☆映画の旅の途中☆

色んな映画をどんどん観る旅

『セックスと哲学』(2005)

2017年01月11日 | 西洋/中東/アジア/他(1990年以降)
『セックスと哲学』(2005)


監督・脚本・編集:モフセン・マフマルバフ
製作国・地域 フランス,イラク,タジキスタン
出演者:ダレル・ナザーロフ/マリアム・ガイボヴァ/ファルザナ・ベクナザーロフ/タフミネ・エブラヒモーヴァ/マロハト・アブドゥロエヴァ

【作品概要】
詩人のジョーンは、4人の恋人を呼び出す。他の3人と顔を合わせ全てを悟った女たちは、各々の愛を回想していく。
彼らはどのように出会い、心を通わせたのか?
どうして愛は終わってしまったのか?
なぜ愛は永遠ではないのか?
すべての愛が終わった今、彼の中にはいったい何が残されたのか…?
イスラム諸国に生きる人々の姿を皮肉や諧謔を交えて寓話的に描き世界的に高い評価を受けるマフマルバフ監督が、「愛とは何か?」という、あまりに根源的な問いに真正面から向き合った意欲作。 (DVD より)

【感想レビュー】
冒頭のシーンから、衝撃でした😳

車中のフロントガラス手前に並べられた蝋燭の数々。とっても素敵でした

そして、赤や青、黄、白、黒…などの劇中の色彩の豊かさが印象的でした
監督についての著作『闇からの光芒 マフマルバフ、半生を語る』を読むと、小津安二郎監督についてのくだりがちょこちょこあるので、劇中の赤色の使い方なんかは、オマージュもあるのかしらん、などと思いつつ観ました。

また、観念的な台詞が素敵です。タイトルの強烈さとは裏腹に、直接的なシーンは一切出てきません。その代わり、暗喩的な表現の多様さよ…!!ブラボー!!…な感じです
むしろその方が官能的だわ…と思いつつ…。


走りながらの車中のシーン、甘くて幸福な時間を計るストップウォッチ、溶けていく蝋燭。それらが人生における時間の経過を表しています。劇中の台詞には、“1分1秒の積み重ねが人生”なのだ、とも。


まじめなものにろくなものはない

偉そうな意見はどれもへりくつだ

人間は孤独だ

孤独とは

人間の持つ運命だ
(劇中の台詞から)


胸に沁みます…。

人生を彩る恋も、春や夏を過ぎ秋を迎え、晩秋がやってきて、やがて冬が訪れる。

でも、雪に覆われた屋根屋根の中を赤い傘が行くシーンは…、ため息ものでした


観れて良かった…



『カンダハール』(2001)

2016年12月27日 | 西洋/中東/アジア/他(1990年以降)
『カンダハール』(2001)

脚本:製作:編集:モフセン・マフマルバフ
音楽:モハメッド・レザダルヴィッシ
撮影:エブライム・ガフォリ
出演:ニルファー・パズィラ:ナファス、ハッサン・タンタイ
【作品概要】
主人公のナファスを演じたニルファー・パズィラは実際にアフガニスタンからの難民で、この作品は彼女の実体験にフィクションを交えて描かれている。アフガニスタンにおける、貧窮、女性差別、それらの中に生きる人々を描き出した作品。


【感想レビュー】
ドキュメンタリータッチの映画です。観る前に、『カンダハール』の撮影についてもかなり書かれている同監督の著書『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』を読んでいたのが、理解の一助になりました。

とにかく強い映画です。メッセージも強いし、画も強い。画が強いから、またメッセージも強い。

脳裏にこびり付く幾つものカットがあります。

空からパラシュートにくくりつけられた義足がふわりと投下されていく様子。そしてそれを目撃するやいなや、地上にいる松葉杖をついた男達が一目散に走り出す様子は…。


それは、本当に一瞬、息を呑む映像です。

空撮で捉えられたアフガニスタンの山脈や渓谷。
壮大なBGMでも流せば、雄大な自然を讃える映像だと思わず勘違いしてしまいそうだ。

小さく、パラシュートが見える。徐々にカメラが近付く。すると、愕然とするのだ。

山脈や渓谷が近代化を阻む、厳しい土地。
そして、地雷が埋められてきた歴史。
地雷の被害は老若男女に及ぶはずなのに、その光景を見て走り出すのは、男達だけ。
その文化、その背景。

その、ふわりふわりと落ちていく義足つきのたくさんのパラシュートが一瞬にして物語る、有無を言わせぬ映像としての強さ。


前出の著書で、アフガニスタンの問題は、その強固な部族主義にある、とマフマルバフ監督は述べていて、『カンダハール』にも反映されている。

女性達が着用している頭からすっぽりと被るブルカは、彼女達の顔も、意志も、存在すらも、根こそぎ奪うような代物で、そんな、魂の半分も呼吸できないようなブルカが、渇いた砂漠に色とりどりに映える……。その映画的とでもいうべき美しさに、文字通り遣る瀬無くなる。


また、女性は直接、親戚以外の男性とは話してはいけなくて、どうしても話さなければならない時は、身内の男性を介して話すことになる!…ので、例えば、女性が病院で診てもらう時、医師が男性であれば、医師の話している意味が解っていても、身内の男性を介して話す、といったまどろっこしさ…!

もうシニカル過ぎて笑えてしまったりもするのだ。

…容赦のないマフマルバフ監督の視点。


『政治に1つ悪いことがあったら、その背景にある文化には10以上の問題があると思ってください』

今年の東京フィルメックス映画祭のQ&Aでマフマルバフ監督が話されていたことと繋がっていく。


政治的なメッセージと映画的な強さ、美しさの混在ぶりがヘビー級過ぎて、咀嚼に時間が掛かっております。


マフマルバフ監督の、『闇からの光芒 マフマルバフ、半生を語る』を今は読んでいます


そして現在のアフガニスタンを知りたいと思い、『知ってほしい アフガニスタン 戦禍はなぜ止まないか』シャード・カレッド著も購入しました。

年末だし、もう読むしかない…!!




『オリーブの山』(2015)@東京フィルメックス

2016年12月03日 | 西洋/中東/アジア/他(1990年以降)
『オリーブの山』(2015)

【作品詳細】
イスラエル、デンマーク / 2015 / 83分 / 監督:ヤエレ・カヤム (Yaelle KAYAM)

主人公はエルサレム東部のオリーブ山にあるユダヤ人墓地の中の家で暮らす若い主婦、ツヴィア。夫が仕事に、子供たちが学校に出ていった後は一人で家事を行っているツヴィアは、時折気を紛らわすように墓地を散策する。ある夜、衝動的に外に出たツヴィアは、墓地で人目をはばかることもなく抱き合っている男女を目撃する。その瞬間、ツヴィアの単調な日々の生活に大きな転機が訪れる……。ヤエル・カヤムの監督デビュー作となる本作は、イスラエルの厳格なユダヤ教徒の家庭を舞台に、慎ましい生活を送っていた主婦がこれまで想像もしなかった世界を発見するプロセスをストイックに描いた作品だ。2015年ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門で上映された。

【感想レビュー】@東京フィルメックス
11/24(木)に観た4本目。コンペティション部門の1本。

厳格なユダヤ教徒の家庭(よりによってオリーブ山のユダヤ墓地の中に暮らしている…!)を描いたストーリーです。
エルサレムのオリーブ山といえば、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒にとって、神聖な場所。

ただこの映画は宗教という側面よりも、家庭という閉鎖的な空間で疲弊し、少しずつ、少しずつ、心が蝕まれていく様を描写しているのだと感じました。

煩悩との葛藤という側面も出てきます。

描かれていること自体、世界のどこにでも誰にでも存在しうる問題でした。

厳格なユダヤ教徒と聞くと、戒律が厳しそうだなぁ…とか、近寄り難いイメージを持ちますが、なんだか、ちょっと親近感も湧いたりしました

けっこうな描写が幾つかあって、これは宗教的に問題にならないのかしら…と驚きもしました

ラストの感じ方も、人によって正反対になりそうだし、また同じ人でも観る度に変わりそうな気も。

ネタバレを気にすると具体的には書けないのですが。。

飲食店とかでなく、無償で作った料理を毎日、同じ人に出すという行為は、日々を生きていく為なので、その行為が否定的に扱われた描写というのは、心が蝕まれて、少しずつ死んでいく様子をやはり描いていると思うのですが、、このシーンは本当にゾッとしました

結果、誰かに提供されたのか、あるいは誰にも提供されなかったのかは、定かではなかったように思うのですが、どちらにしても、物語の主人公の心が弱っていく様に、家庭という一つの単位の手詰まりを感じたりもしました


はぁ、ぶるぶる…


同日、この映画の前に観たナデリ監督の『山〈モンテ〉』は、受難に立ち向かっていく様子を力強く描いた作品でしたけど、次の1本でこのような葛藤を描いた作品を観るとは…。

恐ろしやフィルメックス…

ブラボー、フィルメックス…


開会式の19日、23日、24日で合計9本を観た今年のフィルメックス。

コンペティション部門を多く観れたのが嬉しかったです

ナデリ監督の新作も観れたし、サインも頂けましたし、嬉し過ぎる…!!むせび泣きです。

来年も楽しみです




『山<モンテ>』(2016)@東京フィルメックス

2016年12月01日 | 西洋/中東/アジア/他(1990年以降)
『山<モンテ>』(2016)@東京フィルメックス

【作品詳細】
イタリア、フランス、アメリカ / 2016 / 105分 / 監督:アミール・ナデリ (Amir NADERI)

前作『CUT』を日本で撮影したアミール・ナデリの最新作は、全編がイタリアで撮影された作品だ。時代設定は中世末期。主人公は山の麓の村で妻子と暮らすアゴスティーノ。巨大な山が壁のようにそびえているため、この村には太陽の光が十分に当たらず、作物も育たない。移住を勧める忠告に耳も貸さずアゴスティーノは村に住み続けるが、窮状は極まるばかりである。遂にアゴスティーノは、山そのものに挑戦するという驚くべき行動に出る……。何かに取り憑かれたかのように一つの行動を続けるというナデリ作品に共通する設定が、ある意味極限まで推し進められた異形の傑作。ヴェネチア映画祭での本作の上映に際し、ナデリに「監督・ばんざい!賞」が授与された。


【感想レビュー】@東京フィルメックス
11/24(木)、この日の3本目。特別招待作品の1本です。
待ちに待ったナデリ監督の最新作
前作の『CUT』は、三部作の構想と仰っていたので、これはその二作目に当たる作品です。

上映前にナデリ監督の舞台挨拶があり、この作品を西島秀俊さんに捧げます!!!…と壇上から熱い熱い熱いメッセージを客席の西島さんへ送る一コマがあり、会場は拍手に包まれました
私の席から振り返ると、西島さんは、キリっと立って(口は真一文字だったと思う…)お辞儀をされているのが見えました


『山〈モンテ〉』

もう、もう凄まじいエネルギーの放出でした!!


旧約聖書の申命記に出てきそう…!!と圧倒されっぱなしで観ました。

ロケ地はイタリアということですし、時代設定も中世末期とのことなのですが、申命記に出てくるシナイ半島の荒れ野やシナイ山頂から見る山々は、もしかしてこういう世界観なのかしら…、とイメージがどんどん膨らみながら…

山の音が不気味に轟き、太陽から見放されたような不毛な土地。ちっぽけな立場の人間に一体何ができるというのか、来る日も来る日も問い掛けられる。
その土地を見限った者も多いが、決して諦めないアゴスティーノ。

決して諦めない、という強靭な精神力が、凄まじいんです。
ナデリ監督はこれを、『不可能を可能にする』という言葉で表現されていましたが、まさにそういう映画でした。

受難に立ち向かっていくアゴスティーノ。


ラストの方で、父親と息子が山に立ち向かっている様のカットが交互に差し込まれて、テンポアップしていくところは、もう臨界点…!!

並べたら向き合うようになる構図が、あたかも二人が互いを痛めつけているようで、でもそれは違い、実際は各々が山に立ち向かっているわけで、これが、己との闘いであることを強烈に印象づけるシーンでした。

こういうシークエンスは、交響曲を聴いている感覚に似ていて、高揚してくるのですが、Q&Aで、ナデリ監督はワーグナーの楽劇をよく聴くと仰っていたので、クラシックのピアノ弾きとしては、ものすごーく嬉しくなって、もっとその部分を詳しくお聞きしたくなってしまいました


また、まるで絵画のように美し過ぎるシーンもあって、妻の髪を優しく優しく梳かすシーンなんて、もう、もう…

映画のどこを切り取っても画になるような、
どのシーンもなんだか聖書に出てきそうで、確かにこれは日本では撮れないのだろうな…と思いました。


上映後のQ&Aも、会場は熱気で興奮冷めやらずといった具合。放心状態といった感じでした。


ナデリ監督から放出されるエネルギーの強さ…!!!!
作品とナデリ監督の一体感…!!!!


まさに『不可能を可能にする』映画でした


フィルメックスHPより
Q&A
http://filmex.net/2016/news/monte_qa






主演のアンドレア・サルトレッティさんの話

前日(11/23)、ナデリ監督に恐れ多くも、友人達とわらわら話しかけた時にそばにいらして、監督が、彼はモンテの主役俳優さんだよ、とご紹介してくれたんですね、すると彼は、明日みんな来てくれるよね?と気さくに英語で話しかけてくれました
イケメンさんのお顔が超至近距離に…

そらもう、震えました

その印象があったのですが、翌日は上映前に、ロビーで一人ポツンと俯き気味にいらして、シャイな雰囲気で、凄い俳優さんだろうに、なんか完全にアウェイに居る感にまたくすぐられてしまいました…

前日も思ったのですが、映画の中でも、主演のアンドレア・サルトレッティさんは、ちょっと西島さんに似てらっしゃいました

ナデリ監督の好みなのかしらん。
なんか外見だけでなく内面から醸し出す雰囲気とか…。


観てちょうど1週間。『山〈モンテ〉』の魂に胸が熱い状態が続いております。






『普通の家族』(2016)@東京フィルメックス

2016年11月30日 | 西洋/中東/アジア/他(1990年以降)
『普通の家族』(2016)

【作品詳細】
フィリピン / 2016 / 107分 / 監督:エドゥアルド・ロイ・Jr(Eduardo ROY Jr.)

マニラの街頭で生きる16歳の少女ジェーンと、そのボーイフレンド、アリエス。主にスリなどで生計を立てていた二人の生活は、ジェーンに子供ができたことによって一変する。だが、一か月もたたないうちに、子供は何者かに誘拐されてしまう。二人は子供を取り戻すためにあらゆる努力を払おうとするが……。子供を奪われた主人公たちを媒介に、マニラの煩雑な街並みとそこに生きるストリート・チルドレンたちを生き生きと描いたエドゥアルド・ロイ・Jrの長編第3作。フィリピン・インディペンデント映画界の登竜門であるシネマラヤ映画祭で最優秀作品賞を含む5つの賞を受賞した後、ヴェネチア映画祭「ヴェニス・デイズ」部門に選ばれ、観客賞を受賞した。

【感想レビュー】@東京フィルメックス
11/24(木)の2本目、コンペティション部門の1本。

これまたメインの夫婦役の男女が魅力的で素晴らしかったです

Q&Aにおいて。撮影前に彼らには、ストリート・チルドレンを演じるにあたり、ワークショップに参加してもらったり、実際に現状を見に行ったりしてもらった、とのことでした。

それにしても、あまりのリアルな描写に、ドキュメンタリーを観ているような感覚にさえなりました。

ストリート・チルドレンの中では、お兄さんやお姉さんの立場であり、手練手管な彼らですが、ひょんなことで一般社会の中に入った時の彼らの存在の儚さといい、無力さ、無知さ…。抉られる描写が多数でした。

でも、追ってから逃げる時の身体能力の高さとか、見ていて爽快感たっぷりです!!


タイトルと内容とのギャップ、その狭間に、何か言語化しにくいけれど、フィリピンの現在が切り取られているだろうし、観れて良かったなぁと思いました



Q&Aの様子