道を走ることが多い。)
写真とか何もないのもなんなんで、いま手元にある靴。

(アシックスのスカイセンサー。昔から好きなシューズ。)
新しいジョギングシューズを買うと、いっしょに靴紐を買って代えるのが慣例になっていて、白い靴紐なんてつまんないものはすぐ撤去しちゃう。
なるべく派手なのがよくて、ピンクはよく採用する。靴本体とのコーディネートとかをあんまり気にしないのは、どうかと思うけど。
靴紐を代える理由のもうひとつは、私の足は甲高なんで、ふつうの紐よりも、長めの紐にかえてユッタリ紐を通して結んだほうが楽な感じがするっていうのもある。