小説「花神」の主人公は村田蔵六(大村益次郎)です。大河ドラマでは村田蔵六(大村益次郎)、吉田松陰、高杉晋作です。
「一人の男がいる。歴史が彼を必要とした時、忽然として現われ、その使命が終ると、大急ぎで去った。もし維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる事であった。中国では花咲爺いの事を花神という。彼は、花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼―村田蔵六。後の大村益次郎である」
実におかしな話ですが、この一文をみただけでなんだか「時々泣きそうに」なります。それほど「花神」における村田蔵六(大村益次郎)は魅力的な男です。
そういう村田ファンから「西郷どん」の村田蔵六(大村益次郎)の描き方をみてみます。
「いやいや違うだろ。違い過ぎるだろ。」という点がいくつもあります。「違う」というのは「史実と違う」ではありません。
あくまで「私のイメージとは違う」ということです。「史実はこうなんだ」という解説ではありません。
以下いくつか並べてみます。
1、北越戦争に参加しろなんて村田蔵六(大村益次郎)は西郷に言ってはいない。
むしろ「行く必要はない」と言ったのです。そのことが後に村田の命を奪う結果となります。薩摩の海江田のはなった刺客によって暗殺されるのです。
薩摩は村田が戊辰戦争の総司令官として忽然とあらわれたことに憤慨していました。
しかし西郷に「近代戦争の知識」なんてありません。西郷は近代戦の戦略にも戦術にも「うとい」人でした。ただ「人望」は大きく、また「現場指揮官」ぐらいの能力はありました。
西郷は村田の出現によって「自分の歴史的使命は終わった」ことを悟ります。たぶん「北越戦争で死のう」と思ったのです。もともと斉彬の死に際し殉死を考え、その後実際に自殺も図った人間です。
村田はそれを止めました。「アンタが新潟につく頃には戦争は終わっている」という理由でした。実際ほぼ終わっていました。西郷は戊辰戦争を転戦し、歴史的役割を終え、薩摩に引きこもります。
ただ実際には「歴史的使命」は終わってはいませんでした。廃藩置県もそうですが、最後の大仕事、「西南戦争で薩摩武士とともに死に、武士の時代を完全に終わらせる」という使命は残っていました。
戦略において無能な西郷から軍権を奪うことは村田の立場であり、基本的には対立的関係でした。「北越戦争は勝てそうにないから、ぜひ西郷さんに薩摩兵をひきいて参加してほしい」、そんなこと言うわけありません。
もっとも「江戸から西郷を追い出す」という戦略に立ったなら、あるいはその意味で「言った」可能性は残ります。
2、上野戦争の黒門攻撃の指令をなぜ描かない。
これは「翔ぶが如く」の描き方から得た「イメージ」です。
上野戦争において薩摩は最も過酷な黒門の正面攻撃を命令されます。西郷は言います。「大村さーは薩摩人を皆殺しにするつもりか」
村田は平然と答えます。「花神」では「然り」とのみ答えたことになっています。ドラマでは違います。「長州は強いが、薩摩はさらに強い。もっとも強い兵に主戦場に出ていただきたい」
西郷は答えます。「わかりもした。光栄のかぎりでごわす。この西郷も前線に立ち、そこで死にもんそ(死にましょう)」
実にいいシーンです。なぜ「描かない」のか。1分で描けるシーンなのだから入れてほしかったと思います。
にもかかわらず「西郷どん」における西郷は、上野戦争の1分ぐらいのシーンにおいて、相変わらずのアホみたいな平和主義者であり、(平和主義は現代においては最も大切ですが、これは歴史ドラマのシーンですから現代の価値観に寄り添う必要はないのです)、「いつまでこの戦争が続くのだ」とか嘆いています。数話前までは「いくさの鬼」だったはずなのに、しらっとまた平和主義者に戻っています。「平和主義者だがそれを抑えて、泣く泣く戦の鬼になっていたのだ」ということでしょうが、それすら深く描いていないので、ご都合でキャラが変わっているとしか見えません。「大河ドラマにおける、つまり歴史ドラマにおける、特に意味もない平和主義の強調」は一体誰に対するアピールなのか。女性なのか、諸外国なのか。「歴史ドラマが現代的価値観に寄り添う必要はない」というのは小学生にも分かる道理だし、小学生だって「ドラマと現実の区別ぐらいつく」と思います。
3、これは描かなくて当然だが、村田は薩摩をこう見ていた。
維新が終わったが、やがて九州から足利尊氏がごときものが出てくる。東北は心配ない。九州に備えよ。足利尊氏は人望があった。西郷さんにも人望がありますな。
村田はそうみていました。ほどなく暗殺されますが、弟子の山田(日大の創設者)に、九州に備えて関西の兵器庫に銃を補強するよう指示して死にます。実際西南戦争ではその武器が使われました。
またこうも村田は考えていました。
長州は対外国戦争、対幕府戦争、倒幕戦争、戊辰戦争を経験した。それにより長州の持つ「エネルギー」はすでに枯れ果て、今は平安を望んでいる。
しかし薩摩は倒幕段階から戦争に参加した。しかも戊辰戦争が比較的短い期間で終了した。薩摩のエネルギーはまだまだ枯れはててなどいない。集団のもつ巨大なエネルギーはやがて行き場を失い、新政府に向かってそのエネルギーを向けざる得なくなるだろう。
「3」は蛇足ですが、村田は薩摩を警戒していました。ドラマ「西郷どん」のこぶ平ちゃんのような人物とは「全く違う」と私は思っています。
「一人の男がいる。歴史が彼を必要とした時、忽然として現われ、その使命が終ると、大急ぎで去った。もし維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる事であった。中国では花咲爺いの事を花神という。彼は、花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼―村田蔵六。後の大村益次郎である」
実におかしな話ですが、この一文をみただけでなんだか「時々泣きそうに」なります。それほど「花神」における村田蔵六(大村益次郎)は魅力的な男です。
そういう村田ファンから「西郷どん」の村田蔵六(大村益次郎)の描き方をみてみます。
「いやいや違うだろ。違い過ぎるだろ。」という点がいくつもあります。「違う」というのは「史実と違う」ではありません。
あくまで「私のイメージとは違う」ということです。「史実はこうなんだ」という解説ではありません。
以下いくつか並べてみます。
1、北越戦争に参加しろなんて村田蔵六(大村益次郎)は西郷に言ってはいない。
むしろ「行く必要はない」と言ったのです。そのことが後に村田の命を奪う結果となります。薩摩の海江田のはなった刺客によって暗殺されるのです。
薩摩は村田が戊辰戦争の総司令官として忽然とあらわれたことに憤慨していました。
しかし西郷に「近代戦争の知識」なんてありません。西郷は近代戦の戦略にも戦術にも「うとい」人でした。ただ「人望」は大きく、また「現場指揮官」ぐらいの能力はありました。
西郷は村田の出現によって「自分の歴史的使命は終わった」ことを悟ります。たぶん「北越戦争で死のう」と思ったのです。もともと斉彬の死に際し殉死を考え、その後実際に自殺も図った人間です。
村田はそれを止めました。「アンタが新潟につく頃には戦争は終わっている」という理由でした。実際ほぼ終わっていました。西郷は戊辰戦争を転戦し、歴史的役割を終え、薩摩に引きこもります。
ただ実際には「歴史的使命」は終わってはいませんでした。廃藩置県もそうですが、最後の大仕事、「西南戦争で薩摩武士とともに死に、武士の時代を完全に終わらせる」という使命は残っていました。
戦略において無能な西郷から軍権を奪うことは村田の立場であり、基本的には対立的関係でした。「北越戦争は勝てそうにないから、ぜひ西郷さんに薩摩兵をひきいて参加してほしい」、そんなこと言うわけありません。
もっとも「江戸から西郷を追い出す」という戦略に立ったなら、あるいはその意味で「言った」可能性は残ります。
2、上野戦争の黒門攻撃の指令をなぜ描かない。
これは「翔ぶが如く」の描き方から得た「イメージ」です。
上野戦争において薩摩は最も過酷な黒門の正面攻撃を命令されます。西郷は言います。「大村さーは薩摩人を皆殺しにするつもりか」
村田は平然と答えます。「花神」では「然り」とのみ答えたことになっています。ドラマでは違います。「長州は強いが、薩摩はさらに強い。もっとも強い兵に主戦場に出ていただきたい」
西郷は答えます。「わかりもした。光栄のかぎりでごわす。この西郷も前線に立ち、そこで死にもんそ(死にましょう)」
実にいいシーンです。なぜ「描かない」のか。1分で描けるシーンなのだから入れてほしかったと思います。
にもかかわらず「西郷どん」における西郷は、上野戦争の1分ぐらいのシーンにおいて、相変わらずのアホみたいな平和主義者であり、(平和主義は現代においては最も大切ですが、これは歴史ドラマのシーンですから現代の価値観に寄り添う必要はないのです)、「いつまでこの戦争が続くのだ」とか嘆いています。数話前までは「いくさの鬼」だったはずなのに、しらっとまた平和主義者に戻っています。「平和主義者だがそれを抑えて、泣く泣く戦の鬼になっていたのだ」ということでしょうが、それすら深く描いていないので、ご都合でキャラが変わっているとしか見えません。「大河ドラマにおける、つまり歴史ドラマにおける、特に意味もない平和主義の強調」は一体誰に対するアピールなのか。女性なのか、諸外国なのか。「歴史ドラマが現代的価値観に寄り添う必要はない」というのは小学生にも分かる道理だし、小学生だって「ドラマと現実の区別ぐらいつく」と思います。
3、これは描かなくて当然だが、村田は薩摩をこう見ていた。
維新が終わったが、やがて九州から足利尊氏がごときものが出てくる。東北は心配ない。九州に備えよ。足利尊氏は人望があった。西郷さんにも人望がありますな。
村田はそうみていました。ほどなく暗殺されますが、弟子の山田(日大の創設者)に、九州に備えて関西の兵器庫に銃を補強するよう指示して死にます。実際西南戦争ではその武器が使われました。
またこうも村田は考えていました。
長州は対外国戦争、対幕府戦争、倒幕戦争、戊辰戦争を経験した。それにより長州の持つ「エネルギー」はすでに枯れ果て、今は平安を望んでいる。
しかし薩摩は倒幕段階から戦争に参加した。しかも戊辰戦争が比較的短い期間で終了した。薩摩のエネルギーはまだまだ枯れはててなどいない。集団のもつ巨大なエネルギーはやがて行き場を失い、新政府に向かってそのエネルギーを向けざる得なくなるだろう。
「3」は蛇足ですが、村田は薩摩を警戒していました。ドラマ「西郷どん」のこぶ平ちゃんのような人物とは「全く違う」と私は思っています。