☆映画の旅の途中☆

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『桂子ですけど(16mm)』 (1997)

2014年02月23日 | 園子温監督☆映画
『桂子ですけど(16mm)』 (1997)

監督:園子温
主演:鈴木桂子、内田栄一


【作品概要】
赤・黄・緑といった原色で彩られた部屋でひとり暮らしをするウエイトレス・鈴木桂子が、22歳の誕生日を迎えるまでの日々を描く。1秒1秒を意識しながら、桂子の大切な時間を記録していく“1時間1分1秒”の日記映画。徹底的に時間にこだわった実験的手法が才気を感じさせる。(シネマヴェーラHPより)
【感想レビュー】@theater
この作品、好きです
観念的な作品です。

冒頭の、無言でカメラに視線を向けている“桂子”の正面の顔の長回し。
執拗に長いので、観ている者がまるで桂子と見つめ合っている気分になります。
作品の世界と劇場との一体感。同じ時間が流れているように錯覚するのです。
そうこうするうちに、桂子の、時間についての淀みないナレーションが始まります。
ひたすら続きます。
そして、赤くて黄色い物に囲まれた部屋の長回し。
ほぼ中央のローテーブルに置かれたマグカップに立ち上る湯気だけが、時間の流れを感じさせます。

1秒を意識するというと、音楽をやっている者としては、まず、♩=60を頭に浮かべますが、それが確かに作品のあるところから効いてきます。

『1、2、3、4、5…』
桂子が秒針に合わせて歩き始めます。
クラシックの古典音楽が流れます。何の曲だったのかしら…。
音楽は、スイングするので、秒針とピッタリ合わない瞬間も沢山あるのですが、スイングしてもプラマイゼロにする考え方なので、特にフレーズの始まりの音と、桂子の数える秒数が、ピッタリ重なる時は、鳥肌ものです

園監督の作品を観るにつけ、監督のクラシック音楽の使い方が、とってもしっくりくる事に気付かされます。

作品世界と劇場の時間や空気が一体化する概念というと、アメリカの作曲家ジョン・ケージの通称『4分33秒』が思い起こされます。
無音音楽です。
ピアノを用いられる事が多いのですが、奏者は音を出しません。
袖から出てきて、お辞儀をし、ピアノの前に座ります。そしてひとしきりしたら、立ち、お辞儀をし、袖に去っていきます。
この会場の中のガサゴソとした物音さえも、今、この瞬間のこの空間で鳴っている音、空気、時間そのものが音楽であり、偶発性の芸術なのだという概念なのです。
実験音楽家としても知られるケージは、前衛芸術に大きな影響をもたらしました。

桂子のナレーション、桂子の一歩一歩、♩=60の曲。それらがっ相まった、素晴らしいアート映画でした









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